竹貫重光

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竹貫重光
時代 戦国時代 - 安土桃山時代
生誕 不明
死没 不明
官位 三河守
主君 岩城常隆貞隆
氏族 竹貫氏
父母 父:竹貫広光
兄弟 隆光
尚忠 宣光
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竹貫 重光(たけぬき/たかぬき しげみつ)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将岩城氏の家臣。陸奥国竹貫城主。

略歴[編集]

竹貫氏陸奥石川氏の庶流。本貫地の竹貫を姓とし、代々竹貫城に拠った。

天正13年(1585年)、高倉合戦で活躍、天正17年(1589年)、須賀川城二階堂氏の孤立化を狙い伊達政宗に調略を受けるが、岩城常隆と共に加勢して政宗と戦い、子・中務大輔尚忠(家光)は、敗走の途中討ち死にを遂げる(須賀川城攻防戦)。文禄5年(1596年富岡城代となる。慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いでは、常隆の養子・貞隆は、実兄・佐竹義宣と行動を共にした為、旧地没収の上転封となった。

慶長6年(1601年)6月20日、重光は千本義定に追討され落ち延びたとされる。