竹内佐太郎

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竹内 佐太郎(たけうち さたろう、1875年明治8年)1月3日[1] - 1966年昭和41年)12月6日[2][3][4])は、日本裁判官検事

経歴[編集]

富山県下新川郡入善町出身[1]1903年(明治36年)、東京帝国大学法科大学英法科を卒業し[5]、司法官試補となる[1]浦和地方裁判所判事、東京区裁判所判事、長野区裁判所検事、東京区裁判所検事、東京地方裁判所検事、和歌山地方裁判所検事正、高知地方裁判所検事正、神戸地方裁判所検事正、横浜地方裁判所検事正を歴任[5]。その後、台湾総督府法院に転じ、高等法院検察官長、高等法院長を務めた[5]

1935年昭和10年)、広島控訴院検事長となった[5]1937年(昭和12年)に退官した後は弁護士を開業した[5]

脚注[編集]

  1. ^ a b c 帝国法曹大観 1915, p. 150.
  2. ^ 「竹内 佐太郎氏(元台北高等法院長、広島控訴院検事長)」『朝日新聞』、1966年12月7日、11面。
  3. ^ 「竹内佐太郎氏(東京家裁調停委員、元広島控訴院検事長)」『読売新聞』、1966年12月7日、11面。
  4. ^ 「竹内 佐太郎氏(東京家裁調停委員)」『毎日新聞』、1966年12月7日、11面。
  5. ^ a b c d e 人事興信録 1943.

参考文献[編集]

  • 人事興信所編『人事興信録 第14版(下)』人事興信所、1943年。 
  • 『帝国法曹大観』帝国法曹大観編纂会、1915年。