竜母伝説
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竜母伝説(りゅうぼでんせつ)とは中華人民共和国の伝承群である。主に始皇帝伝承と[要出典]白族伝承の2つ[要出典]がある[注釈 1]。
概要
[編集]秦の始皇帝伝承の場合、竜母伝説は干ばつと戦った5匹の竜の母を祭ったことに由来する[要出典]。
一方、雲南省には白(ペー)族緑桃村[注釈 2]に伝わる以下の竜母伝説がある。
緑桃村はかつて緑濤村と呼ばれていた。ある日、一人の娘が芝刈り作業の途中で喉が渇き、見つけた桃を食べたところ、間もなく妊娠した。娘は生まれた男の子を山中に捨てたが、心配して見に行くと、大蛇が男の子に食べ物を与えていた。娘が見ている間にも男の子が成長していくが、娘は男の子を家に連れ帰った。
男の子は1年もしないうちに13歳ぐらいの体格になり、母をよく手伝った。ある日男の子は、淵の水が生温かいことに気付き「この淵にいる竜は病気だ」と言った。とたん湖から大男が姿を現し、竜を治せるかと尋ねた。男の子が肯定すると竜宮に招かれ、さっそく煎じた薬草で竜王の病を治した。
竜宮への滞在を許された男の子はあちこちを見て回り、竜王の黄色の竜袍[注釈 3]を見つけた。男の子がこれを着るとたちまち小さい黄竜に変化した。これを知った竜王は怒り処罰しようとしたが、大男が「湖にいて水を溢れさせる困り者の黒竜を退治させてはどうか」と取りなしたため、処罰は保留になった。
こうして小黄竜は黒竜と戦ったが、全くの互角で決着がつかない。小黄竜は男の子の姿に戻って事の顛末を母に伝えた。すると母は、黒竜と戦う時に饅頭[注釈 4]と石を持っていき、小黄竜が空腹になれば饅頭を、黒竜が口を開けたら石を放り込む、と言った。こうして2度目の戦いになり持久戦に持ち込んだ小黄竜は、母の助力もあって黒竜を弱らせて片方の角と眼に損傷を与えた。黒竜は天生橋に穴を開けて逃げ込んだ。この戦いの後、湖は穏やかになり溢れることはなくなった。
小黄竜は湖に住むこととし、毎年母の誕生日に母を訪問した。訪問時には雨が降ったため、人々はこの雨が降ると田植えを始めるようになったという。また、竜母が桃を食べたことにちなんで、村の名前を緑桃村と改めたという[5]。
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 他に壮(チワン)族や侗族にも竜母伝説がみられる[1]。
- ^ 緑桃村は雲南省大理にある。大理石の山地として知られている[2]。詳細は大理ペー族自治州を参照。
- ^ りゅうほう。皇帝が着る竜の文様が付いた着物の事[3]。
- ^ 饅頭は「まんじゅう」ではなく「まんとう」と読み、蒸しパンを表す[4]。詳細は饅頭 (中国)を参照。
出典
[編集]- ^ 新島 (1998b), p.88.
- ^ 新島 (1998a), p.79.
- ^ 新島 (1998a), p.80.
- ^ 新島 (1998a), p.81.
- ^ 新島 (1998b), pp.79-82.
参考文献
[編集]- 竹原威滋・丸山顯德編著 編『世界の龍の話』(初版)三弥井書店〈世界民間文芸叢書 別巻〉、1998年7月10日。ISBN 978-4-8382-9043-7。
- 新島 (1998a):新島翠「中国【少数民族】 1 緑桃村の龍母伝説」pp.79-82.
- 新島 (1998b):新島翠「中国【少数民族】 解説」pp.87-89.