窪田文治郎

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窪田 文治郎(くぼた ぶんじろう、1890年明治23年)- 1975年昭和50年))は、社寺建築棟梁宮大工

経歴[編集]

1890年明治23年)、愛媛県(伊予国)久米郡久米村大字鷹子村(現在の愛媛県松山市鷹子町)に生まれる。先祖代々、社寺建築棟梁の家柄であった。 明治末期より父親や、京都の名匠奥谷熊之輔に師事し、多くの設計工法を学んだ。1922年(大正11年)、4年の歳月をかけて四国八十八箇所の49番札所である浄土寺仁王門を完成。このとき32歳であった。 のち、50番札所である繁多寺本堂大師堂山門、45番札所である岩屋寺本堂大師堂山門、南久米町日尾八幡神社神門拝殿、また、道後湯神社拝殿など、数多くの作品を残した。 1975年昭和50年)、86歳で逝去。