神戸高専剣道実技拒否事件

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最高裁判所判例
事件名 進級拒否処分取消、退学命令処分等取消請求事件
事件番号 平成7年(行ツ)第74号
1996年(平成8年)3月8日
判例集 民集50巻3号469頁
裁判要旨
信仰上の理由により、剣道の履修を拒否した高等専門学校の学生に、代替措置を講じず、原級留置し退学にした校長の処分は、違法である。
第二小法廷
裁判長 河合伸一
陪席裁判官 大西勝也 根岸重治 福田博
意見
多数意見 全員一致
意見 なし
反対意見 なし
参照法条
憲法20条など
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神戸高専剣道実技拒否事件(こうべこうせんけんどうじつぎきょひじけん)とは、公立学校の学生が、自己の宗教的信条に反するという理由で、必修科目である剣道の履修を拒否したため留年処分となったうえに、次の年度も留年処分となったため、学則にしたがいその退学処分にした処分に対して、違法であると取消しを求めた行政訴訟(抗告訴訟)である。学校教育における信教の自由の保障が争われた憲法学上著名な判例のひとつである。

事件の概要[編集]

1990年神戸市立工業高等専門学校に入学した学生には、「エホバの証人」の信者5名がいた。この年に同校は新校舎に移転したことにともない、体育科目の一部として格技である剣道の科目を開講した。この科目に対して5名は、彼らの信仰するところの聖書が説く「彼らはその剣をすきの刃に、その槍を刈り込みばさみに打ち変えなければならなくなる。国民は国民に向かって剣を上げず、彼らはもはや戦いを学ばない[1]という原則と調和しないと主張し、剣道の履修を拒否した。彼らもただ授業を拒否しただけでなく、病気で体育が出来ない学生のように授業を見学した上でレポートの提出をもって授業参加と認めるように体育教師とかけあったが、認められなかった。そのため、5名の信者が体育の単位を修得できず、同校内規により第1学年に原級留置となった。

翌年、信者5名のうち3名は剣道授業に参加したため第2学年に進級出来たが、1名は自主退学、もう1名(原告)は前年と同様の経緯をたどったため、再び第1学年に原級留置とされた。同校の学則は2年連続して原級留置の場合は退学を命ずることができるという内規があり、その内規により退学処分を命じられた。

裁判の焦点[編集]

原告となった元学生は、1990年度の進級拒否、1991年度の進級拒否・退学についてそれぞれ執行停止の申し立て(仮処分申請を含む)を行い、また処分取り消し訴訟を提起するなどの法的措置をした。そのうち執行停止の申し立てはそれぞれ神戸地裁大阪高裁で却下された。その後で、学校側の一連の学生に対する違法性の有無について争われることになった。なお下記が双方の主張であった。

原告(元学生)[編集]

  • 必修の体育科目の一部である剣道の授業を拒否した学生に対して、学校側はレポート提出等の代替措置を一切認めず欠席扱いとし、最終的には退学とした学校側の措置は裁量権の逸脱である。
  • 学校側による剣道の履修の強要は、日本国憲法が保障する信教と良心の自由を侵害する行為である。
  • 他の学校では同様な格闘技の授業を拒否する学生に対し代替措置が行われている。また高等専門学校において剣道実技の履修が必須のものとはいえない。

被告(学校側)[編集]

  • 学校入学時の募集要項に必修科目の事が記載していたはずであり、単位として取得できなければどのような措置になるかが周知されていたといえる。そのため履修拒否することは最初から予期していたはずだ。
  • 原告が主張する代替措置を学校が認めたら、特定の宗教の信仰を援助支援したことになり、日本国憲法20条3項の政教分離に反することになる。
  • 信教の自由による行為が常にその自由が保障されるというものではない。信教の自由を制限して得られる公共的利益の方が学校運営上必要である。

高裁及び最高裁の判決[編集]

第一審[編集]

1審の神戸地裁は学校側の主張を認め、原告の請求を棄却した。これは宗教的信条が「加持祈祷事件」(最高裁昭和38年5月15日)の判決で示された、「信教の自由の保障する限界を逸脱し」かつ「著しく反社会的なものである」であれば、法的保護を与えることが出来ないとした判例を基にしたものであった。

控訴審・上告審[編集]

しかし、大阪高裁及び最高裁は、地裁の判決を破棄し、学校側による一連の措置は裁量権の逸脱であり違憲違法なものであったと認定し原告の主張を認めた。最高裁第2小法廷が1996年3月8日に全員一致で出した判決文の主旨によれば、『他の学校では同様な格闘技の授業を拒否する学生に対し代替措置が行われている』とし、『高等専門学校において剣道実技の履修が必須のものとまではいい難く、他の体育科目による代替的方法によってこれを行うことも性質上可能である』とした。

一連の学校側の措置については、『信仰の自由や宗教的行為に対する制約を特に目的とするものではなかったが、学生の信仰の自由に対して配慮しない結果となり、原級留置処分の決定も退学処分の選択も社会観念上著しく妥当を欠き、裁量権の範囲を超えた違法なものといわざるを得ない』として、学校側の処分取り消しを決定した。

なお学校側が主張した学生の行為を認めたら日本国憲法20条3項の政教分離に反するか否かであるが、『代替措置を講じることは特定の宗教に対する援助をするわけではない』として、特定宗教の援助にはあたらないとした。[2]

最高裁判決後[編集]

最高裁判決の翌月(1996年4月)、原告の元学生は第2学年に復学している。すでに21歳となっていた元学生に対して、学校側からは第4学年へ編入する提案もあったが、元学生はこれを断り、取り消された退学処分の時点(第1学年末)に対応する学年に復学することを選択した。[3]

信教の自由[編集]

エホバの証人は、統治体の出す文書を絶対的基準として細部にまで忠実に従うため、教義が一般的な宗教とは異なることがある。そのため社会とのかかわりで生じた摩擦をめぐり、教徒が提起した民事訴訟事件など周囲との裁判事件は他にもあり、エホバの証人輸血拒否事件など信仰をめぐる判例も多い。

学校教育における宗教的中立性は、信教の自由と対立することがある。この事件はそれを過度に強調し信仰の自由が抑圧された例とされる。

関連項目[編集]

参考文献[編集]

  1. ^ イザヤ書2章4節
  2. ^ 進級拒否処分取消、退学命令処分等取消事件,平成8年3月8日,民集第50巻3号469頁(裁判所判例検索システム)
  3. ^ 「朝日新聞」1996年4月9日 大阪朝刊22面

外部リンク[編集]