社尺別駅

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社尺別駅
しゃしゃくべつ
Sha-Shakubetsu
尺別 (0.26 km)
(3.8 km) 八幡前
地図右は尺別駅(現:尺別信号場)
北海道白糠郡音別町字尺別墓線番外地
北緯42度52分3秒 東経143度54分3.4秒 / 北緯42.86750度 東経143.900944度 / 42.86750; 143.900944座標: 北緯42度52分3秒 東経143度54分3.4秒 / 北緯42.86750度 東経143.900944度 / 42.86750; 143.900944
所属事業者 雄別炭礦
所属路線 尺別鉄道線
キロ程 0.26 km(尺別起点)
開業年月日 1942年昭和17年)11月3日
廃止年月日 1970年(昭和45年)4月16日
備考 路線廃止により廃駅
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(社)尺別駅もしくは社尺別駅(しゃしゃくべつえき)は、北海道白糠郡(現・釧路市音別町字尺別に存在した、雄別炭礦尺別鉄道線である。同線の廃止とともに廃駅となった。

概要[編集]

尺別炭礦の軽便運炭軌道に代わる専用鉄道の敷設に伴って設置された、国鉄尺別駅との旅客連絡駅。専用鉄道の頃は尺別炭礦関係の旅客及び小荷物[1]の利用に限られ、一般に開放されたのは1962年昭和37年)に地方鉄道へ移行してからであった。地方鉄道への移行も、沿線の林産物や農産物などの一般貨物の取扱を企図したもので、旅客の連絡運輸は行われなかった[1]

軽便運炭軌道時代に国鉄尺別駅に隣接して敷かれた尺別炭礦用の側線(分岐線)上で一般を除く関係者の旅客乗降も行われていたため、そこを通称「岐線(駅)」(ぎせん)と呼んでいたが、専用鉄道に移行して位置も少し離れた場所となった当駅も、通称では「岐線」と呼ばれた。

また、尺別鉄道線の起点は国鉄尺別駅裏の尺別炭礦の側線中央にあり、当駅は基点から0.260 km付近に位置した[1]。国鉄尺別駅裏の尺別炭礦の側線は国鉄側の財産に編入されており、財産分界点が国鉄尺別駅場内信号機の位置(尺別鉄道線起点から0.181 kmの地点)に設けられていた[1]

国鉄尺別駅と当駅との間の旅客の連絡は、直別方の踏切を越えて駅裏へ向かう少し遠回りな経路で、舗装もされていなかったため、特に冬期や雨天時の乗換に不自由した。このため1958年(昭和33年)に国鉄尺別駅の共同使用の提案が社内であったが、結局実行に移されなかった。

歴史[編集]

駅構造[編集]

土盛の単式ホーム1面を新尺別に向かって左側に有し、駅裏側に機回し線を有していた。ホーム上に当初は15坪、十勝沖地震後の改築後は25坪の小屋風の駅舎が設置されていた。

隣の駅[編集]

雄別炭礦
尺別鉄道線
尺別駅 - 社尺別駅 - 八幡前駅

脚注[編集]

  1. ^ a b c d 寺田裕一 「消えた轍 ローカル私鉄廃線跡探訪 第5回 雄別鉄道・雄別炭礦鉄道尺別鉄道」『Rail Magazine』2002年2月号(No.221)pp.83-96

参考文献[編集]

  • 尺別鉄道 50年の軌跡 大谷正春著
  • 寺田裕一 「消えた轍 ローカル私鉄廃線跡探訪 第5回 雄別鉄道・雄別炭礦鉄道尺別鉄道」『Rail Magazine』2002年2月号(No.221)pp.83-96

関連項目[編集]

外部リンク[編集]

国土地理院 地図・空中写真閲覧サービス
国鉄尺別駅北側に隣接する岐線からカーブを描いて尺別炭山へ向かう雄別炭礦尺別鉄道線。そのカーブが当駅構内に当たり、その外側の尺別駅に近い方に見える黒い建屋が本屋で駅前が少し広くなっている。尺別駅からは非常に細い道で連絡している。構内北側の機回し線からは旧転車台付近に試験的に作られた岩粉工場への引込線が見える。この引込線は参考資料では工場のために敷かれたとされているが、1944年(昭和19年)撮影航空写真でも同じ位置に確認でき(がら捨て線?)、第二次世界大戦末期に一旦撤去された後、同じ軌盤の上に再敷設されたものと思われる。またこの1944年の写真では、転車台から当駅構内機回し線へ接続していた線も認められる。
岩粉工場とその引込線は跡形も無くなっている。ホームの影がはっきり見える。
廃止2年前の姿。相変わらず尺別駅からの連絡道は細い。