石田よし宏
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石田 よし宏(いしだ よしひろ、1924年(大正13年)11月20日 - 2015年(平成27年)5月14日)は、日本の俳人。栃木県宇都宮市出身。宇都宮農林専門学校(現宇都宮大学農学部)農業経済学科卒業。本名は石田 榮宏(いしだ よしひろ)。
現代俳句協会に所属した俳句作家(本人は俳人ではなく俳句作家という肩書きを好んで使っていた)で、作品は前衛的な俳句、難解俳句と評される。評論も得意とし、『月々のことば』と称する俳句の評論を、毎月はがきで発行し、ライフワークとなっていた。
20代で作句を始め、俳誌「風」、「鬼怒」(創刊同人)、「鷹」を経て、平成12年「地祷圏」創刊・代表就任。平成21年通信句会『統』発足・主宰就任。
代表作に『人ごゑのごとく雨降る稲架明かり』(昭和52年俳句研究社主催全国俳句大会特選句)、『美しき稲妻となり遠ざかる』(平成21年句碑建立句)などがある。
略歴
[編集]- 昭和20年 宇都宮農林専門学校農業経済学科(現・宇都宮大学農学部)卒業。同校綜合農場に勤務するが肺結核・股関節カリエス発病により石橋病院に入院。当時主治医であった木村三男(俳誌「風」同人)に俳句を師事した。(以後石橋病院に9年間入院)。
- 昭和29年 石橋病院退院、栃木市に転居。トミ(随筆家・元國學院栃木短期大学教授)と結婚。
- 昭和33年 謄写版印刷(のちのイシダ印刷有限会社)を始める。栃木県俳句研究誌「鬼怒」創刊同人。長女誕生。
- 昭和48年 栃木県俳句作家協会設立に参加。
- 昭和50年 栃木県芸術祭俳句部門審査員、栃木県芸術祭運営委員、栃木市俳句協会設立に参加。
- 昭和61年 山本有三記念会設立に参加。
- 昭和62年 とちぎ蔵の街第九の会設立に参加・初代事務局長就任(〜平成2年)。
- 平成元年 栃木市俳句協会会長就任(〜平成18年)、栃木県現代俳句協会設立・会長就任(〜平成21年)。
- 平成朝日新聞栃木俳壇・選者就任(〜平成24年)。 3年
- 平成 5年 旧栃木社会保険健康センター『ペアーレ』俳句講座・講師就任。
- 平成 6年 栃木市文化協会会長就任(〜平成13年)。
- 平成11年 蕪村結城賞全国俳句大会・選者就任。
- 平成12年 全国ふきわれ俳句大会・選者就任。
- 平成14年 俳句同人誌「地祷圏」創刊・代表就任。
- 平成20年 旧栃木駅舎保存会を設立(平成16年移転完了)、俳誌「鬼怒」創刊50周年・終刊記念号発行。
- 平成21年 通信句会『統』発足・主宰就任。栃木県現代俳句協会名誉会長就任、栃木県現代俳句協会により、栃木市に句碑建立。
代表句
[編集]- 『人ごゑのごとく雨降る稲架明かり』
- 『美しき稲妻となり遠ざかる[1]』
- 『氷壁は女の誘ひかも知れぬ』
- 『わがたましいひ一つにあらず青芒』
- 『路地ごとに冬濤荒るる出雲崎』
- 『枯れ切つてピカソの天地左右かな』
- 『翔びさうな孫のまはりを銀杏散る』
- 『炎天の幹に父居る普段かな』
- 『蛇穴を出てたましひの集まる樹』
- 『とぶ鳥が青空のきず春欅』
- 『無縁死といふあこがれよ遠雪嶺』ほか
受賞歴
[編集]- 栃木県俳句作家協会賞・S賞受賞(昭和51年)
- 俳句研究社主催全国俳句大会特選(昭和52年)
- 栃木県知事表彰(自立更生)(昭和56年)
- 早野巴人顕彰全国俳句大会大賞受賞(平成2年)
- 現代俳句協会50周年記念功労賞受賞(平成9年)
- 厚生大臣表彰(自立更生)(平成11年)
著書
[編集]- 第一句集「炎天の幹」(昭和57年)
- 第二句集「宙間」(平成元年)
- 評論集「月々のことば」(平成8年)
- 第三句集「選者吟」(平成11年)
- 朝日新聞栃木俳壇「選評集」(平成12年)
- 第四句集「微光」上梓(平成13年)
- 評論集「月々のことば」第二集上梓(平成13年)
- 評論集「月々のことば」第三集上梓(平成20年)
- 朝日新聞栃木俳壇「選評集」II・III(平成21年)
【地祷圏 創刊の辞より】格を破る 石田よし宏
[編集]面白い俳句とは一体何なのだろう。「俳句は破格の詩」であると言う。自分の格を破ることに俳句の存在価値があるというのである。自己模倣・類型類想からの脱却と言い換えてもいい。それが、取りも直さず面白い俳句の原点につながることに間違いはない。『地祷圏』とは、私たちの敬愛する宗左近氏が、縄文の大地に祈る下野の風土に対して命名されたものである。私は、この『地祷圏』という名の圧倒的な存在感に血が躍った。縄文の大地に祈る下野びとの自覚に感動した。今ここに、詩的環境を共有する私たち二十七名の同士が一堂に会し、格を破るエネルギーについて、論議すべき絶好のチャンスに恵まれた。
栃木市における文化活動
[編集]俳句以外の文化活動にも積極的で、昭和50年山本有三記念会設立、昭和54年栃木市文化団体連絡協議会設立、昭和61年とちぎ蔵の街第九の会設立(初代事務局長)、平成5年栃木市文化協会会長、平成14年旧栃木駅舎保存会設立(平成16年に移築保存成功)など、他方面にわたり多くの文化団体の設立に関わり、役職を歴任するなど、常に中心にあり、地域文化向上に尽力した。
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ “美しき稲妻となり遠ざかる 石田よし宏 評者: 和田浩一”. 現代俳句協会. 2020年8月28日閲覧。