目沼古墳群

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目沼古墳群
目沼浅間塚古墳(2013年9月)
所在地 埼玉県北葛飾郡杉戸町目沼
位置 北緯36度03分4.7秒 東経139度47分8.0秒 / 北緯36.051306度 東経139.785556度 / 36.051306; 139.785556座標: 北緯36度03分4.7秒 東経139度47分8.0秒 / 北緯36.051306度 東経139.785556度 / 36.051306; 139.785556
規模 20基
築造時期 6世紀
史跡 目沼浅間塚古墳(10号墳)1991年(平成3年)12月27日町指定
有形文化財 9号墳出土品1988年(昭和63年)2月26日県指定
特記事項 埼玉県選定重要遺跡(目沼浅間塚古墳)1976年(昭和51年)10月1日
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目沼古墳群の位置(埼玉県内)
目沼古墳群
目沼古墳群
埼玉県内の位置
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目沼古墳群(めぬまこふんぐん)は、埼玉県北葛飾郡杉戸町目沼にある古墳群である。

概要[編集]

千葉県埼玉県を流れる江戸川の西、下総台地の北西端、標高10メートルに立地する。かつて、前方後円墳3基を含む70基余の古墳が所在し、その数の多いことから地元の人々は「九十九塚」と呼んでいた。

しかし現在所在が確認されている古墳は20基、そのうち墳丘の残る古墳は目沼3号墳、目沼浅間塚古墳(10号墳)、17号墳の3基のみである。

主な古墳[編集]

  • 目沼2号墳
    推定全長43メートルの前方後円墳。1807年(文化4年)に地主の助右衛門によって石棺が掘り出された。この石棺は代官の命により再び埋め戻され、そのことを記した石碑が建立されている。1926年(昭和元年)に石室が取り壊された際に大刀片が出土している。
  • 目沼9号墳
    径24.6メートル・高さ3.5メートルの円墳。主体部は木炭槨で、長さ4.65メートル・幅1.1メートル。副葬品は大刀1、鉄鏃23、刀子1、ちょう子1、三鈴杏葉3、素環雲珠1、土師器出土。6世紀前半の築造。出土品は1988年(昭和63年)2月26日付けで県指定有形文化財に指定された[1]
  • 目沼浅間塚古墳(目沼10号墳)
    現存する墳丘は直径28メートル・高さ2メートルで円墳のような形をしているが、1991年(平成3年)の発掘調査で、全長46メートル以上・後円部径30.4メートル・高さ5メートルの前方後円墳であることが判明した。周溝から出土した円筒埴輪・形象埴輪(人物・馬・家)から、6世紀前半の築造とみられる。また、東側くびれ部から6世紀前半の円筒埴輪棺が発掘された。1991年(平成3年)12月27日付けで杉戸町の史跡に指定された[2]。また、1976年(昭和51年)10月1日付けで埼玉県選定重要遺跡に選定された[3]

脚注[編集]

  1. ^ 杉戸町住民参加推進課 (2007年11月1日). “地域の宝物 将来に伝えよう文化財(広報すぎと11号)”. 杉戸町. 2020年11月25日閲覧。
  2. ^ 杉戸町社会教育課 (2008年2月25日). “目沼浅間塚古墳”. 杉戸町. 2020年11月25日閲覧。
  3. ^ 県選定重要遺跡”. 埼玉県 (2020年3月2日). 2020年11月25日閲覧。

参考文献[編集]

  • 塩野博 『埼玉の古墳 北埼玉・南埼玉・北葛飾』pp495-512 さきたま出版会、2004年

関連項目[編集]

外部リンク[編集]