皇甫和

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皇甫 和(こうほ わ、生没年不詳)は、中国東魏から北斉にかけての人物。は長諧。本貫安定郡朝那県[1][2][3]

経歴[編集]

皇甫徽と夏侯氏のあいだの子として生まれた[1][3]。11歳のとき父を失い、母の夏侯氏に育てられて、経書を学んだ。成長すると、礼儀に通暁し、占いをおこなって、多くの人々がかれに訊ね事のために訪れた[4][3]。東魏のころ、弟の皇甫亮裴譲之裴諏之らとともに洛下で名を知られた[5][1][6]武定末年、司空司馬となった[2]済陰郡太守として死去した[4][3]

子に皇甫聿道があった[3]

脚注[編集]

  1. ^ a b c 北斉書 1972, p. 467.
  2. ^ a b 魏書 1974, p. 1592.
  3. ^ a b c d e 北史 1974, p. 1394.
  4. ^ a b 北斉書 1972, p. 468.
  5. ^ 氣賀澤 2021, p. 449.
  6. ^ 北史 1974, p. 1385.

伝記資料[編集]

参考文献[編集]

  • 氣賀澤保規『中国史書入門 現代語訳北斉書』勉誠出版、2021年。ISBN 978-4-585-29612-6 
  • 『北斉書』中華書局、1972年。ISBN 7-101-00314-1 
  • 『魏書』中華書局、1974年。ISBN 7-101-00313-3 
  • 『北史』中華書局、1974年。ISBN 7-101-00318-4