皆川城

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ナビゲーションに移動 検索に移動
logo
皆川城
栃木県
皆川城址
皆川城址
別名 法螺貝城
城郭構造 山城
築城主 皆川宗員[1]
または 皆川秀光[2]
築城年 寛喜年間(1229年 - 1232年[1]
または応永元年(1394年[2]
主な城主 皆川氏
廃城年 天正18年(1590年
遺構 土塁、空堀
指定文化財 市指定史跡[3]
位置
地図
皆川城の位置(栃木県内)
皆川城
皆川城

皆川城(みながわじょう)は、下野国都賀郡皆川(現在の栃木県栃木市皆川城内町)にあった中世日本の城である。

歴史・沿革[編集]

皆川氏の居城で、螺旋状にできていることから「法螺貝城」(ほらがいじょう)とも呼ばれる[1]

築城年代は諸説あり、寛喜年間(1229年~1232年)に皆川宗員によって築かれた[1]とも、応永元年(1394年)に皆川秀光によって築かれた[2]とも言われる。

皆川氏は戦国時代に入ると、北の鹿沼城を攻略した宇都宮氏から圧力を受け、従属と離反を繰り返した。

天正18年(1590年)の小田原征伐では、皆川広照北条氏に与して小田原城へ篭城したため、皆川城は豊臣方の上杉景勝勢に攻められ、4月8日に降伏した(戦わずに明け渡したという説もある)[2]。しかし、広照は小田原城包囲直後に脱出して徳川家康の陣所に駆け込み、家康の取り成しによって豊臣秀吉に所領を安堵された[1][2]。翌年、広照は本拠を栃木城に遷し[1]、皆川城は廃城となった。

昭和39年(1964年5月、皆川城址は市指定史跡となり、栃木市が管理している[1]。現在、標高147mの城山[1]に公園が整備されている[3]

関連項目[編集]

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e f g h 栃木市教育委員会 『とちぎガイドブック』 栃木市、2014年、36頁。
  2. ^ a b c d e 下野新聞社 『栃木の城』 下野新聞社、1975年、247-250ページ。
  3. ^ a b 皆川城址公園”. 栃木市. 2017年3月27日閲覧。

外部リンク[編集]

  • 皆川城址”. 栃木市観光協会. 2017年3月28日閲覧。