的真噛

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的 真噛(いくは の まくい、生没年不詳)は、飛鳥時代の人物。

記録[編集]

的氏は、的戸田宿禰の起源説話から窺われるように、軍事により朝廷に仕えることを特色とした氏族で、大化以前には、大王の側近や朝廷の警衛にあたっていた。

用明天皇2年(587年)4月の用明天皇の崩御により[1]皇位は一時的に空位となる。有力な皇位継承者である穴穂部皇子大連物部守屋と手を組むが、大臣蘇我馬子は先手を打って、先々代の大王である敏達天皇の大后の炊屋姫の勅命を奉じ、佐伯丹経手土師磐村とともに、的真噛に、

「汝等(いましら)、兵(いくさ)を厳(よそ)ひて速(すみやか)に往(ゆ)きて、穴穂部皇子と宅部皇子(やかべのみこ)とを誅殺(ころ)せ」

と告げた。その日の夜半、彼らは穴穂部皇子の宮を囲み、衛士を用いて穴穂部皇子を殺した[2]。翌8日には穴穂部皇子と仲の良かった宅部皇子も殺害している[3]

的真噛の名前が登場するのは、この場面のみである。この事件により、蘇我氏と物部氏の直接の抗争がはじまる。

脚注[編集]

  1. ^ 『日本書紀』用明天皇2年4月9日条
  2. ^ 『日本書紀』崇峻天皇即位前紀(用明天皇2年)6月7日条
  3. ^ 『日本書紀』崇峻天皇即位前紀(用明天皇2年)6月8日条

参考文献[編集]

関連項目[編集]