百瀬清治
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百瀬 清治(ももせ せいじ、文久3年5月17日[1](1863年7月2日)- 昭和18年(1943年)4月7日[2])は、日本の政治家。衆議院議員。
来歴
[編集]信濃国筑摩郡平田村(現長野県松本市)生まれ。武居用拙の猶興塾に学び、東京専修学校を卒業。明治22年(1889年)芳川村会議員、同24年(1891年)東筑摩郡会議員、同26年(1893年)長野県会議員となり、議長も務めた。同42年(1909年)芳川村長となり、大正6年(1917年)第13回衆議院議員総選挙に当選した。
長野県の県道七路線開削事業のうち、松本・上田間の第二線路(現国道143号)の完成や、牛伏川の砂防工事などに功績があった。また扶桑銀行頭取、信濃民報社社長なども務めた。
脚注
[編集]出典
[編集]- 『東筑摩郡・松本市・塩尻市誌 別篇 人名』1982年。
- 『長野県歴史人物大事典』郷土出版社、1989年。
- 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。