田原村 (兵庫県)
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たわらむら 田原村 | |
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廃止日 | 1956年5月3日 |
廃止理由 |
新設合併 田原村、八千種村、福崎町 → 福崎町 |
現在の自治体 | 福崎町 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 近畿地方 |
都道府県 | 兵庫県 |
郡 | 神崎郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
面積 | 9.68 km2. |
総人口 |
5,757人 (国勢調査、1955年) |
隣接自治体 | 福崎町、神南町、香寺町、市川町、八千種村 |
田原村役場 | |
所在地 | 兵庫県神崎郡田原村大字西田原 |
座標 | 北緯34度57分01秒 東経134度45分37秒 / 北緯34.95033度 東経134.76025度座標: 北緯34度57分01秒 東経134度45分37秒 / 北緯34.95033度 東経134.76025度 |
ウィキプロジェクト |
田原村(たわらむら)は、兵庫県神崎郡にあった村。現在の福崎町の中心部、市川の左岸にあたる。
地理
[編集]- 河川:市川
歴史
[編集]- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制の施行により、神東郡西田原村・東田原村・南田原村の区域をもって発足。
- 1896年(明治29年)4月1日 - 所属郡が神崎郡に変更。
- 1956年(昭和31年)5月3日 - 八千種村・福崎町と合併し、改めて福崎町が発足。同日田原村廃止。
人口
[編集]『伝家之宝典 自治団体之沿革 兵庫県之部』(1932年出版)によれば戸数・人口は747・3904[1]。
経済
[編集]産業
[編集]- 農業、商工業
穀菜の栽培に適していた[1]。米、麦、莚、瓦、酒、葉煙等が主な物産である[1]。松茸は重要産物である[1]。『大日本篤農家名鑑』によれば、田原村の篤農家は梶原、牛尾、藤川姓の人物がいた[2]。
- 金融機関
- 中播銀行田原支店[1]
- 企業
- 中播家畜定市場[3]
地主
[編集]地域
[編集]教育
[編集]交通
[編集]道路
[編集]現在は旧村域に中国自動車道・播但連絡道路の福崎インターチェンジが所在するが、当時は未開通。
出身・ゆかりのある人物
[編集]- 牛尾彦十郎(篤農家[2]、中播銀行監査役[5])
- 牛尾安麿(篤農家[2]、市川製紙社長[6])
- 古河和一郎(計理士、衆議院議員)[7]
- 松岡映丘(日本画家)
- 松岡静雄(軍人、言語学者)
- 柳田國男(民俗学者)
脚注
[編集]- ^ a b c d e f g 『伝家之宝典 自治団体之沿革 兵庫県之部』302 - 303頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2016年6月29日閲覧。
- ^ a b c 『大日本篤農家名鑑』129頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2016年2月15日閲覧。
- ^ 『日本全国諸会社役員録 明治44年』兵庫県 上編539頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2022年1月6日閲覧。
- ^ 『日本現今人名辞典』は69、う25頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年3月18日閲覧。
- ^ 『人事興信録 第9版』ウ48頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2016年2月15日閲覧。
- ^ 『日本全国諸会社役員録 第38回』上編676 - 677頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2017年12月16日閲覧。
- ^ 『衆議院議員略歴 第1回乃至第19回』303頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2021年9月26日閲覧。
参考文献
[編集]- 商業興信所編『日本全国諸会社役員録 明治44年』商業興信所、1893 - 1911年。
- 『日本現今人名辞典』日本現今人名辞典発行所、1903年。
- 大日本篤農家名鑑編纂所編『大日本篤農家名鑑』大日本篤農家名鑑編纂所、1910年。
- 商業興信所編『日本全国諸会社役員録 第38回』商業興信所、1930年。
- 人事興信所編『人事興信録 第9版』人事興信所、1931年。
- 篠田皇民『伝家之宝典 自治団体之沿革 兵庫県之部』東京都民新聞社地方自治調査会、1932年。
- 衆議院事務局編『衆議院議員略歴 第1回乃至第19回』衆議院事務局、1936年。
- 『角川日本地名大辞典 28 兵庫県』。