王辯那

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王 辯那
各種表記
ハングル 왕변나
漢字 王 辯那
発音: ワン・ビョンナ
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王 辯那(ワン・ビョンナ、朝鮮語: 왕변나生没年不詳)は、百済の「長史」として対隋外交を担当した官吏外交官[1]百済威徳王代に活躍する。中国系の百済人[1][2][3]。官職は長史[1]

概要[編集]

百済は、対中国外交に中国系の百済人を多用するが、王辯那も同様のケースとみられる[1]598年、王辯那は百済の長史としてに派遣され、隋が高句麗を攻撃した場合、百済が協力するという百済威徳王の意思を伝達した。その際、王辯那は隋から歓待された[1]

百済武王代に対隋外交を担当した百済の最高位の官職佐平」を保持する王孝隣は、王辯那の親族とみられる[1]

脚注[編集]