王済 (前燕)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

王 済(おう さい、生没年不詳)は、五胡十六国時代前燕の人物。勃海郡の出身。

生涯[編集]

鮮卑慕容部の大人慕容廆に仕え、長史に任じられていた。

建武元年(317年)3月、晋王司馬睿の勧進のため、建康へ遣わされた。

咸和8年(333年)7月[1]、慕容廆が亡くなったことを告げるため、建康へ遣わされた。8月、遼東へ帰還した。

これ以後の事績は、史書に記されていない。

脚注[編集]

  1. ^ 『十六国春秋』巻24 慕容皝では、6月と記されている。

参考文献[編集]