コンテンツにスキップ

検索結果

(前の20件 | ) (20 | 50 | 100 | 250 | 500 件) を表示
  • 富山県のサムネイル
    富山県(とやまけん)は、日本の中部地方に位置する県。県庁所在地は富山市。 中部地方の日本海側、新潟県を含めた場合の北陸地方のほぼ中央にある。 富山県は、北方を日本海(大半は富山湾)、他三方を山脈で区切られている。令制国の越中国と領域を同じくする。 東の新潟県との県境は難所親不知として知られる。長野県…
    187キロバイト (29,478 語) - 2024年6月30日 (日) 09:17
  • 越中国のサムネイル
    越中国(えっちゅうのくに)は、かつて日本の地方行政区分であった令制国の一つ。北陸道に属し、現在の富山県に属する。 5世紀代に設置された西部の伊彌頭国造・利波氏や東部の鳥取部氏族[要出典]の領域が律令制の施行に伴って統合された。 7世紀末には、越国(高志国)が分割されており、後の越前国、越中
    25キロバイト (4,430 語) - 2024年5月23日 (木) 12:53
  • 富山市のサムネイル
    富山県立中央農業高等学校 富山県立富山高等学校 富山県立富山いずみ高等学校 富山県立富山工業高等学校 富山県立富山商業高等学校 富山県立富山中部高等学校 富山県立富山西高等学校 富山県立富山東高等学校 富山県立富山北部高等学校 富山県立富山南高等学校 富山県立水橋高等学校 富山県立八尾高等学校 富山県立雄峰高等学校…
    131キロバイト (15,052 語) - 2024年7月2日 (火) 11:08
  • 富山の売薬(とやまのばいやく)とは、古くから富山県(旧越中国)を拠点としてきた医薬品配置販売業の通称である。「越中富山の薬売り」とも呼ばれる。 薬種商の始まりは室町時代とされる。中原康富の『康富記』(1455年)の1453年5月2日(6月17日)の条に「諸薬商買の千駄櫃申し間事談合とするなり。薬売…
    19キロバイト (3,104 語) - 2024年2月9日 (金) 03:03
  • 富山城のサムネイル
    富山城(とやまじょう)は、越中国新川郡富山(現在の富山富山市丸の内)にあった日本の城(平城)。「浮城(うきしろ)」「安住城(あずみじょう)」ともいわれた(ただし、安住城は富山城とは別の城であるとする説もある)。続日本100名城の一つである。とやま城郭カードNo.16。…
    51キロバイト (8,602 語) - 2024年6月16日 (日) 12:38
  • 富山市安養坊(市電呉羽終点)と新湊を結ぶ富新電気軌道の計画を一本化し、1922年(大正11年)12月26日に、射水電気軌道の名前で富山駅 - 新伏木口駅(現六渡寺駅)間の軌道敷設特許を受け、1923年(大正12年)2月20日に越中
    40キロバイト (4,276 語) - 2024年7月19日 (金) 13:52
  • 前田利次 (カテゴリ 富山藩主)
    利次(まえだ としつぐ)は、越中富山藩の初代藩主。富山藩前田家の始祖。 元和3年(1617年)4月29日、加賀藩主・前田利常の次男として金沢で生まれる。寛永8年(1631年)に元服し、従四位下、侍従に叙任された。 寛永16年(1639年)6月20日、利常から10万石を分与されて支藩である富山
    4キロバイト (420 語) - 2023年10月5日 (木) 11:15
  • 富山藩(とやまはん)は、江戸時代に越中国の中央部(おおむね神通川流域)を領有した藩である。石高は10万石、加賀藩の支藩であった。藩主は前田家で、家名は松平出雲守、家格は従四位下・大広間詰・外様・準国主。藩庁は富山城(富山市)。家紋は宗家の剣梅鉢に対して丁字梅鉢紋を使用した。…
    14キロバイト (2,318 語) - 2024年6月20日 (木) 00:15
  • 前田正甫 (カテゴリ 富山藩主)
    側室:中川氏 生母不詳の子女 女子:前田帯子 ^ 富山市史編纂委員会編 『富山市史 第三巻』富山市、1960年、p.679 ^ 富山市史編集委員会編『富山市史第二巻』p125 富山史編集委員会 1960年 ^ 富山市史編集委員会編『富山市史第三巻』p518 富山史編集委員会 1960年 『越中史料』…
    7キロバイト (968 語) - 2024年7月15日 (月) 00:45
  • 富山地方鉄道のサムネイル
    富山電気鉄道(本線 電鉄富山 - 電鉄黒部間・立山線 寺田 - 岩峅寺間) 加越鉄道(加越線) 富山県営鉄道(上滝線、立山線 岩峅寺 - 立山間) 黒部鉄道(本線 電鉄黒部 - 宇奈月温泉間) 越中鉄道(射水線) 富山市営軌道(富山軌道線) それ以前に、富山電気鉄道は以下の3社を合併している。…
    129キロバイト (17,517 語) - 2024年7月15日 (月) 06:15
  • 富山弁のサムネイル
    富山弁(とやまべん)は、富山県で話されている日本語の方言である。北陸方言の一種。旧国名の越中から越中方言(えっちゅうほうげん)などとも呼ばれる。 富山県は北を日本海に面し、東には天然の要害である親不知や飛騨山脈が交通を遮っているため、富山弁は西日本方言の東限にあたる方言である。文化圏も西日本に属す…
    27キロバイト (4,029 語) - 2024年5月18日 (土) 04:53
  • 前田氏 (カテゴリ 富山市の歴史)
    尾張荒子・加賀前田家(宗家) ^ 滝川益氏の子?、利久正室の甥もしくは弟。 ^ 富山藩主・利聲の三男。 ^ 宗家・斉泰の子。 ^ 七日市藩主・利昭の五男。 越中富山前田家 太字は当主、実線は実子、点線(縦)は養子、点線(横)は婚姻関係。(藤原氏利仁流とする場合) 越中富山前田家 ^ 大聖寺藩主・利道の子。 ^ 宗家・斉泰の子。…
    44キロバイト (3,770 語) - 2024年6月28日 (金) 03:58
  • 前田利保 (カテゴリ 富山藩主)
    前田 利保(まえだ としやす)は、越中富山藩の第10代藩主。 寛政12年(1800年)2月28日、第8代藩主・前田利謙の次男として江戸で生まれる。享和元年(1801年)に父が死去したときには2歳だったために家督を継げなかった。文化8年(1811年)閏2月5日、第9代藩主・利幹の養子となる。天保6年(…
    10キロバイト (1,560 語) - 2023年7月29日 (土) 07:26
  • 前田利幹 (カテゴリ 富山藩主)
    前田 利幹(まえだ としつよ)は、越中富山藩の第9代藩主。 明和8年(1771年)11月28日、加賀大聖寺藩の第5代藩主・前田利道の八男として江戸で生まれる。享和元年(1801年)に富山藩の第8代藩主・前田利謙が死去したとき、次男の利保が2歳の幼年だったため、利謙の養子として迎えられ、家督を継いだ。…
    7キロバイト (872 語) - 2023年7月5日 (水) 02:05
  • 富山新聞のサムネイル
    本社(北國新聞社 富山本社) 富山富山市大手町5番1号 支社 高岡 総局 魚津 氷見 砺波 支局 1923年5月1日 - 中越附録が創刊。当時の本社所在地は高岡市一番町。 1924年1月1日 - 中越附録を越中新聞に改題。 1940年8月1日 - 休刊。 1946年3月11日 - 越中新聞復刊し、富山
    12キロバイト (1,217 語) - 2024年6月1日 (土) 15:17
  • 前田利聲のサムネイル
    前田利聲 (カテゴリ 富山藩主)
    前田 利聲(まえだ としかた)は、越中富山藩の第12代藩主。 天保6年(1835年)2月17日、第10代藩主・前田利保の七男として江戸で生まれる。嘉永6年(1853年)12月19日、同母兄で第11代藩主の利友の養子となり、12月20日に兄が死去したため、嘉永7年(1854年)2月12日に家督を継ぐ。…
    6キロバイト (724 語) - 2022年12月8日 (木) 13:42
  • 前田利興 (カテゴリ 富山藩主)
    前田 利興(まえだ としおき)は、越中富山藩の第3代藩主。 延宝6年(1678年)5月27日、第2代藩主・前田正甫の次男として富山で生まれる。宝永3年(1706年)に父が死去したため、家督を相続する。藩主となってから財政再建を主とした藩政改革に着手し、60名の藩士のリストラ、年貢連帯責任制の強化、奢…
    6キロバイト (804 語) - 2024年7月21日 (日) 06:45
  • 前田利隆 (カテゴリ 富山藩主)
    前田 利隆(まえだ としたか)は、越中富山藩の第4代藩主。 元禄3年(1690年)11月11日、第2代藩主・前田正甫の五男として富山で生まれる。宝永2年(1705年)11月27日に元服する。宝永3年(1706年)8月21日、兄で第3代藩主の利興から150人扶持の知行を与えられる。享保9年(1724…
    4キロバイト (299 語) - 2024年1月19日 (金) 12:03
  • 前田利謙 (カテゴリ 富山藩主)
    前田 利謙(まえだ としのり)は、越中富山藩の第8代藩主。 明和4年(1767年)12月22日、第6代藩主・前田利與の長男として江戸で生まれる。天明7年(1787年)8月6日に従兄である第7代藩主・利久の養子となり、同年に利久が死去したため家督を継いだ。 天明8年(1788年)3月28日、幕命により…
    3キロバイト (242 語) - 2024年1月19日 (金) 12:07
  • 前田利同のサムネイル
    前田利同 (カテゴリ 富山藩主)
    としあつ)は、幕末の大名で、越中富山藩の第13代(最後)の藩主、官僚。のち伯爵。 安政3年(1856年)6月27日、加賀藩主・前田斉泰の十一男として江戸で生まれる。富山藩では第12代藩主・前田利聲と隠居していた父の利保が改革をめぐって対立していたが、その争いは利保に斉泰が味方したことで利保の勝利に終わり、利聲は富山
    5キロバイト (571 語) - 2023年11月4日 (土) 12:52
  • 二 前掲停車場中取扱範圍ニ制限アルモノ左ノ如シ (一)集貨及配達ノ取扱ノミヲ爲サザル停車場  富山口、下奥井、城川原、岩瀬濱 (二)旅客及手荷物ニ限リ取扱ヲ爲ス停車場但シ配達ノ取扱ヲ爲サズ  越中中島、蓮町、大廣田 (三)車扱貨物ニ限リ取扱ヲ爲ス停車場  富山港、奥田 三 運賃其ノ他ノ運送條件ハ省ノ定ムルトコロニ依ル
  • 長岡弁 上越弁 ギア方言(岐阜・愛知) 美濃弁 飛騨弁 尾張弁・名古屋弁(広義) 名古屋弁(狭義) 知多弁 三河弁 八丈方言 北陸方言 佐渡弁 富山弁/越中弁 金沢弁 白峰弁 加賀弁 能登弁 福井弁 近畿方言/関西弁 大阪弁 船場言葉 泉州弁 河内弁 摂津弁 京言葉/京都弁 町言葉 花街言葉 御所言葉
  • 古代日本の地名。現在の福井県東部から石川県・富山県・新潟県・山形県南部一帯。古くは、「こし」の音に「高志」の文字が当てられていたが、後に「越」が当てられ、音で「えつ(漢音 呉音は"えち")」とも称された。7世紀末に、南から越前(のちの加賀、能登を含む)・越中・越後(出羽の一部を含む)に分割された。 主に新潟県地域の雅語的表現。
  • 富山県に関する引用句、諺。越中とも呼ばれる。 <春>ゆらぐつり橋 手に手をとりて 渡る井田川 オワラ 春の風 <夏>富山あたりか あのともしびは とんで行きたや オワラ 灯(ひ)とり虫 <秋>八尾坂道 わかれてくれば 露か時雨か オワラ はらはらと <冬>もしやくるかと 窓押しあけて 見れば立山 オワラ
(前の20件 | ) (20 | 50 | 100 | 250 | 500 件) を表示