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  • 赤橋 登子(あかはし とうし / なりこ、徳治元年(1306年) - 貞治4年5月4日(1365年5月25日))は、鎌倉時代から南北朝にかけての女性。室町幕府初代将軍・足利尊氏の正室。 北条氏一族では得宗家に次ぐ高い家格を有した赤橋家の出身。北条久時の娘。兄には、鎌倉幕府の最後の執権となった守時、最後の鎮西探題となった英時などがいる。…
    9キロバイト (1,344 語) - 2024年6月19日 (水) 14:30
  • 北条守時のサムネイル
    北条守時 (赤橋守時からのリダイレクト)
    - 正慶2年/元弘3年5月18日(1333年6月30日))。赤橋 守時(あかはし もりとき)とも呼ばれる。 鎌倉幕府第6代執権・北条長時の曾孫にあたる。父は赤橋流の北条久時。同幕府を滅ぼし、室町幕府初代将軍となった足利尊氏は妹登子の婿(義弟)にあたる。 永仁3年(1295年)、北条久時の子として誕生した。…
    8キロバイト (1,062 語) - 2024年6月4日 (火) 13:41
  • 足利尊氏のサムネイル
    足利尊氏 (カテゴリ 室町幕府の征夷大将軍)
    してのことと考えられる。。15歳での叙爵は北条氏であれば得宗家・赤橋家に次ぎ、大仏家・金沢家と同格の待遇であり、北条氏以外の御家人に比べれば圧倒的に優遇されていた。そして北条氏一族の有力者であった赤橋流北条氏の赤橋(北条)守時の妹・赤橋登子を正室に迎える。その後、守時は鎌倉幕府の執権となる。元弘元年…
    98キロバイト (15,780 語) - 2024年6月25日 (火) 17:57
  • 北条久時 (赤橋久時からのリダイレクト)
    北条 久時(ほうじょう ひさとき)は、鎌倉時代後期の北条氏の一門。父は赤橋流の北条義宗。赤橋 久時(あかはし ひさとき)とも。 弘安3年(1280年)、執権・北条時宗の命を受けて河内・信濃・日向・紀伊・摂津の5カ国を兼ねる守護となった。 永仁元年(1293年)3月、六波羅探題北方に任じられる。…
    6キロバイト (660 語) - 2024年3月9日 (土) 15:33
  • 5月21日(貞治4年/正平20年4月30日) - 今川範氏、鎌倉時代、南北朝時代の駿河国の守護大名(* 1316年) 5月25日(貞治4年/正平20年5月4日) - 赤橋登子、室町幕府初代将軍足利尊氏の正室(* 1306年) 7月27日 - ルドルフ4世、ハプスブルク家のオーストリア大公(* 1339年) 9月28日(貞治4年/正平20年9月13日)…
    4キロバイト (701 語) - 2020年4月6日 (月) 07:06
  • 足利義詮 (カテゴリ 室町幕府の征夷大将軍)
    足利 義詮(あしかが よしあきら)は、室町時代(南北朝時代)の室町幕府第2代征夷大将軍。初代将軍足利尊氏の三男。母は鎌倉幕府最後の執権・北条守時の妹で正室・赤橋登子(登子の子としては長男)。姓名は源義詮。 正慶2年(1333年)、伯耆国船上山にて挙兵した後醍醐上皇討伐のために父・高氏(尊氏)が鎌倉…
    25キロバイト (3,422 語) - 2024年6月11日 (火) 13:03
  • 北条英時のサムネイル
    北条英時 (赤橋英時からのリダイレクト)
    鎮西探題(在任:元亨元年12月25日(1322年1月13日) - 正慶2年/元弘3年5月25日(1333年7月7日))。父は赤橋流の北条久時。幕府最後の執権・北条守時の弟。赤橋 英時(あかはし ひでとき)とも称される。 元亨元年(1321年)12月25日、阿曾随時の後を受けて鎮西探題に任じられて博多に赴く。…
    5キロバイト (669 語) - 2024年6月11日 (火) 10:14
  • 1306年のカレンダー(ユリウス暦) 3月27日 - ロバート1世がスコットランド王に即位する。 8月8日 - ルドルフ2世、ライン宮中伯(+ 1353年) 赤橋登子、室町幕府初代将軍足利尊氏の正室(+ 1365年) 赤松貞範、鎌倉時代、南北朝時代の武将(+ 1374年) 上杉憲顕、鎌倉時代、南北朝時代の武将、初代関東管領(+…
    3キロバイト (578 語) - 2021年5月19日 (水) 21:51
  • 正親町実子 (カテゴリ 室町・安土桃山時代の后妃後宮)
    )が、これについては花園天皇への恩に報いるものであったとする岩佐美代子や深津睦夫の説がある一方で、実子の異母兄・正親町公蔭の室は赤橋久時の娘・種子で足利尊氏の正室である赤橋登子とは姉妹関係にあり、持明院統(北朝)を存続させるために足利将軍家との関係を強化しようとした光厳上皇の政治的打算があったとする…
    6キロバイト (771 語) - 2020年2月7日 (金) 03:34
  • 北条氏のサムネイル
    安定させることに成功した。3代執権北条泰時は御成敗式目を制定し、幕府の御家人支配をゆるぎないものにした。 北条氏は、得宗と呼ばれる嫡流を中心に名越、赤橋、常葉、塩田、金沢、大仏などの諸家に分かれ、一門で執権、連署、六波羅探題などの要職を独占し、評定衆や諸国の守護の多くも北条一族から送り出した。なお、…
    39キロバイト (5,383 語) - 2024年5月8日 (水) 14:15
  • 足利氏のサムネイル
    足利氏 (カテゴリ 室町幕府)
    んでいた。具体的には、義氏は北条泰時の娘を、泰氏は北条時氏の娘を、頼氏は佐介時盛の娘を、家時は常盤時茂の娘を、貞氏は金沢顕時の娘・釈迦堂殿を、高氏は赤橋久時の娘・登子を、それぞれ正室に迎えた。 このように足利氏の歴代当主は、代々北条氏一門の女性を正室に迎え、その間に生まれた子が嫡子となり、たとえその…
    48キロバイト (5,343 語) - 2024年6月23日 (日) 00:24
  • 足利義満のサムネイル
    足利義満 (カテゴリ 室町幕府の征夷大将軍)
    せ、鹿苑寺(金閣)を建立して北山文化を開花させるなど、室町時代の政治・経済・文化の最盛期を築いた。 邸宅を北小路室町へ移したことにより義満は「室町殿」とも呼ばれた。後代には「室町殿」は足利将軍家当主の呼称となった。歴史用語の「室町幕府」や「室町時代」もこれに由来する。…
    62キロバイト (9,347 語) - 2024年6月24日 (月) 12:37
  • 崇光天皇のサムネイル
    崇光天皇 (カテゴリ 室町・安土桃山時代の天皇)
    の皇子である直仁親王の立太子を望んだ。これは、実は直仁は、光厳上皇と花園法皇の女房である正親町実子との間に産まれた子供であり、家永遵嗣は、直仁の母が赤橋登子(足利尊氏の正室)の遠縁にあたることから、光厳上皇は幕府との関係によって直仁の子孫が皇位を継ぐのが望ましかったためだと論じている。もっとも、赤松…
    17キロバイト (2,314 語) - 2024年6月2日 (日) 09:35
  • 足利直冬のサムネイル
    足利直冬 (カテゴリ 室町幕府探題)
    た、『太平記』(巻32)によれば、直冬は「継母の讒」によって数年にわたって諸所を漂泊しなければならなかったとする記述があるが、これは尊氏の正室である赤橋登子の讒言によって直冬をはじめとする庶子が排除されていたことを指すとされている。 なお、ここまでの「直冬が冷遇されていた」とする記録は『太平記』にし…
    29キロバイト (4,883 語) - 2024年6月7日 (金) 13:01
  • 戸次氏のサムネイル
    大分県大野郡軸丸村、現在の豊後大野市緒方町軸丸 ^ 『系図纂要』の戸次氏系図に基づく。 ^ 大友親秀の子。北条重時より一字拝領か(『系図纂要』に「以赤橋重時縁坐服近北条氏」と記載がある)。 ^ 母は北条重時の娘。得宗/鎌倉幕府執権の北条時宗を烏帽子親とし、鎌倉において元服、その偏諱(「時」の字)を賜う。…
    11キロバイト (1,009 語) - 2024年6月24日 (月) 10:57
  • 足利基氏のサムネイル
    - 正平22年/貞治6年4月26日(1367年5月25日))。後の古河公方の家系の祖でもある。室町幕府初代将軍足利尊氏の四男で、母は正室の赤橋登子(登子の子としては次男)。 足利将軍家の内紛から発展した観応の擾乱が起こると、父尊氏は鎌倉にいた嫡男で基氏の兄義詮に次期将…
    14キロバイト (2,168 語) - 2024年5月20日 (月) 02:17
  • 北条貞将のサムネイル
    元徳2年(1330年)7月11日、六波羅探題退任。7月24日、一番引付頭人に異動。 元弘3年(1333年)5月22日、執権赤橋守時戦死(5月18日)に伴い、北条高時より北条家のあとを託され、相模守を称する。 [脚注の使い方] ^ 『鎌倉・室町人名事典』等では「さだまさ」と読まれてきたが、20世紀末に「さだゆき」であることが確認されている。…
    10キロバイト (1,428 語) - 2024年6月4日 (火) 13:43
  • 太平記 (NHK大河ドラマ) (カテゴリ 室町時代を舞台としたテレビドラマ)
    崎円喜が影で操り専横していた。そんな折、足利高氏は足利家の嫡男として生まれる。成長した高氏は謀反の疑いで幕府に捕縛されるが、義兄の赤橋守時の計らいで釈放される。高氏は赤橋の妹・登子と結婚。帝の側近たちが幕府に一斉検挙され、後醍醐天皇は楠木正成と笠置山で挙兵する。戦いの末、後醍醐天皇は隠岐の島に配流。…
    77キロバイト (11,929 語) - 2024年5月29日 (水) 13:10
  • 東勝寺合戦のサムネイル
    一族で固めた。小袋坂は山側で鎌倉勢の執権・赤橋守時が守るのに対し新田勢は堀口貞満らが攻めた。中央の化粧坂には金沢貞将に対し新田義貞、脇屋義助が率いる主力が攻める。七里ヶ浜に面する海側の極楽寺坂は大仏貞直が守り、大舘宗氏らが攻めた。戦いは膠着し、小袋坂では赤橋守時を自害させたが、極楽寺坂では指揮を執る…
    10キロバイト (1,321 語) - 2024年1月19日 (金) 07:54
  • 実政の子。 金沢種時(1315年 - 1316年) - ※代理。政顕の子。鎮西探題滅亡時に英時らと自害。 阿曾随時(1317年 - 1321年) 赤橋英時(1321年 - 1333年)- 鎌倉幕府第16代執権・北条守時の実弟で、種時の弟・高政の養父でもある。…
    5キロバイト (872 語) - 2023年11月12日 (日) 08:48
  • 安寺へ入らせ給ふへきと、御駕を進めける所に、三浦介か郎等佐保田豊後以下、八幡宮辺赤橋に馳塞り、凱の声をそ上にける、依て御駕を被返、浄智寺へ入御なる、芳伝大に忿て、豊後に近付、以の外狼藉なりとて、荒らゝかに申けれは、赤橋の軍勢引退ぬ、扨こそ事故なく、永安寺に入らせ給ける、   持氏御出家并憲直以下自害の事
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