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検索結果

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  • 三島郡 (新潟県)のサムネイル
    渋海川左岸の区域の通称、菅沼・小坂・袴沢。 ^ 信濃川大河津分水路右岸 ^ 与上町、与中町、与下町、与安永丁、与南新町、与北新町、与中河岸、与下河岸、与中河岸小路、与下新地および与坂下丁、与宮下丁、与船戸丁、与堂前丁、与下横丁、与板蔵小路の各一部。 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編『角川日本地名大辞典』…
    73キロバイト (3,489 語) - 2024年5月7日 (火) 06:17
  • 東経147度18分 / 北緯43.3度 東経147.3度 / 43.3; 147.3でM 7.0の地震が発生し、根室で陶磁器が被害を受けた他、国後島泊村では板蔵の倒壊が発生した。 1893年6月4日(明治26年)に発生。マグニチュード 7.7。根室・厚岸・色丹島では強震で、択捉島では岩石の崩壊があった。色丹島で2〜3m、択捉島で1…
    8キロバイト (895 語) - 2024年5月16日 (木) 05:47
  • 富山市民俗民芸村のサムネイル
    板蔵を、第15代中田清兵衛の米寿の祝いに第16代清兵衛が移築し、中田家が寄付したもので現在は本館となっている。 たいへん大きな板蔵であり、半間(約90cm)間隔に立つ丈夫な柱、大きく張り出した庇、棟木、広い貫など、格調高い造りとなっている。また板蔵
    26キロバイト (3,867 語) - 2024年5月13日 (月) 13:33
  • 報恩郡のサムネイル
    外俗離面が長安面に改称。面内の下開里が開安里に改称。 懐北面が懐仁面に改称。 山外面の山大里が山垈里に改称。 2019年4月1日 - 懐南面の板蔵里が広浦里に改称。(1邑10面) 報恩警察署 報恩消防署 唐津-尚州高速道路 懐仁インターチェンジ - 報恩インターチェンジ - 俗離山インターチェンジ…
    8キロバイト (717 語) - 2024年1月27日 (土) 10:19
  • 春日大社のサムネイル
    慶長18年(1613年)再建。明治時代の神仏分離までは定講廊と呼ばれていた。 板蔵(重要文化財) - 寛永9年(1632年)再建。そもそもは平安時代の康和2年(1100年)に白河法皇によって寄進された一切経蔵である。室町時代から明治時代の神仏分離までは御八講と呼ばれていた。 備殿(そなえどの、後殿) - 本殿のすぐ裏にある。…
    50キロバイト (8,154 語) - 2024年5月8日 (水) 11:33
  • 八雲神社 (八雲町)のサムネイル
    士授産のために士族を移住させたのが起源である。移住者たちはその氏神とするため、翌1879年(明治12年)に故郷の熱田神宮神符と尾張徳川家歴代の神霊を板蔵の二階に祭り、のちに八雲小学校の一室に移し、産土神として崇拝していた。これが八雲神社の起源である。 その後、1885年(明治17年)12月に神殿を新…
    3キロバイト (378 語) - 2023年11月13日 (月) 22:08
  • 長岡市のサムネイル
    上町、与中町、与下町、与安永丁、与南新町、与北新町、与中河岸、与下河岸、与中河岸小路、与下新地および与坂下丁、与宮下丁、与船戸丁、与堂前丁、与下横丁、与板蔵小路の各一部。 ^ 与稲荷町、与片町、与馬場丁、与泉丁、与下丁、与山ノ上丁、与上河岸、与
    232キロバイト (13,538 語) - 2024年5月21日 (火) 20:11
  • 頼純は、重房に討ち取られたとされる。塩谷氏が菩提寺として信仰した寺山観音寺の記録にも「堀江三良(三郎)頼澄(頼純)公 武蔵相模ノ境ナル上田山ニテ上野板蔵(板鼻)城主原ノ左衛門重房ノ逆心ニヨツテ打ホロビ」とある。年代的には、『堀江記』『堀江物語絵巻』などに基づけば1128年頃と推測されるが定かではない…
    3キロバイト (422 語) - 2023年9月1日 (金) 15:38
  • 土蔵のサムネイル
    土蔵 (造りからのリダイレクト)
    が挙げられる。伝統的な外観を生かして、飲食店などの商業施設や博物館に転用されることもある。 木造の骨組に、丸竹とシュロ縄で木舞をつくり、そのうえに複数回、土塗をほどこして、表面を漆喰でぬりあげる。出入り口、窓などの召し合わせは、複数段の段形とする。屋根は、裏のうえに土居葺とし、縄掛木、土留木をうち、瓦葺。…
    11キロバイト (1,729 語) - 2023年7月21日 (金) 18:45
  • 富山県八尾町の農家を移築、改築した松本民芸生活館を設計。池田三四郎と全国で古民藝を蒐集。 『生涯求美-蒐集と周辺』 用美社、1990年 ^ 富山市民芸館は1965年6月開館。建物は岐阜県神岡町の板蔵を移築したものである。富山市民芸館については以下に詳しい。『富山市民俗民芸村』。 黒田辰秋 民藝運動 松本民芸家具…
    2キロバイト (189 語) - 2023年3月4日 (土) 09:06
  • 喜多家住宅(石川県野々市市本町) 6棟、土地〔野々市市〕 主屋 道具倉 作業場 酒蔵 前 貯蔵庫 旧小倉家住宅(石川県石川郡白峰村)〔白山市〕 旧山岸家住宅 4棟、土地〔白山市〕 主屋 板蔵 味噌 (2023年度指定予定)手取川七ヶ用水取水施設〔白山市〕2基、1所(官報告示を経て正式指定となる)…
    37キロバイト (5,129 語) - 2024年4月21日 (日) 04:31
  • 大峯山寺のサムネイル
    本堂 梵鐘 - 本堂内に所在。天慶7年(944年)の銘は追刻で、鐘自体は奈良時代の作。 大和金峰山山頂出土品 金銅板蔵王権現像 2面 銅板鋳出蔵王権現像 2面 銅造蔵王権現像 26躯 金銅蔵王権現懸仏 2面 金銅板線刻吉野曼荼羅図 1面 銅板線刻中台八葉院図 1面 銅板経残闕…
    12キロバイト (1,852 語) - 2022年11月10日 (木) 05:03
  • 『流れ七人』(ながれいたしちにん)は、牛次郎脚本、笠太郎作画による漫画を原案として、テレビ朝日系列で1997年1月16日から3月20日まで放送されたテレビドラマ、および同じく1997年に東映(東映京都撮影所)が製作した劇場映画。 漫画は『流れ竜二』のタイトルで、『漫画サンデー』(実業之日本社)に…
    9キロバイト (599 語) - 2024年5月6日 (月) 15:14
  • 板碑のサムネイル
    板碑 (石塔婆からのリダイレクト)
    板碑(いたび)は、主に供養塔として使われる石碑の一種である。石卒塔婆、石塔婆と呼ばれ、特に典型的なものとしてイメージされる武蔵型板碑は、秩父産の緑色片岩を加工して造られるため、青石塔婆とも呼ばれる。 板碑は中世仏教で使われた供養塔である。基本構造は、状に加工した石材に梵字=種子(しゅじ)や被供養者名、…
    6キロバイト (778 語) - 2023年2月23日 (木) 04:14
  • 旧佐藤家住宅(宮城県角田市高倉)〔角田市〕 高蔵寺阿弥陀堂〔角田市〕 我妻家住宅(宮城県刈田郡蔵王町)(あがつまけじゅうたく) 4棟、土地〔刈田郡蔵王町〕 主屋 文庫 板蔵 旧大沼家住宅10棟、土地〔柴田郡村田町〕 - 明細は旧大沼家住宅参照 旧秋田銀行本店本館 - 秋田市立赤れんが郷土館 旧黒澤家住宅(旧所在 秋田県秋田市中通三丁目)…
    22キロバイト (3,114 語) - 2023年8月6日 (日) 13:21
  • 大川橋・主演『銭形平次』(ぜにがたへいじ)は、1966年5月4日から1984年4月4日まで、フジテレビ系列で毎週水曜20時から放映された連続テレビ時代劇。 野村胡堂の小説『銭形平次捕物控』をテレビドラマ化した。 ドラマ史上最長の全888話という金字塔を打ち立て、ギネスブックで世界記録に認定されている。…
    450キロバイト (10,466 語) - 2024年6月14日 (金) 02:11
  • 本斗郡のサムネイル
    唐太日記』に、弘化3年当時の状況の一部が記されている。 内幌町 シラヌシ(白主)・・・会所1棟、数棟、弁天社、アイヌの家7軒 ショウニ(宗仁)・・・止宿所1棟、アイヌの家2軒 モイレトマリ(武意泊)・・・番屋 本斗町 トコンホ(吐鯤保)・・・川の南岸に番屋一棟、板蔵、アイヌの家1軒 幕末の状況について、「北海道歴検図」…
    32キロバイト (5,226 語) - 2023年7月18日 (火) 08:48
  • 片岡千恵プロダクション(かたおかちえぞうプロダクション、1928年5月10日 設立 - 1937年4月 解散)は、かつて京都に存在した映画会社である。当時の若手人気俳優片岡千恵が設立したスタープロダクションであり、設立の翌年に嵯峨野に独自の撮影所を建設した。稲垣浩の『瞼の母』、『弥太郎笠』、伊丹…
    14キロバイト (1,930 語) - 2023年4月15日 (土) 15:29
  • 宮部鼎蔵のサムネイル
    鼎春園(ていしゅんえん)は、熊本県上益城郡御船町上野にある宮部鼎と弟の宮部春を記念して作られた公園。鼎と春から、一文字ずつとって名付けられた。大正2年(1913年)建立の顕彰碑、兄弟それぞれの歌碑(歌の選者は竹添進一郎)、宮部鼎の像などがある。 鼎の歌碑には、「いざ子供馬に鞍おけ九重の御階の桜散らぬ…
    6キロバイト (890 語) - 2024年2月7日 (水) 03:55
  • 甲冑のサムネイル
    式木甲」(前期末から古墳前期)といった木製甲があり、弥生前期末頃には半島系武器と共に甲冑の出現も確認されている。 古墳時代には、古墳の出土品として「甲」または「帯金式甲冑」と呼ばれる、帯状鉄板を革綴(かわとじ)ないし鋲留(びょうどめ)して組み立てる日本列島独自形態の甲が出現した。さらに古墳時代中…
    31キロバイト (4,367 語) - 2024年6月1日 (土) 01:29
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