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このウィキでページ「七隻の船」は見つかりませんでした。以下の検索結果も参照してください。
- アラスカ級大型巡洋艦 (カテゴリ すべてのスタブ記事)のうちイリノイ及びケンタツキーの二隻計七隻のほか、アラスカ級甲巡六隻と軍艦四隻とを建造中であるが、空母建造に全力を注ぐため、モンタナ級五隻の建造を當分中止し、甲巡六隻、軍艦四隻は進水後空母に改装の方針である。このほか大型商船六隻乃至七隻は既に空母に改装されてゐる。」(以下略)…51キロバイト (7,678 語) - 2024年3月14日 (木) 12:36
- 111号艦 (カテゴリ 出典を必要とする記述のある記事/2016年3月)土佐の三艦も最早遠からず完成するに近いと思惟される 此中の最後の起工はニヶ年半前であつたと云つてゐる之に反し 米國は戰闘艦十七隻と巡洋戰艦六隻の建艦を計畫した外航空母艦十一隻巡洋艦四十隻と驅逐艦多數の建造に着手してゐる 此中ワシントン級三万五千噸六隻は既に進水し二隻は就役してゐる 四万五千噸の…19キロバイト (2,704 語) - 2024年1月7日 (日) 13:01
- モンタナ級戦艦 (カテゴリ 出典を必要とする記述のある記事/2023年2月)◎米・建艦計畫の内容(中略)◇六萬噸戰艦七隻建造 軍擴に狂奔するアメリカの建造數は廿二日下院海軍委員會の席上ヴインソン委員長は目下船臺にあつて建造中の軍艦七百十六隻と發表し世界を驚かしたが、右のうち渡洋作戰の根幹となる主力艦のトン數は興味の中心を爲してゐるが例のスターク擴張案による七隻の主力艦トン數は五二…40キロバイト (4,828 語) - 2024年3月11日 (月) 04:04
- 紀伊型戦艦 (カテゴリ 中止になった日本の計画戦艦)高松の二隻は完成或は完成に近く紀伊 尾張 土佐の三艦も最早遠からず完成するに近いと思惟される 此中の最後の起工はニヶ年半前であつたと云つてゐる之に反し 米國は戰闘艦十七隻と巡洋戰艦六隻の建艦を計畫した外航空母艦十一隻巡洋艦四十隻と驅逐艦多數の建造に着手してゐる(記事おわり) ^ 三.戰艦信濃及紀伊の…21キロバイト (2,728 語) - 2024年1月16日 (火) 04:03
- トリガー (SS-237) (カテゴリ 第二次世界大戦の沈没船)517度 / 29.583; 134.517の地点でパラオに向かうオ112船団を発見する。最初の攻撃で2隻の7,000トン級輸送船に対して魚雷を3本発射し、それぞれの目標の船首に1本ずつ命中したように見えた。2隻の護衛艦が向かってきたので、ひとまずこれを避けることとした。翌11月2日0時30分ごろ、「トリガー」は僚艦「シーホース…54キロバイト (9,110 語) - 2024年3月4日 (月) 13:57
- 韓嶋裟婆 (カテゴリ 飛鳥時代の人物),沙門道久・筑紫君薩野馬・韓嶋勝娑婆・布師首磐四人,従唐来曰,唐国使人郭務悰等六百人,送使沙宅孫登等一千四百人,総合二千人,乗船册七隻,倶泊於比知島,相謂之曰,今吾輩人船数衆,忽然到彼,恐彼防人,驚駭射戦,乃遣道文等,予稍披陳来朝之。 — 日本書紀、天智十年十一月甲午朔癸卯条 ^…6キロバイト (1,056 語) - 2023年4月12日 (水) 06:43
- 神風 (2代神風型駆逐艦) (カテゴリ 1922年進水船)船)となったが、1946年に静岡県沖で座礁し、1947年に解体された。 1918年(大正7年)、八六艦隊案で一等駆逐艦11隻の建造計画が議会で承認され、当時の主力駆逐艦峯風型駆逐艦6隻と共に峯風型の改良型駆逐艦3隻の建造が予算化された。1920年(大正9年)の八八艦隊案で駆逐艦32隻の…59キロバイト (8,831 語) - 2024年2月20日 (火) 13:27
- 護衛空母 (カテゴリ すべてのスタブ記事)^ 〔 ワシントン(INS)十六日發 〕 海軍省十六日の發表によれば"ベイビー・フラツト・タツプ"と呼ばれる新式の護衛用小型航空母艦一隻は、南大西洋に於て護送船團を攻撃する獨潜水艦十一隻の中十隻を破壊乃至恐らく破壊した(以下略) ^ (中略) U.S. Naval Stremgth(中略)carriers…54キロバイト (7,328 語) - 2024年3月17日 (日) 03:59
- ヒ81船団 (カテゴリ 第二次世界大戦の輸送船団)の日本陸軍第23師団を輸送する任務も負っていた。 このため第23師団を乗せた軍隊輸送船が同行していた。ヒ81船団は全船が優秀輸送船で、護衛部隊には空母も含む強力な編成だったが、アメリカ海軍潜水艦複数隻の襲撃で陸軍特種船…29キロバイト (4,107 語) - 2023年3月15日 (水) 22:13
- 択捉 (海防艦) (カテゴリ 1943年竣工船)野元為輝ほか『航空母艦物語 体験で綴る日本空母の興亡と変遷!』潮書房光人社、2013年6月。ISBN 978-4-7698-1544-0。 (300-309頁)戦史研究家大浜啓一『青い目の見た軽空母七隻の最後 海中深くひそむ米潜水艦と鷹型空母の息づまる対決』 『日立造船株式会社七十五年史』、日立造船株式会社、1956年。…24キロバイト (3,504 語) - 2024年2月17日 (土) 11:34
- バタビア沖海戦 (カテゴリ 太平洋戦争の海戦)の航跡』潮書房光人社、2017年7月。ISBN 978-4-7698-1647-8。 (258-269頁)当時海軍艦政本部員・海軍技術大佐塩山策一『マル秘強襲揚陸艦「神洲丸」始末記 舟艇三十七隻と飛行機十二機搭載の特殊船建造にあたった開発技術者の回想』…62キロバイト (9,237 語) - 2024年4月6日 (土) 14:46
- オッセ (カテゴリ すべてのスタブ記事)の手による七隻目にして最後の船に乗り込むと、ヴァリノールへ向けて旅立った。使者たちの乗った船は七年に渡って大海をさまよったあと、諦めて中つ国へ戻ることにした。かれが故郷のタラス山を認めたとき、オッセの嵐によって船は打ち壊され沈んだ。 怒りの戦いのあと、エダインのための…6キロバイト (1,004 語) - 2024年1月27日 (土) 12:06
- 平島型敷設艇 (カテゴリ 日本の敷設艦)平島型敷設艇(ひらしまがたふせつてい)は、日本海軍の敷設艇。同型艦10隻(うち1隻建造取り止め)。 昭和14年度(1939年)から着手する④計画に於いて、艦齢の高い測天(初代)型10隻の代艦として要求され、10隻(1隻当たり2,660,000円)の予算が成立した。10隻は仮称「第170号艦」から「…26キロバイト (3,536 語) - 2023年10月9日 (月) 08:54
- 筑紫薩夜麻 (カテゴリ 特筆性の基準を満たしていないおそれのある記事/2015年5月)七隻倶泊於比智嶋。相謂之曰。今吾輩人船數衆。忽然到彼恐彼防人驚駭射戰。乃遣道文等豫稍披陳來朝之意。 対馬の国司が大宰府に使いを遣わして報告した。さる2日に、沙門道久(ほうし どうく)・筑紫君薩野馬・韓嶋勝裟婆(からしま の すぐり さば)・布師首磐(ぬのし の おびと いわ)の…11キロバイト (2,003 語) - 2023年1月17日 (火) 11:28
- 若竹型駆逐艦 (カテゴリ すべてのスタブ記事)若竹型駆逐艦(わかたけかたくちくかん)は、日本海軍の二等駆逐艦、同型艦8隻。 大正7年度(1918年)から実行される八六艦隊案で建造予定の二等駆逐艦(中型駆逐艦)16隻のうち、3隻が樅型として竣工し、それ以降の8隻が本型とされた。更に大正9年度(1920年)からの八八艦隊案で更に10隻の…36キロバイト (5,408 語) - 2021年9月18日 (土) 07:17
- の使者も訪れ、その後の日本の外交は唐との友好関係を基調とした。 『日本書紀』によれば、白村江の戦いの後の671年11月に、「唐国の使人郭務悰等六百人、送使沙宅孫登等千四百人、総合べて二千人が船四十七隻に乗りて倶に比知嶋(比珍島)に泊りて相謂りて曰わく、「今吾輩が人船…36キロバイト (5,916 語) - 2023年12月14日 (木) 12:08
- キーアダン (ヌーメノールの船乗りとの友情の節)船を七隻造るよう依頼した。トゥアゴンの使者たちはヴァラールの助力を求めてバラール島から西方へと船出したが、六隻の消息は途絶えた。アングロドの民ゲルミアとアルミナスはダゴール・ブラゴルラハでドルソニオンを追われると、シリオンの河口のキーアダンの元へ身を寄せた。このころウルモがキーアダンの…23キロバイト (3,567 語) - 2021年1月29日 (金) 10:31
- の『看聞日記』には「大唐蜂起」と記されている。 朝鮮軍は227隻の船に1万7285人の兵士を率いて対馬に上陸したが、宗貞盛の抵抗により、朴弘信、朴茂陽、金該、金熹ら4人の将校が戦死し、百数十人が戦死及び崖に追い詰められて墜落死し、朝鮮軍は動揺して逃走したが船…35キロバイト (5,771 語) - 2023年11月14日 (火) 12:24
- 春風 (2代神風型駆逐艦) (カテゴリ 1922年進水船)#達大正10年10月p.11-12『達第百九十號 軍備補充費ヲ以テ大正十年度ニ於テ建造ニ着手ノ一等驅逐艦七隻二等驅逐艦十隻及一等掃海艇六隻ニ左ノ通命名ス 大正十年十月十二日 海軍大臣男爵 加藤友三郎|一等驅逐艦七隻 第一驅逐艦 第三驅逐艦 第五驅逐艦 第七驅逐艦 第九驅逐艦 第十一驅逐艦 第十三驅逐艦|二等驅逐艦十隻 第二驅逐艦…51キロバイト (7,635 語) - 2023年5月31日 (水) 06:09
- ビラ・スタンモーア夜戦 (カテゴリ 太平洋戦争の海戦)の砲術長徳納浩大尉の回想では、峯雲もまた村雨と同様に「対空戦闘」だと判断しており、「砲戦の号令をかけるのがやっと」の状態で一方的に撃たれ、第68任務部隊の「第一斉射から三分以内に沈み始めた」とする。戦闘直後の砲術長の報告によれば「二三〇〇頃コロンバンガラ北東10′ニテ敵軽巡、駆逐艦計七隻…53キロバイト (8,202 語) - 2024年1月23日 (火) 00:57
- 船舶機械の準備は、工事施行上最も重要なる者の一つである。在来使用した船舶機械の主なる者は、大小運搬船三十隻、起重機船二隻、浚渫船五隻(うちブリストマン三隻)、小蒸気船七隻、コンクリート混合機二台で、幸いにも震火災の厄を免れたが、本工事施行の決定後、直に起重機船三隻、小蒸汽船