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*[[婚外子国籍訴訟]](第1審裁判長として、国籍法の規定を違憲とした) |
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*[[東京大空襲]]訴訟(第1審裁判長として、[[1987年]]の最高裁判所第二[[小法廷]]における「戦争被害の平等受忍義務」を援用し原告の賠償請求を棄却) |
*[[東京大空襲]]訴訟(第1審裁判長として、[[1987年]]の最高裁判所第二[[小法廷]]における「戦争被害の平等受忍義務」を援用し原告の賠償請求を棄却) |
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== 編集著作者の認定 == |
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『著作権判例百選』事件では、アドバイザー(他人の選択・配列を容認した者)は編集著作者ではないとしたが、『ツェッペリン飛行船と黙想』事件ではアドバイザーが編集著作者であるという真逆の判断を示した(いずれも第2審裁判長として)。 |
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2019年9月12日 (木) 05:36時点における版
鶴岡 稔彦(つるおか としひこ、1956年6月3日 - )は、日本の裁判官。千葉県出身。東京大学卒業。知的財産高等裁判所部総括判事。
経歴
- 1980年 司法修習生
- 1982年 東京地裁判事補任官
- 1984年 徳島地家裁判事補
- 1987年 最高裁行政局付
- 1989年 東京地裁判事補
- 1990年 那覇地家裁石垣支部判事補兼平良支部判事補
- 1992年 東京地裁判事
- 1993年 最高裁行政局参事官
- 1995年 最高裁行政局第二課長
- 1997年 最高裁行政局第一課長兼第三課長兼広報課付
- 1999年 東京高裁判事職務代行
- 2000年 東京高裁判事
- 2002年 東京地裁判事
- 2004年 東京地裁部総括判事(民事3部→民事44部)
- 2009年 横浜地裁部総括判事
- 2013年4月 東京高裁判事
- 2013年7月 那覇家裁所長
- 2014年4月 那覇地裁所長
- 2015年3月 知財高裁部総括判事
担当訴訟
編集著作者の認定
『著作権判例百選』事件では、アドバイザー(他人の選択・配列を容認した者)は編集著作者ではないとしたが、『ツェッペリン飛行船と黙想』事件ではアドバイザーが編集著作者であるという真逆の判断を示した(いずれも第2審裁判長として)。
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