「ガイウス・ドゥイリウス」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
m 軍艦について追加。
歴代ボックス追加
11行目: 11行目:
*[[カイオ・ドゥイリオ (ヘリコプター巡洋艦)]]:[[アンドレア・ドーリア級ヘリコプター巡洋艦]]の2番艦。
*[[カイオ・ドゥイリオ (ヘリコプター巡洋艦)]]:[[アンドレア・ドーリア級ヘリコプター巡洋艦]]の2番艦。
*[[カイオ・ドゥイリオ (駆逐艦)]]:[[アンドレア・ドーリア級駆逐艦]]の2番艦。
*[[カイオ・ドゥイリオ (駆逐艦)]]:[[アンドレア・ドーリア級駆逐艦]]の2番艦。

==関連項目==
* [[共和政ローマ執政官一覧]]


{{start box}}
{{s-off}}
{{Succession box
| title = [[共和政ローマ|ローマ]]の[[執政官]](コンスル)
| years = 紀元前260年<br>同僚<br/>[[グナエウス・コルネリウス・スキピオ・アシナ]]
| before = [[ルキウス・ウァレリウス・フラックス]]、<br/>[[ティベリウス・オタキリウス・クラッスス]]
| after = [[ルキウス・コルネリウス・スキピオ]]、<br/>[[ガイウス・アクィッリウス・フロルス]]
}}
{{end box}}


{{DEFAULTSORT:とういりうす かいうす}}
{{DEFAULTSORT:とういりうす かいうす}}

2017年4月26日 (水) 05:03時点における版

ガイウス・ドゥイリウスラテン語: Gaius Duilius, 紀元前3世紀、生没年不詳)は、第一次ポエニ戦争の時期に登場した共和政ローマの政治家。後にノウス・ホモと呼ばれる者たちの先駆者でもある。

詳しい家系などは分かっていないので、当時ローマ社会に台頭しつつあった新興階級であったと考えられている。このような古来からの社会的なつながりのない家系にもかかわらず、カルタゴとの軋轢がもとで第一次ポエニ戦争となると執政官(コンスル)に当選する。同僚コンスルのグナエウス・コルネリウス・スキピオ・アシナとともに軍を統率する立場ではあったが、後続部隊を率いており、あまり活躍は期待されてはいなかった。しかし操船に不馴れなローマ軍は、緒戦で同僚のスキピオ・アシナが捕虜となったため、ドゥイリウスが総司令官となってしまい、その後カルタゴ司令官ハンニバル・ギスコ率いる残存勢力と遭遇する。そしてミラエ沖の海戦で大勝利を収める。これはローマ軍の新兵器「コルウス」(カラス)を功を奏した結果であった。ドゥイリウスはこの戦いで多くの敵船を拿捕、その中には敵将ギスコの乗る旗艦も含まれていた。この戦いはローマ軍が海戦で初めて勝利を収めた戦いであった。

この勝利にドゥイリウスは凱旋式を行う栄誉を得て、紀元前258年にはルキウス・コルネリウス・スキピオとともに監察官(ケンソル)を務めた。

彼の名を冠した軍艦

19世紀以降、イタリアではドゥイリウスのイタリア語表記である「カイオ・ドゥイリオ Caio Duilio」と名付けられた軍艦が4隻建造されている。

関連項目


公職
先代
ルキウス・ウァレリウス・フラックス
ティベリウス・オタキリウス・クラッスス
ローマ執政官(コンスル)
紀元前260年
同僚
グナエウス・コルネリウス・スキピオ・アシナ
次代
ルキウス・コルネリウス・スキピオ
ガイウス・アクィッリウス・フロルス