「デーン人」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
Kkddkkdd (会話 | 投稿記録)
m編集の要約なし
Kkddkkdd (会話 | 投稿記録)
編集の要約なし
5行目: 5行目:
[[1013年]]、デンマーク王の[[スヴェン1世 (デンマーク王)|スヴェン王]]が[[イングランド王国|イングランド]]王になる。[[1016年]]、スヴェンの子[[クヌーズ1世 (デンマーク王)|カヌート大王]]がイングランド王に即位。後にデンマーク王、[[ノルウェー]]王にも即位し、[[北海帝国]]を築き上げた。カヌート大王の死後、帝国は崩壊、多くのデーン人は現在のデンマークに留まり、海外へ移住したデーン人は、その地の民族に[[同化]]していった。
[[1013年]]、デンマーク王の[[スヴェン1世 (デンマーク王)|スヴェン王]]が[[イングランド王国|イングランド]]王になる。[[1016年]]、スヴェンの子[[クヌーズ1世 (デンマーク王)|カヌート大王]]がイングランド王に即位。後にデンマーク王、[[ノルウェー]]王にも即位し、[[北海帝国]]を築き上げた。カヌート大王の死後、帝国は崩壊、多くのデーン人は現在のデンマークに留まり、海外へ移住したデーン人は、その地の民族に[[同化]]していった。


デンマーク人先祖となる集団であるが、デーン人の民族概念は、現在のデンマーク人は異なる。それは民族的なものではなく、一種の政治的な[[共同体]]であった。つまり異民族であっても、デンマーク王に従属して、その統率下に入ればデーン人と呼ばれていたのである。[[近代]]に入ると[[国民国家]]成立と共にデンマークの[[ナショナリズム]]も高またが、それはすでにデーン人の国家ではなく、「デンマーク人」としの国家であった。
中世までのデーン人の国家は、異民族であっても、デンマーク王に従属し統率下に入ればデーン人と呼ばれ、ような人々が一種政治的な[[共同体]]を形作ってた。

[[近代]]に入ると、[[国民国家]]の成立と共にデンマークの[[ナショナリズム]]・民族意識が高まり、今日のような「デンマーク人」としての国家となった。
<!--デンマーク人の先祖となる集団であるが、デーン人の民族概念は、現在のデンマーク人とは異なる。それは民族的なものではなく、一種の政治的な[[共同体]]であった。
つまり異民族であっても、デンマーク王に従属して、その統率下に入ればデーン人と呼ばれていたのである。-->


== 関連項目 ==
== 関連項目 ==

2015年2月25日 (水) 14:00時点における版

デーン人デンマーク語: Daner)は、デンマーク地方に居住していたノルマン人の一派である。イングランドをはじめとした西ヨーロッパ一帯に進入し、大帝国を建設した。

当初はヴァイキングとして海賊活動を主体として行なった。9世紀にイングランドに侵攻し、デーンロウを築き上げた。10世紀キリスト教に改宗し、デンマーク王国としてデーン人を包括した統一国家を造り上げる。(デンマークの歴史#中世

1013年、デンマーク王のスヴェン王イングランド王になる。1016年、スヴェンの子カヌート大王がイングランド王に即位。後にデンマーク王、ノルウェー王にも即位し、北海帝国を築き上げた。カヌート大王の死後、帝国は崩壊、多くのデーン人は現在のデンマークに留まり、海外へ移住したデーン人は、その地の民族に同化していった。

中世までのデーン人の国家は、たとえ異民族であっても、デンマーク王に従属し統率下に入ればデーン人と呼ばれ、そのような人々が一種の政治的な共同体を形作っていた。

近代に入ると、国民国家の成立と共にデンマークのナショナリズム・民族意識が高まり、今日のような「デンマーク人」としての国家となった。

関連項目