「大中臣親章」の版間の差分
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2014年3月29日 (土) 14:37時点における版
時代 | 平安時代後期 |
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生誕 | 康和5年(1103年) |
死没 | 永暦2年正月29日(1161年2月15日) |
別名 | 岩出(号)、南三位(号) |
官位 | 従三位・神祇大副・伊勢神宮祭主 |
主君 | 鳥羽天皇→崇徳天皇→近衛天皇→後白河天皇→二条天皇 |
氏族 | 大中臣氏(二門) |
父母 | 父:大中臣親仲[1]、母:橘季宗の娘 |
兄弟 | 親章、親通、親隆 |
妻 | 不詳 |
子 | 為親、親家 |
大中臣 親章(おおなかとみ の ちかあき)は平安時代後期の公卿。伊勢神宮祭主。神祇権大副・大中臣親仲の子[1]。南三位と号す。
経歴
永久3年(1115年)太神宮の造営の功で山城守に任ぜられる。大治6年(1131年)に従五位上・河内守に叙任され、保延2年(1136年)正五位下に叙せられる。
康治2年12月(1244年1月)、神祇少副に任ぜられる。久安6年(1150年)には神祇権大副に進み、仁平4年(1154年)正月に従四位下、同年8月には従四位上に叙せられた。久寿2年(1155年)正四位下に叙せられ、保元2年(1157年)第40代伊勢神宮祭主に補任される。同年神祇大副に転じ、平治元年(1159年)には従三位に叙せられて公卿に列した。永暦2年(1161年)正月29日、59歳で薨去した。
官歴
※以下、『公卿補任』の記載に従う。
- 時期不詳:従五位下に叙す。
- 永久3年(1115年)正月29日:山城守に任ず(造太神宮功)。
- 大治6年(1131年)
- 正月5日:従五位下に叙す(治国)。
- 正月21日:河内守に任ず。
- 保延2年(1136年)正月27日:正五位下に叙す(除目次。造豊受太神宮)。
- 康治2年12月15日(1244年1月21日):神祇少副に任ず。
- 久安6年(1150年)6月25日:神祇権大副に転ず。
- 仁平4年(1154年)
- 正月2日:従四位下に叙す(造斎宮寮中院功)。
- 8月9日:従四位上に叙す(九月十一日造宮使賞)。
- 久寿2年(1155年)11月22日:正四位下に叙す。
- 保元2年(1157年)
- 8月14日:祭主宣旨を蒙る。
- 9月9日:神祇大副に任ず。
- 平治元年(1159年)11月22日:従三位に叙す(大嘗會)。
- 永暦2年(1161年)正月29日:薨去。享年59。