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[[2009年]]8月、元教え子の女子ボクサーに暴行を働き、刑務所に6ヶ月間収監される。 |
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== 脚注 == |
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== 外部リンク == |
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2014年2月14日 (金) 05:29時点における版
2010年9月、クラブノキアにて | |
基本情報 | |
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本名 | Roger L. Mayweather |
通称 | Black Mamba |
階級 | ウェルター級 |
国籍 | アメリカ合衆国 |
誕生日 | 1961年4月24日(63歳) |
出身地 |
アメリカ合衆国 ミシガン州グランドラピッズ |
スタイル | オーソドックス |
プロボクシング戦績 | |
総試合数 | 72 |
勝ち | 59 |
KO勝ち | 35 |
敗け | 13 |
ロジャー・メイウェザー(Roger Mayweather、1961年4月24日 - )は、アメリカ合衆国の元プロボクサー、現トレーナー。身長170cm。フロイド・メイウェザー・シニアは兄であり、フロイド・メイウェザー・ジュニアは甥にあたる。ジェフ・メイウェザーは弟。
引退後は、メイウェザー・ジュニアのトレーナーとなった。
来歴
プロボクサー時代
1982年10月23日、13戦目でルーベン・ムニョス( アメリカ合衆国)に判定勝ちし、USBA全米ライト級王座を獲得。
1983年1月19日、15戦目でWBA世界ジュニアライト級王者サムエル・セラノ( プエルトリコ)に挑戦し、8回TKO勝ちで無敗のまま王座を獲得。以後、2度の防衛に成功した。
1984年2月27日、ロッキー・ロックリッジ( アメリカ合衆国)と対戦し、1回KO負けで王座から陥落。初黒星を喫した。
1985年7月7日、WBC世界ジュニアライト級王者フリオ・セサール・チャベス( メキシコ)に挑戦するも、2回TKO負けで王座獲得に失敗した。
1987年3月28日、NABF北米ライト級王座決定戦でパーネル・ウィテカー( アメリカ合衆国)と対戦し、0-3の判定負けで王座獲得に失敗した。
1987年11月12日、WBC世界ジュニアウェルター級王者レネ・アルレドンド( メキシコ)に挑戦し、6回KO勝ちで王座を獲得、2階級制覇に成功した。
以後、マウリシオ・アセベス、ハロルド・ブレーザー、ロドルフォ・ゴンザレス、ビニー・パジェンサを相手に4度の防衛に成功した。
1989年5月13日、5度目の防衛戦でフリオ・セサール・チャベス( メキシコ)と対戦し、10回TKO負けで王座から陥落した。
1991年12月7日、IBF世界ジュニアウェルター級王座決定戦でラファエル・ピネダ( コロンビア)と対戦し、8回KO負けで王座獲得ならず。
1995年6月25日、IBF世界ジュニアウェルター級王者コンスタンチン・チュー( オーストラリア)に挑戦するも、0-3の大差判定負けで王座獲得に失敗した。
トレーナー時代
引退後は、甥であるフロイド・メイウェザー・ジュニアのトレーナーとなった。フロイド・メイウェザー・シニアが刑務所から出所する1998年まではトレーナーを務めていたが、出所してきたシニアとトレーナーを代わることになる。しかし2000年3月18日のグレゴリオ・バルガス戦のあとメイウェザー・ジュニアはシニアを解雇、再びロジャー・メイウェザーがトレーナーとして復帰した。
2006年4月8日、メイウェザー・ジュニア vs. ザブ・ジュダーのIBF世界ウェルター級タイトルマッチで、10回にメイウェザー・ジュニアがジュダーのローブローとラビットパンチを受けて倒れると、ロジャーがリングに入り相手セコンドと乱闘になった。試合は続行され、メイウェザー・ジュニアが判定勝ちを収めた。試合の5日後に、ネバダ州アスレチック・コミッション(NSAC)は、試合の裁定は覆さなかったが、ロジャーに対し20万ドルの罰金と1年間セコンド禁止のサスペンドを課した。
2009年8月、元教え子の女子ボクサーに暴行を働き、刑務所に6ヶ月間収監される。
2013年、メイウェザー・ジュニアの幼少期やシニアの出所後2年間、自身のセコンド禁止期間及び刑務所収監期間を除き、メイウェザー・ジュニアのトレーナーに就いてきたが、最近は糖尿病を患いあまり健康が優れないことから、第一線からは退き気味である[1]。
獲得タイトル
- 第22代WBA世界ジュニアライト級王座(防衛2)
- 第20代WBC世界ジュニアウェルター級王座(防衛4)
関連項目
脚注
- ^ “Floyd Mayweather: How His Family's History of Violence Has Shaped Money May”. Bleacher Report (2013年5月3日). 2014年2月13日閲覧。
外部リンク
- ロジャー・メイウェザーの戦績 - BoxRec(英語)
前王者 サムエル・セラノ |
第22代WBA世界ジュニアライト級王者 1983年1月19日 - 1984年2月26日 |
次王者 ロッキー・ロックリッジ |
前王者 レネ・アルレドンド |
第20代WBC世界ジュニアウェルター級王者 1987年11月12日 - 1989年5月13日 |
次王者 フリオ・セサール・チャベス |