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2014年1月14日 (火) 02:16時点における版
座標: 北緯32度32分11秒 東経44度25分15秒 / 北緯32.53639度 東経44.42083度
エ・テメン・アン・キ(シュメール語:É.TEMEN.AN.KI、Etemenanki)(「天と地の基礎となる建物」という意味)は、メソポタミア文明の中でも最古の文化を築いたと言われるシュメール人が建設を開始し、工事が中断していた物を、カルデア人の王国である新バビロニア王国時代に、紀元前7世紀のナボポラッサル王が再建に着手し、紀元前6世紀のネブカドネザル2世王の時に完成した、バビロンのマルドゥク神殿の中心部に築かれたジッグラト(聖塔)のこと。
底面約91m×約91m、高さ約90m(高さは推定)の7層建てであり、各層が曜日を表し、1階が土星、2階が木星、3階が火星、4階が太陽、5階が金星、6階が水星、7階が月であった。各層には神室があり、頂上(7階)には神殿(至聖所)があったと推測される。
これらのことは、シェーンコレクション(ノルウェーの実業家マーティン・シェーン(Martin Schøyen)が設立した書物収集団体)が所有する、紀元前604年〜562年頃の黒い石碑に刻まれた碑文と絵と、現在はバビロンの遺跡にわずかに残る遺構から判明している。
現代の学者(Stephen L. Harris、カリフォルニア州立大学サクラメント校)などによれば、旧約聖書「創世記」のバベルの塔の挿話は、バビロン捕囚時代に、エ・テメン・アン・キに影響されたと考えられている。
参考文献
- 清水義範「ああ知らなんだこんな世界史」、毎日新聞社、2006、ISBN4-620-31776-4