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* [[1957年]] - [[1964年]] - ミラノの百貨店「ラ・リナシェンテ」の[[バイヤー]]を務める。
* [[1957年]] - [[1964年]] - ミラノの百貨店「ラ・リナシェンテ」の[[バイヤー]]を務める。
* [[1964年]] - [[セルッティ]]社のメンズウェア「ヒットマン」のデザイナーと製品開発係を兼任。
* [[1964年]] - [[セルッティ]]社のメンズウェア「ヒットマン」のデザイナーと製品開発係を兼任。
* [[1975年]] - アルマーニが41歳のとき、[[セルジオ・ガレオッティ]]と共に自らの会社を設立し、自社商品(メインブランド)を発表。通称「ブラックレーベル」。以後、[[アレグリ]]、[[バグッタ]]、 [[ジボ]]、[[ヒルトン]]、[[ヒットマン]]、[[モンテドーロ]]、[[シコンズ]]、[[スピリト]]、[[ウンガロ]]、[[エルメネジルド・ゼニア]]、[[ロエベ]]など、多彩なブランドのデザインも引き受けていた
* [[1975年]] - アルマーニが41歳のとき、[[セルジオ・ガレオッティ]]と共に自らの会社を設立し、自社商品(メインブランド)を発表。
::''以後の企業活動は「[[アルマーニ]]」を参照。
* [[1979年]] - ディフュージョンライン「ARMANI COLLEZIONI」と「MANI」を発表。通称「ホワイトレーベル」。
* [[1980年]] - 映画『[[アメリカン・ジゴロ]]』で[[リチャード・ギア]]の衣装を担当。これが、アルマーニの初めてのオフィシャルでの衣装協力であり、アルマーニの世界的な成功が始まる。
* [[1981年]] - [[セカンドライン]]「''EMPORIO ARMANI''」を発表。同年「''ARMANI JEANS''」も発表。
* [[1999年]] - 新たにアクセサリー部門を創設。またアパレルとしては最初期のeコマースサイト「www.giorgioarmani.com」を立ち上げると同時に、「www.armaniexchange.com」によりアメリカでスタート。
* [[2000年]] -「[[ジョルジオ アルマーニ コスメティックス]]」と「[[アルマーニ カーザ]]」を開始。ニューヨーク市の[[ソロモン・R・グッゲンハイム美術館]]にて、大回顧展「ジョルジオ・アルマーニ展」をスタート。その後数年をかけ、スペイン、ドイツ、イギリス、イタリア、日本、中国を巡回した。
* [[2001年]] - [[安藤忠雄]]の設計による劇場「アルマーニ・テアトロ」が、ミラノ南西ポルタ・ジェノヴァ地区にオープン。
* [[2004年]] -「アルマーニ・ラグジュアリーホテル&リゾート」を設立。「エンポリオ・アルマーニ」のスポーツライン「EA7」をスタート。
* [[2005年]] - [[オートクチュールライン]]「''GIORGIO ARMANI PRIVE''」を発表。[[メルセデス・ベンツ]]とコラボレーションし、CLK500カブリオレのボディカラーとインテリアをコーディネートした特別仕様車「メルセデス・ベンツ CLKデジーノ」を発表。
* [[2006年]] - メンズの[[オーダーメイドライン]]「''GIORGIO ARMANI HANDMADE TO MEASURE''」をスタート。[[トリノオリンピック]]では、聖火ランナーを務め、ミラノ市内を走り抜けた。
* [[2007年]] -アルマーニ社とサムスン電子とのコラボによる携帯電話「GIORGIO ARMANI PHONE」をヨーロッパで発売。
* [[2008年]] -アルマーニ社とサムスン電子とのコラボによる携帯電話「EMPORIO ARMANI PHONE」をヨーロッパで発売。
* [[2009年]] -「EMPORIO ARMANI PHONE」の日本仕様版「[[SoftBank 830SC]]」が、「[[ソフトバンクモバイル]]」より9月18日発売。
* [[2010年]] - アルマーニ社として、世界初となる「アルマーニ・ホテル・ドバイ」が、ドバイの「[[ブルジュ・ハリファ]]」内に4月27日にオープン。
* [[2011年]] - アルマーニ・ホテル2号店となる「アルマーニ・ホテル・ミラノ」が、ミラノの中心街、モンテナポレオーネ通りに面した「マンゾーニ通り」に11月10日にオープン。


== 映画 ==
== 映画 ==

2013年3月31日 (日) 04:17時点における版

ジョルジオ・アルマーニ
Giorgio Armani
モスクワにて撮影
生誕 1934年7月11日
イタリアの旗 イタリアピアチェンツァ
職業 ファッションデザイナー
テンプレートを表示

ジョルジオ・アルマーニ: Giorgio Armani, 1934年7月11日 - )は、イタリアファッションデザイナーであり、彼が創立したファッションブランドを展開する企業(GIORGIO ARMANI S.p.A.)である。

人物

イタリアを代表するファッションデザイナーの1人で、ミラノを基盤にコレクションを持つジャンフランコ・フェッレ (: Gianfranco Ferré) とジャンニ・ヴェルサーチ (: Gianni Versace) と共に、「ミラノの3G」として世界中にその名をとどろかせている。

略歴

以後の企業活動は「アルマーニ」を参照。

映画

書籍

  • 2007年 - 「ジョルジオ・アルマーニ 帝王の美学」が、アルマーニ初の評伝として、秘蔵写真220点以上が収録され、日本経済新聞出版社から創刊されている。著者は、「コンデ・ナスト」・グループの各誌(ヴォーグイタリア版、ウオモ・ヴォーグ、カーザ・ヴォーグ、GQ)で記事を執筆しているレナータ・モルホ。日本語翻訳は、目時能理子関口英子が担当した。

音楽(CD)

ARMANI/MUSICA

  • EMPORIO ARMANI CAFFE 1 2003年発売
  • EMPORIO ARMANI CAFFE 2 2004年発売
  • EMPORIO ARMANI CAFFE 3 2006年発売
  • EMPORIO ARMANI CAFFE 4(2枚組)2008年発売
  • EMPORIO ARMANI CAFFE 5(2枚組)2010年発売

来日

  • 1982年
  • 1997年 -「1998春夏コレクション」
  • 2005年 - アルマーニ創立30周年記念として、六本木ヒルズ・森美術館にて大回顧展「ジョルジオ・アルマーニ展」
  • 2007年 -「アルマーニ/銀座タワー」オープン記念

企業としてのジョルジオ・アルマーニ

慈善活動(プロダクトRED)

プロダクトRED(レッド)とは、民間企業から世界エイズ・結核・マラリア対策基金への持続的な資金の流れをつくる寄付の仕組みである。ロックバンドU2のヴォーカルボノと国際NGOであるDATAのボビー・シュライバーが発起人となり、2006年1月26日、スイスのダボスで開催された世界経済フォーラムにおいて発表され、ジョルジオ・アルマーニも賛同した。

「(PRODUCT) RED」と称する共通ブランド商品を開発・製造し、その販売収益の一部を世界基金に継続的に寄付する仕組みで、これによって得られた資金は世界基金のアフリカでのエイズ対策支援(なかでも女性と子供に焦点を当てたプログラム)に役立てられる。日本においては、エンポリオ・アルマーニのショップで、「(PRODUCT) RED」のタグのついた商品が購入可能である。

プロダクトRED商品の売上により、これまでに約1億3000万ドル(2009年3月現在)が世界基金に寄付されている。この寄付はルワンダ、スワジランド、ガーナ、レソトにおけるエイズ対策資金として活用され、これまでに400万人が支援を受けている。

2006年11月の来日時に、U2ボノ安倍晋三首相を表敬訪問した際、自らの活動に関連してリーダーシップの発揮を求めたほか、日本の発展途上国 (特に東南アジア)への援助と、2000年に日本が提案した基金によりエイズ患者の手に治療薬が渡っていることを賞讃した。この際、REDとエンポリオ・アルマーニのコラボレーションモデルのサングラスを贈り、安倍首相がこれを掛けるという場面もあった。

主な支援実績
  • 11万人以上のHIV感染者にエイズ治療薬を提供
  • 340万人以上にHIV抗体検査・カウンセリングを実施
  • HIVに感染した妊婦7万人以上へ母子感染予防のための治療を提供
  • 医療施設への資金支援、医療従事者の育成やエイズ遺児のケアへの支援

エピソード

外部リンク