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'''キヨッソーネ東洋美術館'''('''Museo d'Arte Orientale''')は、[[イタリア]]の[[ジェノヴァ]]市にある東洋美術を主とする[[美術館]]である。
'''キヨッソーネ東洋美術館'''('''Museo d'Arte Orientale''')は、[[イタリア]]の[[ジェノヴァ]]市にある東洋美術を主とする[[美術館]]である。
== 概要 ==
== 概要 ==
日本の招きにより[[お雇い外国人]]の一人として、[[明治]]8年([[1875年]])1月12日に来日した[[エドアルド・キヨッソーネ]]は[[国立印刷局|大蔵省印刷局]]に着任、主に偽造防止の[[紙幣]]制作の指導などにあたる傍ら、多くの日本美術品を収集した。それらの展示のために設立されたのが、キヨッソーネ東洋美術館であった。当初、[[アルフレード・ルグソーロ]]により、[[1905年]]にリグーリア美術学校の三階の美術館に設置され、[[1940年]]までこの建物において開館していたが、1940年の[[第二次世界大戦]]布告の直後、キヨッソーネ東洋美術館はジェノヴァ市の責任、負担のもとに疎開、大戦後にはキヨッソーネの遺言通り、市の所有となっている。自らが[[銅版画]]家であった彼の日本美術品コレクションは約15000点以上にのぼり、[[浮世絵]][[版画]]3269点、[[肉筆浮世絵]]286点余りのほか、大仏像、[[甲冑]]、[[絵画]]、[[陶器]]など多岐にわたっている。
日本の招きにより[[お雇い外国人]]の一人として、[[明治]]8年([[1875年]])1月12日に来日した[[エドアルド・キヨッソーネ]]は[[国立印刷局|大蔵省印刷局]]に着任、主に偽造防止の[[紙幣]]制作の指導などにあたる傍ら、多くの日本美術品を収集した。それらの展示のために設立されたのが、キヨッソーネ東洋美術館であった。当初、[[アルフレード・ルグソーロ]]により、[[1905年]]にリグーリア美術学校の三階の美術館に設置され、[[1940年]]までこの建物において開館していたが、1940年の[[第二次世界大戦]]布告の直後、キヨッソーネ東洋美術館はジェノヴァ市の責任、負担のもとに疎開、大戦後にはキヨッソーネの遺言通り、市の所有となっている。その後、ジェノヴァ市はキヨッソーネの遺言に従って、コレクションを恒久的に保存するのにふさわしい建物の設計・建設を審議した。その結果、建設予定地はヴィレッタ・デイ・ネグロ公園内に決定、[[1953年]]に建設に着工をし、[[1970年]]に完成している。そして、翌[[1971年]]5月7日に開館、以来、広く一般に公開されている。
自らが[[銅版画]]家であった彼の日本美術品コレクションは約15000点以上にのぼり、[[浮世絵]][[版画]]3269点、[[肉筆浮世絵]]286点余りのほか、大仏像、[[甲冑]]、[[絵画]]、[[陶器]]など多岐にわたっている。

== 所蔵品 ==
== 所蔵品 ==
* 「初代大谷広次のはしば久吉と二代目三条勘太郎の若衆」 細版 [[漆絵]] [[鳥居清信]]
* 「初代大谷広次のはしば久吉と二代目三条勘太郎の若衆」 細版 [[漆絵]] [[鳥居清信]]

2013年2月9日 (土) 11:05時点における版

キヨッソーネ東洋美術館Museo d'Arte Orientale)は、イタリアジェノヴァ市にある東洋美術を主とする美術館である。

概要

日本の招きによりお雇い外国人の一人として、明治8年(1875年)1月12日に来日したエドアルド・キヨッソーネ大蔵省印刷局に着任、主に偽造防止の紙幣制作の指導などにあたる傍ら、多くの日本美術品を収集した。それらの展示のために設立されたのが、キヨッソーネ東洋美術館であった。当初、アルフレード・ルグソーロにより、1905年にリグーリア美術学校の三階の美術館に設置され、1940年までこの建物において開館していたが、1940年の第二次世界大戦布告の直後、キヨッソーネ東洋美術館はジェノヴァ市の責任、負担のもとに疎開、大戦後にはキヨッソーネの遺言通り、市の所有となっている。その後、ジェノヴァ市はキヨッソーネの遺言に従って、コレクションを恒久的に保存するのにふさわしい建物の設計・建設を審議した。その結果、建設予定地はヴィレッタ・デイ・ネグロ公園内に決定、1953年に建設に着工をし、1970年に完成している。そして、翌1971年5月7日に開館、以来、広く一般に公開されている。

自らが銅版画家であった彼の日本美術品コレクションは約15000点以上にのぼり、浮世絵版画3269点、肉筆浮世絵286点余りのほか、大仏像、甲冑絵画陶器など多岐にわたっている。

所蔵品

  • 「初代大谷広次のはしば久吉と二代目三条勘太郎の若衆」 細版 漆絵 鳥居清信
  • 「二代目市川団十郎と初代佐野川万菊」 細版 漆絵 鳥居清忠
  • 「しゃぼん玉を吹く美人」 柱絵判 錦絵 礒田湖竜斎
  • 「御殿山の花見駕籠」 大判 錦絵3枚続 喜多川歌麿
  • 「教訓親の目鑑 本性者」 大判 錦絵 喜多川歌麿
  • 「二代目中村仲蔵の舎人松王丸  大判 錦絵3枚揃のうち 歌川国政
  • 「源頼光公館土蜘蛛作妖怪図」 大判 錦絵3枚続 歌川国芳
  • 「雪中の花魁」 掛物絵 大判錦絵 上下2枚続 渓斎英泉
  • 「諸国名橋奇覧 すほうの図 きんたいはし」 大判 錦絵揃物 葛飾北斎
  • 「業平踊図」 絹本着色 宮川長亀
  • 「身重の女」 絹本着色 葛飾北斎
  • 「七福神」 絹本着色 歌川豊春歌川豊国歌川豊広歌川国貞勝川春英鳥居清長、葛飾北斎
  • 「桜下遊女図」 紙本着色 歌川豊国
  • 「月夜楼上芸妓図」 絹本着色 歌川広重
  • 「四条河原夕涼図」 絹本着色 鳥文斎栄之
  • 「遊女道中図」 絹本着色 礫川亭一指
  • 「月下竹虎図」 絹本着色 葛飾北斎
  • 「諌鼓鶏図」 絹本着色 葛飾北斎
  • 「観月遊女図」 絹本着色 柳々居辰斎

 

参考文献

  • キヨッソーネ東洋美術館所蔵 浮世絵展 神戸新聞社 株式会社エーティー 富田智子編、神戸新聞社、2001年