勝川春英

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ナビゲーションに移動 検索に移動

勝川 春英(かつかわ しゅんえい、宝暦12年〈1762年〉- 文政2年10月26日1819年12月13日〉)とは、江戸時代浮世絵師

来歴[編集]

勝川春章の門人。姓は磯田、名は久次郎。九徳斎、旭徳斎と号す。江戸に生まれ新和泉町の家主をしていた。早くに春章の門人となり、安永7年(1778年)に17歳で初作を描く。細判、間判の作品が多く見られ、雲母摺の大首絵「三代目市川八百蔵」などは写楽と相前後して世に出している。寛政7年(1795年)、都座桐座河原崎座の三座において『仮名手本忠臣蔵』が競演され江戸中が沸きあがると、春英は都座と桐座に取材、岩戸屋から「三代目澤村村宗十郎の加古川本蔵」などを出した。享年58。墓所は台東区西浅草の善照寺、法名は釈春英。

明るく飄逸な作風の春英の役者絵は芝居ともども人気を得た。春英の役者絵は師の春章の亡き後を継いで寛政の前・中期に絶頂期を見せており、その画業は歌川豊国東洲斎写楽にも影響を及ぼしている。また武者絵相撲絵も多く、さらに美人画も手がけ、狂歌本や肉筆浮世絵も描いた。美人画を歌舞伎の所作事に見立てて描いた「おし絵形」シリーズも、動きの中の一瞬の美をとらえた秀作である。肉筆画では美人画が多く、切れ長の眼に顎の辺りにふくらみのある「張り」と、愛嬌ある容貌を具えている点が春英美人の特色である。春章門下の中で同門の勝川春好と競い合い活躍した逸材であった。春英自身の門弟も非常に多く、門人に二代目勝川春章二代目勝川春好勝川春徳勝川春亭らがいる。なお、勝川春英女という絵師もいるが春英との関係は不明。

作品[編集]

「おし絵形 春駒」 春英画。

錦絵[編集]

  • 「三代目市川八百蔵の菊池兵庫」 細判錦絵 城西大学水田美術館所蔵
  • 「人形を遣う浅尾為十郎」 細判錦絵 城西大学水田美術館所蔵
  • 「三代目沢村宗十郎の加古川本蔵」 大判

肉筆浮世絵[編集]

作品名 技法 形状・員数 寸法(縦x横cm) 所有者 年代 落款・印章 備考
湯上がり美人と猫図 紙本着色 1幅 94.9×26.1 東京国立博物館 款記「春英画(花押)」
八朔の花魁図 紙本着色 1幅 日本浮世絵博物館
三世瀬川菊之丞の相生獅子図 絹本着色 1幅 日本浮世絵博物館
鍾馗 絹本着色 1幅 78.2x34.7 心遠館(プライスコレクション) 款記「勝春英画」(花押)[1]
交合十図 紙本着色 絵巻 大英博物館 1792-95年(寛政4-7年)頃 無款
春画幽霊図 絹本着色 双幅 ミカエル・フォーニツコレクション 寛政末~文化期

版本[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 辻惟雄監修 『ザ・プライスコレクション』 小学館、2006年9月1日、No.198、ISBN 978-4-09-681881-7

参考文献[編集]

関連項目[編集]