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'''マッチェム'''({{lang|en|Matchem}}、[[1748年]] - [[1781年]])は[[18世紀]]の[[イギリス]]の[[競走馬]]。[[18世紀]]の競走馬・[[種牡馬]]で、まだ[[サラブレッド]]の概念が完全には確立していない時代の名馬である。父方直系子孫は現在でも残存し、[[エクリプス (競走馬)|エクリプス]]、[[ヘロド (競走馬)|ヘロド]]と並びサラブレッド[[三大始祖]]<ref>マッチェムらとほぼ同様の意味で、その2代父[[ゴドルフィンアラビアン]]らを三大始祖と呼ぶ場合も多い。</ref>の一頭に数えられる。この3頭の中ではもっとも早く生まれた。 |
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== 生涯 == |
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[[イギリス]]でジョン・ホームズによって生産された。成長が遅く、体高(肩までの高さ)も15.1[[ハンド (単位)|ハンド]](約153.4[[センチメートル |
[[イギリス]]でジョン・ホームズによって生産された。成長が遅く、体高(肩までの高さ)も15.1[[ハンド (単位)|ハンド]](約153.4[[センチメートル]]、別の記述では14.3ハンド)と当時としてもあまり大きなほうではなかった。その後ウィリアム・フェニックの手に渡ったという。 |
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マッチェムは優れた競走馬、種牡馬であったが、競走馬としてのエクリプスや、種牡馬としてのヘロドほど抜きん出た存在ではなかった。現役時代を紹介すると、当時の強豪トラヤヌスが出走していた[[ニューマーケット競馬場]]の4[[マイル]](約6442[[メートル]])戦では、それを7分20秒の好タイムで破り<ref>ただし、レースタイムが初めて正規に計られたのは1846年からであり、このタイムをそのまま信用する |
マッチェムは優れた競走馬、種牡馬であったが、競走馬としてのエクリプスや、種牡馬としてのヘロドほど抜きん出た存在ではなかった。現役時代を紹介すると、当時の強豪トラヤヌスが出走していた[[ニューマーケット競馬場]]の4[[マイル]](約6442[[メートル]])戦では、それを7分20秒の好タイムで破り<ref>ただし、レースタイムが初めて正規に計られたのは1846年からであり、このタイムをそのまま信用することは好ましくない。黎明期の競馬については[[フライングチルダーズ]]が1マイルを1分で走ったなど、誇張された逸話が伝えられている。</ref>、さらにトラヤヌス陣営が馬の体調が悪かったと主張すると、翌年4月の再戦でもふたたびトラヤヌスを下している。負けたレースは[[1756年]]のジョッキークラブプレート(優勝馬[[スペクテイター]])と翌年の同競走(優勝馬ミルザ)のみで全成績は12戦10勝と伝えられ、当時のトップホースの一頭と評価されている。 |
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その後12歳で引退すると、1781年に33歳で死亡するまで現役種牡馬として活躍し、ヘロドが登場するまでの間マッチェム系を主流血統として発展させた。後継種牡馬となった[[コンダクター (競走馬)|コンダクター]]、[[セントレジャーステークス]]優勝馬オランディーズ、[[オークス]]優勝馬テトータム |
その後12歳で引退すると、1781年に33歳で死亡するまで現役種牡馬として活躍し、ヘロドが登場するまでの間マッチェム系を主流血統として発展させた。後継種牡馬となった[[コンダクター (競走馬)|コンダクター]]、[[セントレジャーステークス]]優勝馬オランディーズ、[[オークス]]優勝馬テトータムなどの名馬を輩出し、[[1772年|1772]] - [[1774年|74年]][[イギリス]][[リーディングサイアー]]を獲得している。産駒は354頭が勝ち上がり、獲得賞金は合計で15万[[スターリング・ポンド|ポンド]]に達した。 |
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=== 主な産駒 === |
=== 主な産駒 === |
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直系子孫については[[マッチェム系]]を参照。 |
直系子孫については[[マッチェム系]]を参照。 |
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* アルフレッド(Alfred 1770年) |
* アルフレッド(Alfred 1770年) |
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* [[コンダクター (競走馬)|コンダクター]](Conductor 1767年) - 後継種牡馬 |
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* オランディーズ(Hollandise 1775年) - セントレジャーステークス |
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* テトータム(Tetotum 1777年) - オークス |
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* ターフ(Turf 1760年) |
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2012年12月20日 (木) 12:01時点における版
マッチェム | |
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マッチェムの肖像 by George Stubbs | |
欧字表記 | Matchem |
品種 | サラブレッド |
性別 | 牡 |
毛色 | 鹿毛 |
生誕 | 1748年 |
死没 | 1781年2月21日 |
父 | ケード |
母 | パートナーメア |
生国 | イギリス |
生産者 | ジョン・ホームズ |
馬主 | ウィリアム・フェニック |
調教師 | - |
競走成績 | |
生涯成績 | 12戦10勝 |
獲得賞金 | 不明 |
マッチェム(Matchem、1748年 - 1781年)は18世紀のイギリスの競走馬。18世紀の競走馬・種牡馬で、まだサラブレッドの概念が完全には確立していない時代の名馬である。父方直系子孫は現在でも残存し、エクリプス、ヘロドと並びサラブレッド三大始祖[1]の一頭に数えられる。この3頭の中ではもっとも早く生まれた。
生涯
イギリスでジョン・ホームズによって生産された。成長が遅く、体高(肩までの高さ)も15.1ハンド(約153.4センチメートル、別の記述では14.3ハンド)と当時としてもあまり大きなほうではなかった。その後ウィリアム・フェニックの手に渡ったという。
マッチェムは優れた競走馬、種牡馬であったが、競走馬としてのエクリプスや、種牡馬としてのヘロドほど抜きん出た存在ではなかった。現役時代を紹介すると、当時の強豪トラヤヌスが出走していたニューマーケット競馬場の4マイル(約6442メートル)戦では、それを7分20秒の好タイムで破り[2]、さらにトラヤヌス陣営が馬の体調が悪かったと主張すると、翌年4月の再戦でもふたたびトラヤヌスを下している。負けたレースは1756年のジョッキークラブプレート(優勝馬スペクテイター)と翌年の同競走(優勝馬ミルザ)のみで全成績は12戦10勝と伝えられ、当時のトップホースの一頭と評価されている。
その後12歳で引退すると、1781年に33歳で死亡するまで現役種牡馬として活躍し、ヘロドが登場するまでの間マッチェム系を主流血統として発展させた。後継種牡馬となったコンダクター、セントレジャーステークス優勝馬オランディーズ、オークス優勝馬テトータムなどの名馬を輩出し、1772 - 74年イギリスリーディングサイアーを獲得している。産駒は354頭が勝ち上がり、獲得賞金は合計で15万ポンドに達した。
主な産駒
直系子孫についてはマッチェム系を参照。
- アルフレッド(Alfred 1770年)
- コンダクター(Conductor 1767年) - 後継種牡馬
- オランディーズ(Hollandise 1775年) - セントレジャーステークス
- テトータム(Tetotum 1777年) - オークス
- ターフ(Turf 1760年)
血統表
マッチェムの血統(マッチェム系 / Spanker Mare5×4=9.38%) | (血統表の出典) | |||
父 Cade 1734年 鹿毛 |
父の父 Godolphin Arabian1724年 |
不明 | 不明 | |
不明 | ||||
不明 | 不明 | |||
不明 | ||||
父の母 Roxana1718年 |
Bald Galloway | St.Victor's Barb | ||
Grey Whynot | ||||
Akaster Turk Mare | Akaster Turk | |||
Cream Cheeks | ||||
母 Partner Mare 1735年 |
Partner 1718年 栗毛 |
Jigg | Byerley Turk | |
Spanker Mare | ||||
Sister One to Mixbury | Curwen's Bay Barb | |||
Curwen Spot Mare | ||||
母の母 Brown Farewell1710年 |
Makeless | Oglethorpe Arabian | ||
不明 | ||||
Brimmer Mare | Brimmer | |||
Trumpet's Dam F-No.4 |
脚注
- ^ マッチェムらとほぼ同様の意味で、その2代父ゴドルフィンアラビアンらを三大始祖と呼ぶ場合も多い。
- ^ ただし、レースタイムが初めて正規に計られたのは1846年からであり、このタイムをそのまま信用することは好ましくない。黎明期の競馬についてはフライングチルダーズが1マイルを1分で走ったなど、誇張された逸話が伝えられている。