マッチェム

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索
マッチェム
Matchem.jpg
マッチェムの肖像 by George Stubbs
欧字表記 Matchem
品種 サラブレッド
性別
毛色 鹿毛
生誕 1748年
死没 1781年2月21日
ケード
パートナーメア
生国 イギリス
生産 ジョン・ホームズ
馬主 ウィリアム・フェニック
調教師 -
競走成績
生涯成績 12戦10勝
獲得賞金 不明
テンプレートを表示

マッチェムMatchem1748年 - 1781年)は18世紀イギリス競走馬18世紀の競走馬・種牡馬で、まだサラブレッドの概念が完全には確立していない時代の名馬である。父方直系子孫は現在でも残存し、エクリプスヘロドと並びサラブレッド三大始祖[1]の一頭に数えられる。この3頭の中ではもっとも早く生まれた。

生涯[編集]

イギリスでジョン・ホームズによって生産された。成長が遅く、体高(肩までの高さ)も15.1ハンド(約153.4センチメートル、別の記述では14.3ハンド)と当時としてもあまり大きなほうではなかった。その後ウィリアム・フェニックの手に渡ったという。

マッチェムは優れた競走馬、種牡馬であったが、競走馬としてのエクリプスや、種牡馬としてのヘロドほど抜きん出た存在ではなかった。現役時代を紹介すると、当時の強豪トラヤヌスが出走していたニューマーケット競馬場の4マイル(約6442メートル)戦では、それを7分20秒の好タイムで破り[2]、さらにトラヤヌス陣営が馬の体調が悪かったと主張すると、翌年4月の再戦でもふたたびトラヤヌスを下している。負けたレースは1756年のジョッキークラブプレート(優勝馬スペクテイター)と翌年の同競走(優勝馬ミルザ)のみで全成績は12戦10勝と伝えられ、当時のトップホースの一頭と評価されている。

その後12歳で引退すると、1781年に33歳で死亡するまで現役種牡馬として活躍し、ヘロドが登場するまでの間マッチェム系を主流血統として発展させた。後継種牡馬となったコンダクターセントレジャーステークス優勝馬オランディーズ、オークス優勝馬テトータムなどの名馬を輩出し、1772 - 74年イギリスリーディングサイアーを獲得している。産駒は354頭が勝ち上がり、獲得賞金は合計で15万ポンドに達した。

主な産駒[編集]

直系子孫についてはマッチェム系を参照。

  • アルフレッド(Alfred 1770年)
  • コンダクター(Conductor 1767年) - 後継種牡馬
  • オランディーズ(Hollandise 1775年) - セントレジャーステークス
  • テトータム(Tetotum 1777年) - オークス
  • ターフ(Turf 1760年)

血統表[編集]

マッチェム血統マッチェム系 / Spanker Mare5×4=9.38%) (血統表の出典)
父系

Cade
1734年 鹿毛
父の父
Godolphin Arabian
1724年
不明 不明
不明
不明 不明
不明
父の母
Roxana
1718年
Bald Galloway St.Victor's Barb
Grey Whynot
Akaster Turk Mare  Akaster Turk
Cream Cheeks

Partner Mare
1735年
Partner
1718年 栗毛
Jigg  Byerley Turk
Spanker Mare
Sister One to Mixbury  Curwen's Bay Barb
Curwen Spot Mare
母の母
Brown Farewell
1710年
Makeless  Oglethorpe Arabian
不明
Brimmer Mare  Brimmer
Trumpet's Dam F-No.4
母系(F-No.)
5代内の近親交配
出典

脚注[編集]

  1. ^ マッチェムらとほぼ同様の意味で、その2代父ゴドルフィンアラビアンらを三大始祖と呼ぶ場合も多い。
  2. ^ ただし、レースタイムが初めて正規に計られたのは1846年からであり、このタイムをそのまま信用することは好ましくない。黎明期の競馬についてはフライングチルダーズが1マイルを1分で走ったなど、誇張された逸話が伝えられている。

外部リンク[編集]