コンテンツにスキップ

エクリプス (競走馬)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
エクリプス
エクリプスの肖像、ジョージ・スタッブス
欧字表記 Eclipse[1][2]
品種 サラブレッド[2]
性別 [2]
毛色 栗毛[1][2]
生誕 1764年4月1日
死没 1789年2月27日
Marske[1][2]
Spilletta[1][2]
母の父 Regulus[1][2]
生国 イギリス[2]
生産者 カンバーランド公爵[1]
馬主 ウィリアム・ワイルドマン
デニス・オケリー
調教師 ジョン・オークリー[注釈 1]
競走成績
生涯成績 18戦18勝
獲得賞金 £2,256 09s.[4][注釈 2]
£2,863 10s.[8][注釈 3]
テンプレートを表示

エクリプス(Eclipse、1764年1789年)は、18世紀後半に活躍したイギリス競走馬種牡馬である。カンバーランド公爵ウィリアム・オーガスタス王子によって生産され、公爵の死後はウィリアム・ワイルドマン、次いでデニス・オケリーの手に渡った。明け5歳の時にエプソム競馬場でデビュー。当時主流であったヒートレースで勝利を重ね、11のキングズプレート[注釈 4]やグレートサブスクリプションパースを制すなど18戦18勝(8回の単走を含む)の戦績を残した。

種牡馬としては、ヘロド系の活躍もあり首位種牡馬は一度も獲得できなかったものの、生涯で4頭のクラシック優勝馬を含む344頭の勝ち馬を出し、その獲得賞金額は158,047ポンドに及んだ。また、産駒を通して血を後世に伝え、エクリプス系と呼ばれる大父系を築き上げた。その影響力は強く、今日のサラブレッドを父方に遡ると約95%がエクリプスに辿り着くといわれている。死亡後はフランス人獣医師シャルル・ヴィアル・ド・サンベルによって検死が行われ、全身の骨格標本が残された。そして、21世紀に入ってからもエクリプス自身やその子孫についての研究が、その骨格から抽出された遺伝情報などを用いて続けられている。

1886年に創設されたイギリス中距離G1のエクリプスステークスや、フランスのエクリプス賞、そして、アメリカ合衆国の競馬表彰であるエクリプス賞などに名を残し、自身の骨格が展示されている王立獣医学校の大学図書館棟は「エクリプス館」と名付けられている。また、デビュー戦でオケリーが全馬の着順を賭ける際に発したとされる「Eclipse first, the rest nowhere.」(エクリプス1着、2着はなし。)は、英和辞典で「唯一人抜きん出て及ぶ者なし」とも訳され、「競争相手を圧倒する」といった意味の定型句として用いられてきた。

なお、当時のイギリスでは、馬齢は5月1日に加算される規定となっていたが[10]、以下の馬齢表記は1月1日に加算される方式に統一する。

歴史的背景

[編集]

エクリプスが生まれた当時は、オークスステークスダービーステークスといったクラシック競走はまだ存在しておらず[11][注釈 5]、大抵の競走馬は重い負担重量(斤量)を背負いながら長距離を走り[13]、競走形態も同じ馬同士が何度も戦って勝負を決するヒートレースと呼ばれるものが主流であった[13][14]。そして、4歳以下で走る競走馬はほとんどなく、当のエクリプスも明け5歳でのデビューであった[9]。また、馬齢を重ねた馬ほど競走能力は高いとされ、例えば、エクリプスのデビュー戦となったノーブルメン&ジェントルメンズプレートの斤量を見ると、5歳が8ストーン7ポンド[注釈 6]、6歳が9ストーン3ポンド、そして7歳以上が9ストーン13ポンドとなっており、7歳以上馬が最重量を背負うこととされていた[10][注釈 7]。しかし、時が流れると競馬の環境も変化していき、エクリプスの孫世代の頃になると、より早熟の馬が、より短い距離を走るようになっていた[13]

なお、この時代のイギリスは軽種馬生産に関してはまだ後れをとっており、大陸ヨーロッパにはプロイセントラケナー種といった、スピードとスタミナに関してより評価の高い品種が存在した[15]。歴史学者の本村凌二は、エクリプスの強さは半ば伝説化されてはいるが、それはあくまでブリテン島に限った話であることを忘れてはならず、同馬の能力が当時の世界水準に比べてもなお卓越していたといえるものであったかは疑問であると述べている[15]

生涯

[編集]

誕生

[編集]
1879年にクランボーン・ロッジに設置された、エクリプスの生誕地を記念する銘板[16]

エクリプスは1764年4月1日日食[注釈 8]の日に生まれた[18]。馬名はこの日食に由来し、『ジェネラルスタッドブック』第1巻には「エクリプスの名は、すべての競走相手を凌駕 (eclipse) したからではなく、日食 (eclipse) の日に生まれたことに因み名付けられた」と注釈がある[1]。生産者はヘロドも生産したイギリス王族の軍人カンバーランド公爵ウィリアム・オーガスタス王子である[1][19][9]

生誕地はウィンザー・グレート・パーク英語版にカンバーランド公が所有していたクランボーン・ロッジ英語版バークシャーウィンザー)の牧場であると考えられているが[16][20][21]、他にもカンバーランド公のもう一つの邸宅であったカンバーランド・ロッジ英語版[22]や所有する厩舎があったバークシャー州イースト・イルスリー英語版近くのキーツ・ゴア (Keats Gore)[16][23][注釈 9]、さらにサリードーキング英語版近くのミクルハム英語版[22][24][注釈 10]バークシャー・ダウンズ英語版[22][16][注釈 11]ミドルセックスアイル・オブ・ドッグズ英語版[22][24][注釈 12]といった異説がある。

エクリプスの毛色は『ジェネラルスタッドブック』には栗毛と登録されている[1]ブレイシー・クラーク英語版はより詳しく「明るい栗毛 (light chesnut) または赤味がかった栗毛 (sorrel-chesnut) で、右後肢に長白と顔に大流星鼻梁白があった」と描写している[25]

デビューまで

[編集]
エクリプスとワイルドマンを描いたジョージ・スタッブスの油彩画(1770年頃)の、“The new book of the horse”(チャールズ・リチャードソン、1911年)に掲載された複製。原画はボルチモア美術館英語版[26]

1歳となった1765年にカンバーランド公が死亡したため、エクリプスを含め彼の所有馬は全てセリ市に出された[27]の売買商[20]ウィリアム・ワイルドマンは、下見をした上でエクリプス目当てにセリ市に参加したが[28]、彼が到着したとき既に同馬は70ギニーで落札されてしまっていた[19][28][29]。ワイルドマンは諦めずにセリが公示時刻よりも早く始まっていたことに抗議し、再度行われたセリにて75ギニーに競り上げエクリプスを手に入れる事に成功した[19][28][29]

ワイルドマンはこうしてエクリプスを手に入れたものの、同馬は非常に気性が荒く、一時は去勢を検討するほどであった[9][30]。しかし、結果として思いとどまり[10]、ワイルドマンはエプソム近郊の荒馬乗りであるジョージ・エルトンのもとにエクリプスを送り出した[9][31]。エルトンは調教のためエクリプスを昼夜問わず酷使し、時には夜通し密猟に駆り出した[31]。そして、ようやく1769年になって、エクリプスは5月にエプソム競馬場で行われる4マイルのヒートレースに出走することとなった[10]

エクリプスをデビューさせるにあたりエプソム・ダウンズ英語版で試走させたところ、予想屋が情報を聞きつけて集まってきた[32][33][注釈 13]。しかし、到着した頃には既に試走は終わっていたため、予想屋がそれを目撃したとする老婆を見つけ様子を聞き出すと、その老婆は「あれが本当の競馬であったかどうかよくわからないが、右後一白の栗毛馬がものすごい形相をして疾走し、たちまち相手馬との差をどんどん広げていくのを見たのはたしかです。あの馬に追いつくには地の果てまで走り続けても……」と答えたという[32][注釈 14]。この噂によりデビュー戦の賭け率(オッズ)は1対4となったが、後にエクリプスの馬主となるデニス・オケリーは事前に情報を得ており、より有利なオッズで多額の賭けを行っていた[9][34][注釈 15]

競走馬時代

[編集]

1769年

[編集]
『オークリー騎乗のエクリプス』(ジョン・ノット・サルトリウス英語版画)

1769年5月3日、エクリプスはエプソム競馬場のノーブルメン&ジェントルメンズプレート[注釈 16]でデビューした[33]。第1ヒートを楽に勝つと[10]、第2ヒートでは3マイルまでは他馬も離されずにいたが、エクリプスはそこから軽々と抜け出し、後続を240ヤード以上[注釈 17]引き離して勝利を飾った[3]。「Eclipse first, the rest nowhere.」という有名な言葉は、このときの賭けで生まれたといわれている(後述[10][3]

2戦目はアスコット競馬場でのノーブルメン&ジェントルメンズプレート[注釈 18]で、ここも楽勝[35]。さらに次走、6月13日にウインチェスター競馬場で行われたキングズプレートでは、同年にギルフォード競馬場のキングズプレートを制したスラウチらを下して勝利した[36]。少なくともこの競走の前日までには、ワイルドマンがオケリーにエクリプスの権利の半分を650ギニーで売り渡している[37][注釈 19]。その二日後、同じくウィンチェスターで行われたシティプレート[注釈 20]では、エクリプスの強さを恐れた馬主が皆回避したために単走となった[37]。次戦のソールズベリー競馬場英語版で行われたキングズプレートもエクリプス以外の出走馬はなく[38]、そして、同地のシティプレート[注釈 21]に勝利した後は、カンタベリー競馬場、ルイス競馬場英語版、リッチフィールド競馬場のキングズプレートを制し[38][注釈 22]、9戦9勝の成績でこの年を終えた[39][40]

1770年

[編集]
『エクリプスとビュセファラス』
ジョン・ノット・サルトリウス画。エクリプス(左)に騎乗しているオークリーは、ワイルドマンの赤の勝負服を着用している[41]
なおこれを原画にキャプションを「エクリプスとシェイクスピア」に差し替えたものが、ジョン・スコット英語版の“Sportsman's Repository”(1820年)でエクリプスの父馬はシェイクスピアであるという説の補強に使用されている[41]

4月17日、ニューマーケット競馬場のビーコンコースでビュセファラスとのマッチレースが組まれた[38]。相手はペレグリン・ウェントワースの所有馬で、1768年グレートサブスクリプションパース英語版に勝つなどエクリプスと同様これまで一度も負けたことがなかった[42]。ビュセファラスの前評判は高く[9]、それは4対6のオッズにも表れていた[43]。レースはエクリプスの先行で始まり、途中、ビュセファラスが迫る場面もあったが、同馬は結局力尽き、最終的にはかなり差が開いての決着となった[44]。この年の冬、又はおそらくビュセファラスとのマッチレースの後に、オケリーはワイルドマンに追加で1,100ギニーを支払い、エクリプスの権利を全て買い取って自身の所有馬とした[45][注釈 23]

マッチレースに勝利した二日後、エクリプスは同地のキングズプレートに出走し、ダイアナ、ペンショナー、チガーに勝利した[46]。続くギルフォード競馬場、ノッティンガム競馬場英語版ヨーク競馬場のキングズプレートは全て単走となり、8月23日に同じくヨーク競馬場で行われたグレートサブスクリプションパース[注釈 24]では、ウェントワース所有のトルトワーズとサー・チャールズ・バンベリー準男爵所有のベラリオを楽に退けた[47]。次戦のリンカーン競馬場英語版のキングズプレートを単走で勝った後[48]、ニューマーケット競馬場の10月開催に出走、1戦目の150ギニーズプレートでコルシカンを破ると、2戦目となるキングズプレートを単走したのを最後に競走馬を引退した[49]。キングズプレートでは無敗馬ゴールドファインダーとの対戦も予定されていたが、同馬の故障によって実現せずに終わった[50][9]

生涯成績は、当時の競馬成績書を数えると18戦18勝となるが、異説もある[注釈 25]。いずれにせよ無敗であったことは確実であり[19][51][52][53]フライングチルダーズ以来の名馬というのが衆目の一致するところであった[19][51][52]

種牡馬時代

[編集]

引退後はサリーエプソム近郊のクレイ・ヒル (Clay Hill) にあったオケリーの牧場で種牡馬として供用された[20]。オケリーはエクリプスの種付料で25,000ポンドを稼いだという[54]。1787年にオケリーが没した後[55]、翌1788年にエクリプスは2頭立ての幌付き馬車ミドルセックスエッジウェアカノンズ英語版[注釈 26]に移され[56][注釈 27]、同地で最晩年を過ごした。なおこれ以前に競走馬が車で移動した例は無く、馬運車に初めて乗った馬ではないかとも言われている[56][59]

種付料は初年度が50ギニー、それ以後は20から30ギニーに下げられた[60][注釈 28]。種牡馬成績は、1774年にホライゾンという芦毛馬が勝利したのを皮切りに、ダービーステークス優勝馬のヤングエクリプスサルトラムサージェントオークスステークス優勝馬のアネット、種牡馬として成功したポテイトーズキングファーガスなど、生涯で344頭の勝馬を出し[54]、その総獲得賞金は158,047ポンドに及んだが[61][62]、結果的に一度も首位種牡馬になることはなかった[63]。これは同時代にヘロド(首位種牡馬8回[64])とその息子ハイフライヤー(同13回[64])が活躍していたためで[63]1778年から1788年の間には11年連続種牡馬ランキング2位という記録も作っている[21]。しかし、母の父としてはフェノメノンwikidataスカイスクレーパーなど、ヘロドやハイフライヤーとの間に多くの名馬を出している[20]

なお、1786年に開催された第1回ジュライステークスの施行条件には、エクリプス(とハイフライヤー)産駒は負担重量を余計に3ポンド背負わなければならないといった“奇妙な”条件が含まれていた[65][39]

[編集]

王立獣医学校設立のためにイギリスに滞在していたフランス人獣医師シャルル・ヴィアル・ド・サンベル英語版の記録によれば、1789年2月25日の朝に激しい疝痛を発症し、治療の甲斐なく2月27日の午後7時に死亡した[66][67]。25歳であった。なお死亡日は20世紀以降の資料ではヴィアル・ド・サンベルと同じ27日とするのが主流だが[68][69][39][70]、19世紀の書籍を中心に28日と記述するものも多く[51][25][71][72][19][73]、他に『ジェネラルスタッドブック』などは26日としている[74][75][20]

カノンズで行われた葬儀には多くの人が集まり、ゴドルフィンアラビアンのときと同様に弔いのためにビール菓子が供された[76][71]

死亡後

[編集]
ヴィアル・ド・サンベルの実測図
エクリプスの骨格
エクリプスの蹄[77]。台座に「エクリプスの蹄が据えられたこのプレートは、1832年5月にウィリアム4世からジョッキークラブに贈呈された」と記されている[77][78]。2022年現在もジョッキークラブが所有[79][80]
ニューマーケットチャレンジウィップのトロフィーである鞭(19世紀頃に描かれたもの)。根本にあるリストバンドがエクリプスのたてがみで、先端が尾の毛で作られている[81]。2020年現在はジョッキークラブが所有[82]

死亡の際、ヴィアル・ド・サンベルが検死剖検)を行い、結果を『An Essay on the Proportions of Eclipse』としてまとめている[83][84]。彼は馬体の各部位の寸法を計測してその比率を求めたほか[85]、体高(地面から鬐甲までの高さ)を66インチ(16ハンド2インチ≒約167.6センチメートル)と推定した[86][21][注釈 29]。また心臓が14ポンド(約6.35キログラム)もあったと報告した[87][84]

エクリプスの骨格は現存している。これはヴィアル・ド・サンベルの解剖の助手を務めたエドムンド・ボンド[注釈 30]にオケリー家から贈られたと思われ、ボンドの死後はブレイシー・クラークの所有となったが、当時はまだ組み立てられていなかった[83]。クラークは骨をジョン・ギャムジー英語版エディンバラに設立した新獣医学校 (New Veterinary College) に100ギニーで売却し、同校で初めて骨格標本として展示されるようになった[83][84]。同校が廃校になるとギャムジーは1871年に骨格を王立獣医師協会英語版へ寄贈し、1920年からのロンドン自然史博物館への貸し出しを経て、1983年に国立競馬博物館英語版が開館すると同館に展示されるようになった[83][84]。現在は王立獣医学校のエクリプス館で展示されている[88][89]

なお、骨格標本からはが失われており[88]、そのうちの一つをの台座にあしらった物がジョッキークラブに所有されている[80]。骨格や蹄の他には、たてがみの毛、皮も遺されており、たてがみと尾の毛は、ニューマーケットチャレンジウィップというレースの賞である[注釈 31]に編み込まれた[91][82]。皮は、所持していたマシュー・ドーソンの死に際して第5代ローズベリー伯爵アーチボルド・プリムローズが入手し[92]、その後第6代ローズベリー伯爵ハリー・プリムローズ英語版からジョッキークラブに寄贈された断片が知られている[93][94]

ただし、エクリプスの「遺品」とされるものには多くの偽物があったようで、『Eclipse & O' Kelly』において著者のセオドア・アンドレア・クック英語版が調べたところによれば、エクリプスのものと「疑いようのない」骨格は6体、「本物の」蹄は9つもあった[95]。また、尾の毛や皮についても、1体の競走馬からとられたとは到底考えられない量が存在していたという[95]

ヴィアル・ド・サンベルによる解剖はエクリプスの競走能力の秘密を解き明かそうとするものだったが[89]、骨格や血統の研究は現在も続いている。2005年にはエクリプスのデオキシリボ核酸 (DNA) が調査される予定であると英国放送協会 (BBC) やサラブレッドタイムズによって報道された[96][97]。記事には、イギリスの王立獣医学校とケンブリッジ大学の科学者が歯等に残された DNA を調査すると記載された。2012年に調査結果が報告され、王立獣医学校が所蔵するエクリプスの骨格のミトコンドリアDNA (mDNA) とその牝系子孫にあたる現代の馬の mDNA を比較したところ、この骨格が(複数の他の馬の骨が組み合わせられているのではないかという疑いに反して)ほぼ全てエクリプスのものであることが確かめられたという[89]。また、2006年には骨格と運動モデルが分析され、現在の馬とほぼ同じ特徴を持っていたと結論付けられた[98]

後世への影響

[編集]

後世への影響は非常に大きい。エクリプスを父方の祖先に持つ系統(サイアーライン)をエクリプス系と呼ぶが[99][100]サラブレッドのほとんどが同系に属するとされており、その勢力は95%に達するとまでいわれている[20][97]。とはいえ、当初から他の系統を凌駕する勢いがあったわけではなく、エクリプスが種牡馬として現役であった時代にはヘロドハイフライヤーの方が優勢であったし[63]、19世紀初めにおいても、その勢力は互角又はやや劣る状況であった[101]。エクリプス系が隆盛の道を歩み始めるのは19世紀の終わりになってからであり[63]キングファーガスの流れを汲む[注釈 32]セントサイモンの誕生が勢力拡大の大きな原動力となった[100][注釈 33]

1913年にはポテイトーズの系統から[注釈 34]ファラリスが誕生する[107]第一次世界大戦下のニューマーケット競馬場で16勝を挙げたファラリスは種牡馬としても活躍し[108]、産駒のファロスフェアウェイの全兄弟[注釈 35]によってサラブレッドの世界に多大な影響を及ぼした[111]。ファラリスの子孫は何世代にもわたって卓越した成績を挙げ、20世紀末には圧倒的な勢力を築き上げた[107]。特にファロスの産駒ネアルコナスルーラダンテロイヤルチャージャーモスボローニアークティックなどの産駒を送り出し[112]、「ファラリス系繁栄の最大の功労馬」となって[113]、セントサイモン以上ともいわれる影響力でエクリプス系優位の流れを決定づけた[100]米クラシック二冠を達成し、輸出先の日本で1995年から2007年にかけて13年連続で首位種牡馬を獲得した[114]サンデーサイレンスもネアルコの父系子孫である[100]

父系のみに限らない議論としては、2018年のシドニー大学を中心とした研究グループによる、サラブレッドにおける近親交配インブリード)の影響を調べた報告がある。それによると、2000年から2011年にオーストラリアで走ったサラブレッド13万5572頭の全血統表を調査した結果、これらの馬のゲノムに対するエクリプスの寄与は、ヘロド (18.1%)、ゴドルフィンアラビアン (13.8%) に次ぐ13.3%に達していた[115]。その一方で、寄与が大きい祖先馬の部分近交係数 (Partial inbreeding coefficient) を求めて成績と比較したところ、エクリプスに由来する同祖英語版対立遺伝子を多く持つ個体は競走能力が低い傾向がみられ、特に現役期間が短い傾向が顕著であった[115][注釈 36]。その要因の一つとして、同報告ではエクリプスの曾祖父[注釈 37]が患っていた肺出血について言及している[115]

顕彰

[編集]
ニューマーケット競馬場のエクリプス像。

1886年にイギリスのサンダウン競馬場でエクリプスを記念するエクリプスステークスが創設された[60][117]。この競走は当時イギリス国内で最高額の賞金を誇り[118]、サンダウン競馬場で唯一の、そして同国でクラシック世代と古馬が初めて顔を合わせる平地中距離G1として開催が続いている[119]。また、フランスでも1891年にエクリプス賞英語版が創設された[120]。こちらはG3に指定されており、幾度か開催場所を変えながら6ハロンから7+12ハロンの距離で実施されてきた歴史を持つ[120]

さらにアメリカ合衆国の競馬の年間表彰制度エクリプス賞もこの馬を記念したもので[88]、各部門の最優秀者及び最優秀馬の所有者に贈られるトロフィーにはエクリプスの像があしらわれている[121]

他にもエクリプスにちなんで名付けられた事物の例として、王立獣医学校大学図書館棟 (Learning Resource Centre) が「エクリプス館」と命名されているほか[83][122]、競馬を扱うイギリスのオンラインマガジンに「エクリプス・マガジン」と称しているものがある[122]。競馬とは直接関連がないものでも、三菱自動車の北米法人ダイアモンド・スター・モーターズが製造した自動車である「エクリプス」や[123][122]エミール・カールセンが油彩画を描いた蒸気船「エクリプス号」は本馬に由来する[122]

1989年には没後200年を記念し、ポール・メロンの後援のもとジェイムズ・オズボーンwikidataがエクリプスの銅像を制作した[124]。このうち最初に鋳造されたものはニューマーケット競馬場[124]、2番目に鋳造されたものは王立獣医学校に設置されており[124][125]マケット英語版(ミニチュアの雛型)はイェール大学イギリス美術センター英語版のポール・メロン・コレクションに収蔵されている[124][126]

Eclipse first, the rest nowhere.

[編集]
Walker (1770, p. 38) に記録された1769年5月3日のノーブルメン&ジェントルメンズプレートの結果。第2ヒートでエクリプスは他馬すべてに大差 (diſ.) を付けたと記されている。

エクリプスがデビュー戦の第1ヒートを難なく勝った後、デニス・オケリーが第2ヒートの全馬の着順を賭けてもいいと宣言した際に発した語句で[127][注釈 38]、意味は「エクリプス1着、2着馬はなし」[128]。「エクリプス1着、残りは惨敗」[60]や「エクリプス1着、ほかの馬はどこにも来ない」[18]といった訳もある。

当時のヒートレースのルールでは、1着馬から240ヤード(約219.5メートル)以上離された場合には入着を認められないため、エクリプスが他馬を240ヤード以上離して勝つ[注釈 39]、と予想したものである[130]。結果はエクリプスが圧勝し、オケリーの予想が的中した[130]。これは後に「競争相手を圧倒する」といった意味の慣用句あるいはクリシェとなり[131][88]、『新英和大辞典』第5版では、「唯一人抜きん出て及ぶ者なし」の訳で掲載されている[132][11]

また、この語句は「エクリプス1着、他はまだ見えない」という訳でも知られている[128]。この訳は孫引きによって日本の競馬界に広まり、さまざまな文献にも引用されているが、山野浩一は、これをヒートレースのルールを知らない訳者が、2着馬がいなくなることはあり得ないと考え、「nowhere」の意を2着馬が「見えないだけ」と解釈してしまった結果産まれた誤訳と指摘している[128]

競走成績

[編集]

当時の競馬成績書に記録されている競走成績をまとめると以下の通り。

エクリプスが挙げたキングズプレート11勝は、それまでの記録を1勝上回る最多記録だった[51][133]

出走日 競馬場 競走名 距離 着順 斤量 (対戦相手) 出典
1769年5月3日 エプソム ノーブルメン&ジェントルメンズプレート 4miヒート 優勝 8st7lb (ガウアー、チャンス、トライアル、プルーム) [134]
5月29日 アスコット ノーブルメン&ジェントルメンズプレート 2mi(ヒート) 優勝 9st3lb (クリームデバルバド) [135]
6月13日 ウインチェスター キングズプレート 4mi(ヒート) 優勝 12st (スラウチ、チガー、ジューバ、カリバン、クランヴィル) [136]
6月15日 ウインチェスター シティプレート 4mi(ヒート) 優勝 9st 単走 [136]
6月28日 ソールズベリー キングズプレート 4mi(ヒート) 優勝 12st 単走 [137]
6月29日 ソールズベリー シティプレート 4mi(ヒート) 優勝 10st (サルファー、フォレスター[注釈 40] [137]
7月25日 カンタベリー キングズプレート 4mi(ヒート) 優勝 12st 単走 [138]
7月27日 ルイス キングズプレート 4mi(ヒート) 優勝 12st (キングストン) [139]
9月19日 リッチフィールド キングズプレート 3mi(ヒート) 優勝 8st7lb (タルディ) [140]
1770年4月17日 ニューマーケット マッチレース 4mi 1着 8st7lb ビュセファラス [141][142]
4月19日 ニューマーケット キングズプレート 4mi(ヒート) 優勝 12st (ダイアナ、ペンショナー、チガー) [143][144]
6月5日 ギルフォード キングズプレート 4mi(ヒート) 優勝 12st 単走 [145][146]
7月3日 ノッティンガム キングズプレート 4mi(ヒート) 優勝 12st 単走 [147][148]
8月20日 ヨーク キングズプレート 4mi(ヒート) 優勝 12st 単走 [149][150]
8月23日 ヨーク グレートサブスクリプションパース 4mi 1着 8st7lb (トルトワーズ、ベラリオ) [151][152]
9月3日 リンカーン キングズプレート 4mi(ヒート) 優勝 12st 単走 [153][154]
10月3日 ニューマーケット 150ギニーズプレート 4mi 1着 8st10lb (コルシカン) [155][156]
10月4日 ニューマーケット キングズプレート 4mi(ヒート) 優勝 12st 単走 [157][158]
  • 走路はすべて芝馬場。

種牡馬成績

[編集]

主な産駒

[編集]

代表産駒として挙げられる馬は以下の通り[159][73]。種牡馬入りした牡駒のうちポテイトーズキングファーガスジョーアンドリュースwikidataマーキュリーwikidataが父系の拡大に成功した[159]

生年 馬名 欧字名 主な戦績など 出典
1773年 ポテイトーズ Potoooooooo
(Pot-8-Os)
46戦34勝。チャンピオン英語版[注釈 41]ワキシーの父 [161][160]
1775年 キングファーガス King Fergus 1797年英愛首位種牡馬。ベニングブローハンブルトニアンの父 [162][163][164]
1778年 ジョーアンドリュース[注釈 42] Joe Andrews 産駒のディックアンドリュースを通して、トランプ英語版アルティシドラ英語版などを送り出す [21][165][166]
1778年 ヤングエクリプス Young Eclipse ダービーステークス [167]
1778年 マーキュリー Mercury ゴハンナの父 [167]
1780年 サルトラム Saltram ダービーステークス。ウィスキーwikidataの父 [168][167]
1780年 ダンガノンwikidata Dungannon 13連勝を含む29戦26勝 [169][170][171]
1781年 サージェント Serjeant ダービーステークス [172]
1783年 ミーティアwikidata Meteor 21連勝を含む33戦30勝。メテオラ英語版コペンハーゲンの父 [173][174][175][176]
1784年 アネット Annette オークスステークス [177]

牝駒の主な産駒

[編集]

クラシック競走とドンカスターカップの優勝馬のうち、エクリプスを母の父(ブルードメアサイアー)に持つ馬は以下の通り。タグとリメンブランサー以外はすべて父がヘロド系である。

生年 馬名 欧字名 主な戦績 出典
1780年 フェノメノンwikidata Phoenomenon
(Phenomenon)
ヘロド セントレジャーステークスドンカスターカップ [172][178][179]
1786年 スカイスクレーパー Skyscraper ハイフライヤー ダービーステークス [180][181][182]
1786年 タグ英語版 Tag トレンサムwikidata オークスステークス [173][183]
1789年 ジョンブル John Bull フォーティチュードwikidata ダービーステークス [184][182]
1789年 ターター英語版 Tartar フロリゼル セントレジャーステークス [185][178]
1789年 ヴァランテ Volante ハイフライヤー オークスステークス [185][183]
1790年 オベロンwikidata Oberon ハイフライヤー ドンカスターカップ [179]
1794年 スタンフォードwikidata Stamford サーピーターティーズル ドンカスターカップ2回 [179]
1796年 アーチデューク英語版 Archduke サーピーターティーズル ダービーステークス [186][182]
1796年 ベリナ Bellina ロッキンガムwikidata オークスステークス [187][183]
1797年 エフェメラ Ephemera ウッドペッカー オークスステークス [186][183]
1800年 リメンブランサー英語版 Remembrancer ピペイターwikidata セントレジャーステークス、ドンカスターカップ [188][178][179]
1803年 パリス英語版 Paris サーピーターティーズル ダービーステークス [189][182]

血統

[編集]
マースクの肖像
スピレッタと幼駒時代のエクリプス

エクリプスの両親は父マースクと母スピレッタ英語版で、どちらもカンバーランド公の所有馬であった[22]

マースクは1750年にジョン・ハットンが生産し、幼駒時にアラブ馬との交換でカンバーランド公の所有となった父スクワート・母ルビーメア (Ruby Mare) という血統の馬で[190]、競走馬時代にはジョッキークラブプレートでの勝利を含む6戦3勝の成績を残した[191]。引退後は種牡馬としてカンバーランド公やワイルドマンらのもとで供用されたが、エクリプスの活躍によって人気を博すと[9]、第4代アビンドン伯爵ウィラビー・バーティー英語版に1,000ギニーで購入され、100ギニーの種付料を取るようになった[192][193]。エクリプス引退後の1775年と1776年には首位種牡馬を獲得している[194]

スピレッタは1749年にサー・ロバート・イーデン準男爵が生産した、父レギュラス・母マザーウェスタン (Mother Western) という血統の馬で、こちらも競走馬デビュー前にカンバーランド公の持ち馬になっていた[76]。競走馬としてはニューマーケット競馬場で1戦のみ出走して着外[68]に終わり、その後はカンバーランド公のもとで繁殖牝馬となった[195]。同馬はエクリプスのほか4頭の産駒を出しており[注釈 43]、その中でエクリプスの全妹であるプロサーパイン (Proserpine) の子孫は12号族の主流となる分枝を形成し、繁栄している[68]

なお、父はマースクではなくシェイクスピアだという説もある[196][68]リチャード・タタソールの記録帳には、オケリーの厩務員の証言として、スピレッタにはマースクに交配される前にシェイクスピアとも交配されたという記述がある[196][197]。しかし、クックはこの説に否定的であり、「大方の専門家の意見が一致してからすでに久しく、エクリプスにいたる真の系統は、ダーレー・アラビアンを父とするフライングチルダーズの全兄弟馬バートレッツチルダーズからスクヮートを通して、マースクに至ったのだ」と述べ[198][注釈 44]、さらにカンバーランド公の牧場の事情をオケリーの厩務員が知っているとは信じがたく、マースクの売買価格や種付料が高額だったことは当事者たちがエクリプスの血統を疑っていなかったことを示している、としている[199]。ニコラス・クリーも、カンバーランド公が繁殖牝馬をシェイクスピアの元へ送った形跡がないことと、エクリプスが活躍して父馬を偽装する動機が生まれる前の記録に「マースク産駒の栗毛馬」とあることを根拠に、父シェイクスピア説を否定している[200]。もっとも、両馬いずれとも父を遡ればダーレーアラビアンに行き着くため、どちらが本当の父だったとしても父系に関して大きな変更はない[68]

Eclipseの血統(出典[§ 1]
父系 ダーレーアラビアン系 [§ 2]
Marske
1750 黒鹿毛
父の父
Squirt
1732 栗毛
Bartlet's Childers Darley Arabian
Betty Leedes
Snake Mare Snake
Grey Wilkes
父の母
Hutton's Blacklegs Mare
生年不明
Hutton's Blacklegs Hutton's Bay Turk
Coneyskins Mare
Bay Bolton Mare Bay Bolton
Fox Cub Mare
Spilletta
1749 鹿毛
Regulus
1739 鹿毛
Godolphin Arabian 不明
不明
Grey Robinson Bald Galloway
Snake Mare
母の母
Mother Western
1731
Easby Snake Snake
Akaster Turk Mare
Old Montagu Mare Lord d'Arcy's Old Montagu
Hautboy Mare
母系 (F-No.) 12号族  (FN: 12) [§ 3]
5代内の近親交配 Snake Mare: 3×4, Snake: 4×5×4, Hautboy: 5×5, Cream Cheeks: 5×5 [§ 4]
出典
  1. netkeiba.com[201]
  2. netkeiba.com[201]
  3. JBISサーチ[202]、netkeiba.com[201]
  4. netkeiba.com[201]

脚注

[編集]

注釈

[編集]
  1. オークリーはデビュー戦を含む大体のレースで鞍上を務めた騎手であるが[3]山野 (1993, p. 293) は、当時は騎手と調教師、厩務員の区別は明瞭ではなく、エクリプスにはオークリーや馬主のワイルドマンが調教を付けていたとする。また、Clee (2010, pp. 63–64) は、エクリプスほどの競走馬でも調教師の任を誰が担っていたかはよくわかっていないとしながら、それはオークリーであったかもしれないと述べている。その他、原田 (1993, p. 27) はサリヴァン (Sullivan) の名を挙げている。
  2. 出典とした Cook (1907, p. 290) は、2149 guineas と記載。1971年に実施された通貨の十進化以前は、1ポンドは20シリングと等価であった[5][6]。また、ギニーの価値は1717年から廃止されるまでの間、21シリングに固定されていたので[7]、ここでは1.05ポンドで換算している。
  3. 出典とした Clee (2010, p. 296) は、£2,863.50.と記載。ここでは0.5ポンドを10シリングと表記している。
  4. 国王から賞品が下賜され、当時最も権威のある競走であった[9]
  5. オークスステークスは1779年、ダービーステークスは1780年創設[12]
  6. 石川 (1997, p. 16) は8ストーンとしているが、Walker (1770, p. 38) 記載の斤量によった。
  7. ロングリグ (1976, p. 85) によれば、ヘンリー・ジョン・ラウス英語版はこの差を異常と考えていたようであるが、ロングリグ自身は7歳馬が5歳馬に26ポンド差で勝利している事実もあることから、当時はこれが正当であったとしている。
  8. 当時の日食を Weatherby (1891, p. 197) は great Eclipse と記す。山野 (1993, p. 292) や石川 (1997, p. 14) は皆既日食とするが、この時に観測されたのは金環食であった[17]
  9. Cook (1907, p. 68) は、キーツ・ゴアにあった厩舎は現役馬のためのものだったので、繁殖牝馬がここにいたとは考えにくいとしている。
  10. Cook (1907, p. 69) によれば、ミクルハムは後に馬主となるワイルドマンが厩舎を構えていた場所というだけである。
  11. Cook (1907, p. 68) によれば、エクリプスとバークシャー・ダウンズとの関連は1770年に馬主のオケリーが所有する別の馬がここで行われた競走に勝ったことしかない。
  12. Cook (1907, p. 69) は、近くのエセックスプレイストー英語版に「カンバーランド・ファーム」と名付けられた(カンバーランド公とは無関係な)地所があったことが由来であろうとする。
  13. ロングリグ (1976, p. 79) は試走の場所をバンステッド・ダウンズ英語版とする。
  14. 老婆の発言は原田 (1993, p. 16) より引用。
  15. Cook (1907, p. 78) は、オケリーの所有馬がエクリプスの試走(調教)の相手をしたのではないかと推測している。
  16. 競走名は Walker (1770, p. 38) による。
  17. Cook (1907, p. 78) は200ヤードとするが、ヴァンプルー & ケイ (2008, p. 106) に記載のヒートレースの説明に基づき240ヤードとした。
  18. 競走名は Walker (1770, p. 49) による。
  19. ただし以後も出走登録はワイルドマンの名義だった[9]
  20. 開催地、日付、競走名は Walker (1770, p. 58) による。
  21. 競走名は Walker (1770, p. 70) による。なお Cook (1907, p. 82) はシティ・ボウルとしている。
  22. この中でカンタベリー競馬場のキングズプレートはエクリプスの単走であった[38]
  23. オケリーが権利を買い取った時期について、石川 (1997, p. 16) は「マッチレースを勝った時点」、Cook (1907, p. 82) は1769年中とする。
  24. 日付は Walker (1771, p. 100) による。
  25. Pick (1805, pp. 15–17)、Taunton (1887a, pp. 112–114)、石川 (1997, p. 17)、Clee (2010, pp. 293–296) はその説を採っている。Bloodlines.net はそれに1770年のノッティンガム競馬場でのキングズプレートを加えて19戦19勝[21]山野 (1993, pp. 293, 295–296) はニューマーケット競馬場での100ギニーズプレート2勝を加えて20戦20勝としている。
  26. 初代シャンドス公爵ジェームズ・ブリッジスが建てたカントリー・ハウス跡(建屋はシャンドス公没後に取り壊されていた)で、オケリーが買い取ってここにも牧場を構えていた。敷地は現在キャノンズ・パーク英語版となっている。
  27. この移動には主戦騎手であったジョン・オークリーが同行したという[57][58]
  28. クレイグ (1986, p. 71) は逆に25ギニーであった種付料が、後50ギニーに引き上げられたとしている。
  29. ただし Cook (1907, pp. 154–155) は、サンプソン(1745年生まれ、体高15ハンド2インチ)が当時極めて大きな競走馬と考えられていたことや生前のエクリプスが大柄だったという記録がないことからこの記述を疑わしいと述べ、サラブレッドの体高が大きくなっている傾向を加味して実際は15ハンド2インチだったのではないかと推測している。
  30. Edmund Bond。1794年に第1期の王立獣医学校卒業生となり、ロンドンで最初の開業獣医師となった人物[83]
  31. 鞭自体はエクリプスよりも更に古く、チャールズ2世からジョッキークラブに下賜されたものという言い伝えがある[90]
  32. キングファーガスからハンブルトニアンホワイトロックブラックロックヴォルテールヴォルティジュールヴェデットガロピンを経てセントサイモンに至る[102]
  33. ただし、2017年に発表されたウィーン獣医科大学英語版を中心とする研究グループの報告[103]や、2019年に発表されたその追跡研究[104]の成果は、セントサイモンがダーレーアラビアン系(エクリプス系)ではなくバイアリーターク系(ヘロド系)であることを示している[105]。血統書と異なる理由について Felkel et al. (2019) は、セントサイモンの父方の祖父(ガロピンの父)がヴィデット(Vedette、1854年生まれ)ではなくディライト(Delight、1863年生まれ)であるという、20世紀前半にも主張されていた説を支持している。
  34. ポテイトーズからワキシーホエールボーンサーハーキュリーズバードキャッチャーザバロンストックウェルドンカスターベンドアボナヴィスタサイリーンポリメラスを経てファラリスに至る[106]
  35. 両馬ともスカパフローを母に持つ[109][110]
  36. 他に出走回数や獲得賞金も低い傾向がみられた[115]
  37. バートレットチルダーズのこと[116]Todd et al. (2018) では祖父 (grandsire) と記載されているが[115]、引用論文に従い曾祖父 (great-grandsire) とする[116]
  38. ヴァンプルー & ケイ (2008, p. 53) は、この予想が史実であったかどうかは「非常に疑わしい」とする。
  39. 決勝点から240ヤード手前の地点を The distance といい、先行馬から240ヤード引き離された馬は distanced と宣告された[129]
  40. フォレスターという馬名は Pick (1805, p. 16) や Whyte (1840, p. 517) による。
  41. 史上初のダービーステークス、セントレジャーステークス二冠馬[160]
  42. 前名はデニスオー (Dennis O!)[21][165]
  43. エクリプスは第2仔に当たる[68]
  44. 訳文は原田 (1995, pp. 359–360) より引用。

出典

[編集]
  1. 1 2 3 4 5 6 7 8 9 Weatherby (1891), p. 197.
  2. 1 2 3 4 5 6 7 8 Eclipse(GB)”. JBISサーチ. 日本軽種馬協会. 2025年9月6日閲覧。
  3. 1 2 3 Cook (1907), p. 78.
  4. Cook (1907), p. 290.
  5. Decimalisation”. The Royal Mint Museum. 2025年11月22日閲覧。
  6. Pounds, Shillings and Pence”. The Royal Mint Museum. 2025年11月22日閲覧。
  7. Chisholm, Hugh, ed. (1911). “Guinea (coin)” . Encyclopædia Britannica (英語). Vol. 12 (11th ed.). Cambridge University Press. p. 697.
  8. Clee (2010), p. 296.
  9. 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 Church, Michael. THE LIFE AND TIMES OF ECLIPSE (英語). Michael Church Racing Books. 2025年10月18日閲覧。
  10. 1 2 3 4 5 6 石川 (1997), p. 16.
  11. 1 2 原田 (1993), p. 15.
  12. 本村 (2016), pp. 60–61.
  13. 1 2 3 ホープ & ジャクソン (1976), p. 313.
  14. 本村 (2016), p. 57.
  15. 1 2 本村 (2016), p. 46.
  16. 1 2 3 4 Cook (1907), p. 68.
  17. Annular Solar Eclipse of 1764 April 01 (英語). National Aeronautics and Space Administration. 2025年9月6日閲覧。
  18. 1 2 石川 (1997), p. 14.
  19. 1 2 3 4 5 6 Taunton (1887a), p. 111.
  20. 1 2 3 4 5 6 Peters, Anne. Eclipse (英語). Thoroughbred Heritage. 2025年9月6日閲覧。
  21. 1 2 3 4 5 6 Eclipse (英語). Bloodlines.net. 2007年4月8日時点のオリジナルよりアーカイブ。2025年9月6日閲覧。
  22. 1 2 3 4 5 原田 (1995), p. 360.
  23. Salmon, L. S. (1909). Untravelled Berkshire. London: Sampson Low, Marston & Company, Ltd. pp. 22-23
  24. 1 2 Cook (1907), p. 69.
  25. 1 2 Clark (1835), p. 4.
  26. Eclipse with Mr. Wildman and His Sons (英語). Baltimore Museum of Art. 2025年10月11日閲覧。
  27. 石川 (1997), p. 15.
  28. 1 2 3 Cook (1907), p. 74.
  29. 1 2 Whyte (1840), p. 515.
  30. Clee (2010), p. 62.
  31. 1 2 Cook (1907), p. 76.
  32. 1 2 ロングリグ (1976), p. 79.
  33. 1 2 Cook (1907), p. 77.
  34. Cook (1907), pp. 77–78.
  35. Cook (1907), p. 81.
  36. Whyte (1840), p. 516.
  37. 1 2 原田 (1995), p. 361.
  38. 1 2 3 4 Cook (1907), p. 82.
  39. 1 2 3 石川 (1997), p. 17.
  40. Clee (2010), p. 295.
  41. 1 2 Lot 54 - John Nost Sartorius (British, 1759-1828) (英語). Cheffins. 2025年10月12日閲覧。
  42. Pick (1805), p. 4.
  43. Taunton (1887a), p. 114.
  44. Clee (2010), p. 103.
  45. Clee (2010), p. 100.
  46. Cook (1907), p. 82-83.
  47. Cook (1907), p. 83.
  48. Pick (1805), p. 16.
  49. Pick (1805), pp. 16–17.
  50. Whyte (1840), p. 532.
  51. 1 2 3 4 Pick (1805), p. 17.
  52. 1 2 Whyte (1840), p. 519.
  53. 山野 (1993), p. 295.
  54. 1 2 原田 (1995), pp. 363–364.
  55. Cook (1907), pp. 126–127.
  56. 1 2 原田 (1995), p. 364.
  57. Clark (1835), p. 3.
  58. Cook (1907), pp. 131–132.
  59. 原田 (1993), p. 20.
  60. 1 2 3 ヴァンプルー & ケイ (2008), p. 53.
  61. Pick (1805), p. 19.
  62. Whyte (1840), p. 522.
  63. 1 2 3 4 辻 (2011), p. 85.
  64. 1 2 藤井 (2011a), p. 88.
  65. 原田 (1995), p. 446.
  66. Vial de Sainbel (1795), p. 9.
  67. Cook (1907), p. 132.
  68. 1 2 3 4 5 6 日本中央競馬会 (1978), pp. 16–17.
  69. 原田 (1993), p. 23.
  70. Clee (2010), pp. 186–187.
  71. 1 2 Whyte (1840), p. 520.
  72. Chambers, Robert (1869). “February 28th” (英語). The book of Days 2025年9月6日閲覧。
  73. 1 2 山野 (1993), p. 288.
  74. Weatherby (1891), p. 396.
  75. Harry Harewood, ed. (1835). “ECLIPSE”. A dictionary of sports. London: Thomas Tegg and son. インターネットアーカイブより2025年10月12日閲覧.
  76. 1 2 Pick (1805), p. 18.
  77. 1 2 Cook (1907), p. 133.
  78. @JockeyClubRooms (2020年4月29日). “2020年4月29日午後7時35分のツイート”. X(旧Twitter)より2026年2月8日閲覧.
  79. @JockeyClubRooms (2022年1月23日). “2022年1月23日午後7時00分のツイート”. X(旧Twitter)より2026年2月8日閲覧.
  80. 1 2 甲良みるき (2022年2月2日). Life with Horses No.59 Hoof”. 東京クラシッククラブ. 2025年9月21日閲覧。
  81. Taunton (1887b), 口絵3.
  82. 1 2 @JockeyClubRooms (2020年6月3日). “2020年6月3日午後7時25分のツイート”. X(旧Twitter)より2025年10月17日閲覧.
  83. 1 2 3 4 5 6 Erickson, Howard H. (2014). “Eclipse and the London Veterinary College” (pdf). Veterinary Heritage (英語). 37: 52–56. カンザス州立大学より2025年9月17日閲覧.
  84. 1 2 3 4 Clee, Nicholas (2007年3月4日). “Who's the daddy of them all?”. The Observer (英語). 2025年9月21日閲覧.
  85. Vial de Sainbel (1795), pp. 27–35.
  86. Vial de Sainbel (1795), p. 35.
  87. Vial de Sainbel (1795), p. 11.
  88. 1 2 3 4 Dennis, Steve (2022年3月30日). History of Horse Racing in 100 Objects: And the rest nowhere – the skeleton of Eclipse (英語). Thoroughbred Racing Commentary. 2025年9月17日閲覧。
  89. 1 2 3 Solved: two of the historic riddles of horse racing (英語). University of Cambridge (2012年6月2日). 2025年9月17日閲覧。
  90. Cook (1907), p. 136.
  91. 原田 (1995), pp. 352–353.
  92. Cook (1907), p. 137.
  93. Framed Fragment of Eclipse's Skin with a letter of provenance.”. National Horseracing Museum. 2025年10月11日閲覧。
  94. Baxter, David (2017年7月5日). A piece of racing history – but not for the fainthearted (英語). Racing Post. 2025年10月11日閲覧。
  95. 1 2 Cook (1907), p. 65.
  96. Amos, Jonathan (2005年9月5日). DNA study of 'greatest racehorse' (英語). BBC. 2025年9月6日閲覧。
  97. 1 2 Scientists to study DNA of Thoroughbred foundation sire Eclipse (英語). Thoroughbred Times (2005年9月7日). 2007年9月27日時点のオリジナルよりアーカイブ。2025年9月6日閲覧。
  98. Briggs, Helen (2006年3月17日). 'Averageness' key to great racehorses (英語). BBC. 2025年9月6日閲覧。
  99. 日本中央競馬会 (1976), p. 184.
  100. 1 2 3 4 3大始祖と世界の血統:サラブレッド講座”. 日本中央競馬会. 2025年11月16日閲覧。
  101. 藤井 (2011b), p. 88.
  102. クレイグ (1986), pp. 313, 315.
  103. Wallner, Barbara; Palmieri, Nicola; Vogl, Claus; Rigler, Doris; Bozlak, Elif; Druml, Thomas; Jagannathan, Vidhya; Leeb, Tosso et al. (10 July 2017). “Y Chromosome Uncovers the Recent Oriental Origin of Modern Stallions” (英語). Current Biology 27 (13): 2029–2035.e5. doi:10.1016/j.cub.2017.05.086. ISSN 0960-9822 2025年12月7日閲覧。.
  104. Felkel, Sabine; Vogl, Claus; Rigler, Doris; Dobretsberger, Viktoria; Chowdhary, Bhanu P.; Distl, Ottmar; Fries, Ruedi; Jagannathan, Vidhya et al. (15 April 2019). “The horse Y chromosome as an informative marker for tracing sire lines” (英語). Scientific Reports 9 (1): 6095. doi:10.1038/s41598-019-42640-w. ISSN 2045-2322 2025年12月7日閲覧。.
  105. Rogers, Byron (2019年5月21日). Galopin - New Research and an answer to an old question (英語). Blood-Horse. 2025年11月25日閲覧。
  106. クレイグ (1986), pp. 298, 303.
  107. 1 2 Peters, Anne. Phalaris (英語). Thoroughbred Heritage. 2025年11月18日閲覧。
  108. クレイグ (1986), p. 120.
  109. Pharos(GB)”. JBISサーチ. 日本軽種馬協会. 2025年11月16日閲覧。
  110. Fairway(GB)”. JBISサーチ. 日本軽種馬協会. 2025年11月16日閲覧。
  111. 日本中央競馬会 (1976), p. 198.
  112. クレイグ (1986), p. 124.
  113. 日本中央競馬会 (1976), p. 202.
  114. Mitchell, Eric (2016年7月29日). Sunday Silence Dominates Broodmare Sires (英語). Blood-Horse. 2025年11月16日閲覧。
  115. 1 2 3 4 5 Todd, Evelyn T.; Ho, Simon Y. W.; Thomson, Peter C.; Ang, Rachel A.; Velie, Brandon D.; Hamilton, Natasha A. (18 April 2018). “Founder-specific inbreeding depression affects racing performance in Thoroughbred horses” (英語). Scientific Reports 8 (1): 6167. doi:10.1038/s41598-018-24663-x 2025年10月27日閲覧。.
  116. 1 2 Erickson, H. H.; Kindig, C. A.; Poole, D. C. (March 2000). “Exercise-induced pulmonary hemorrhage: A new concept for prevention” (英語). Journal of Equine Veterinary Science 20 (3): 164–167. doi:10.1016/S0737-0806(00)80128-8. ISSN 0737-0806 2025年12月7日閲覧。.
  117. Napier, Joe (2019年6月25日). Coral-Eclipse: A race that lets stars shine brighter than ever (英語). Jockey Club. 2025年10月15日閲覧。
  118. Wood, Greg (2003年7月4日). Nayef heads 14 rivals in Eclipse (英語). The Guardian. 2025年10月15日閲覧。
  119. 秋山響. サンダウン競馬場”. 日本中央競馬会. 2025年10月15日閲覧。
  120. 1 2 A Brief History: Prix Eclipse. (英語). France Galop. 2016年3月4日時点のオリジナルよりアーカイブ。2025年10月5日閲覧。
  121. National Museum of Racing and Hall of Fame による2019年1月22日の投稿(10161037088075315)”. Facebook. 2025年10月19日閲覧。
  122. 1 2 3 4 Frost, Natasha (2017年8月2日). One 18th-Century Horse Eclipsed All the Others (英語). Atlas Obscura. 2025年10月8日閲覧。
  123. Facts & Figures 2006 (pdf). 三菱自動車. p. 29. 2012年3月22日時点のオリジナルよりアーカイブ。2025年9月19日閲覧。
  124. 1 2 3 4 Cavanagh, Terry (2025年3月). James Osborne (1940–1992) (英語). Public Statues and Sculpture Association. 2025年10月11日閲覧。
  125. 'Eclipse' (by Marske out of Spiletta), James Osborne (1940–1992), Royal Veterinary College, Hertfordshire (英語). Art UK. 2025年10月11日閲覧。
  126. James Osborne, 1940–1992, Eclipse, 1989 (英語). YCBA Collections Search. Yale Center for British Art. 2025年10月11日閲覧。
  127. 山野 (1993), pp. 293–294.
  128. 1 2 3 山野 (2003), p. 97.
  129. ヴァンプルー & ケイ (2008), p. 106.
  130. 1 2 山野 (1993), p. 294.
  131. Partridge, Eric (1978). A Dictionary of Cliches (英語). London: Routledge. Google ブックスより2025年10月6日閲覧.
  132. 小稲義男ほか 編『新英和大辞典』(5版)研究社、1980年、659頁。
  133. Whyte (1840), p. 518.
  134. Walker (1770), p. 38.
  135. Walker (1770), p. 49.
  136. 1 2 Walker (1770), p. 58.
  137. 1 2 Walker (1770), p. 70.
  138. Walker (1770), p. 85.
  139. Walker (1770), pp. 90–91.
  140. Walker (1770), p. 126.
  141. Walker (1771), p. 6.
  142. Tuting & Fawconer (1771), p. 6.
  143. Walker (1771), p. 8.
  144. Tuting & Fawconer (1771), pp. 9–10.
  145. Walker (1771), p. 35.
  146. Tuting & Fawconer (1771), p. 36.
  147. Walker (1771), p. 58.
  148. Tuting & Fawconer (1771), p. 61.
  149. Walker (1771), p. 98.
  150. Tuting & Fawconer (1771), p. 103.
  151. Walker (1771), p. 100.
  152. Tuting & Fawconer (1771), pp. 105–106.
  153. Walker (1771), p. 109.
  154. Tuting & Fawconer (1771), p. 115.
  155. Walker (1771), p. 136.
  156. Tuting & Fawconer (1771), p. 146.
  157. Walker (1771), p. 137.
  158. Tuting & Fawconer (1771), p. 147.
  159. 1 2 山野 (1982), p. 41.
  160. 1 2 クレイグ (1986), p. 73.
  161. Erigero, Patricia. Pot-8-Os”. Thoroughbred Heritage. 2026年3月9日閲覧。
  162. Taunton (1901), p. 54.
  163. Erigero, Patricia. King Fergus”. Thoroughbred Heritage. 2026年3月9日閲覧。
  164. クレイグ (1986), p. 74.
  165. 1 2 原田 (1995), pp. 376–377.
  166. Taunton (1901), pp. 104–105.
  167. 1 2 3 Taunton (1901), p. 57.
  168. Taunton (1887a), pp. 156–158.
  169. Taunton (1901), p. 58.
  170. Taunton (1887a), pp. 158–160.
  171. 佐藤 (1991), pp. 243–244.
  172. 1 2 Taunton (1901), p. 59.
  173. 1 2 Taunton (1901), p. 65.
  174. Taunton (1901), p. 87.
  175. Taunton (1901), p. 100.
  176. 佐藤 (1991), p. 230.
  177. Taunton (1901), p. 63.
  178. 1 2 3 St. Leger Stakes Winners”. Thoroughbred Heritage. 2026年2月15日閲覧。
  179. 1 2 3 4 Doncaster Cup Winners”. Thoroughbred Heritage. 2026年2月15日閲覧。
  180. Taunton (1887a), pp. 188–190.
  181. Taunton (1901), p. 67.
  182. 1 2 3 4 Epsom Derby Winners”. Thoroughbred Heritage. 2026年2月15日閲覧。
  183. 1 2 3 4 Epsom Oaks Stakes Winners”. Thoroughbred Heritage. 2026年2月15日閲覧。
  184. Taunton (1901), p. 68.
  185. 1 2 Taunton (1901), p. 69.
  186. 1 2 Taunton (1901), p. 79.
  187. Taunton (1901), p. 77.
  188. Taunton (1901), p. 89.
  189. Taunton (1901), p. 91.
  190. Taunton (1901), p. 30.
  191. Whyte (1840), p. 461.
  192. Whyte (1840), p. 462.
  193. Marske (英語). Bloodlines.net. 2007年6月8日時点のオリジナルよりアーカイブ。2025年9月14日閲覧。
  194. Clee (2010), p. 303.
  195. Whyte (1840), pp. 521–522.
  196. 1 2 Cook (1907), pp. 71–73.
  197. 原田 (1995), p. 359.
  198. 原田 (1995), pp. 359–360.
  199. Cook (1907), p. 73.
  200. Clee (2010), pp. 302–303.
  201. 1 2 3 4 Eclipse”. netkeiba.com. ネットドリーマーズ. 2025年9月15日閲覧。
  202. 5代血統表 Eclipse(GB)”. JBISサーチ. 日本軽種馬協会. 2025年9月15日閲覧。

参考文献

[編集]

日本語文献

[編集]

英語文献

[編集]

外部リンク

[編集]