エクリプス (競走馬)
| エクリプス | |
|---|---|
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エクリプスの肖像、ジョージ・スタッブス画 | |
| 欧字表記 | Eclipse[1][2] |
| 品種 | サラブレッド[2] |
| 性別 | 牡[2] |
| 毛色 | 栗毛[1][2] |
| 生誕 | 1764年4月1日 |
| 死没 | 1789年2月27日 |
| 父 | Marske[1][2] |
| 母 | Spilletta[1][2] |
| 母の父 | Regulus[1][2] |
| 生国 | イギリス[2] |
| 生産者 | カンバーランド公爵[1] |
| 馬主 |
ウィリアム・ワイルドマン →デニス・オケリー |
| 調教師 | ジョン・オークリー[注釈 1] |
| 競走成績 | |
| 生涯成績 | 18戦18勝 |
| 獲得賞金 |
£2,256 9s.[4][注釈 2] £2,863 10s.[8][注釈 3] |
エクリプス(Eclipse、1764年 – 1789年)は、18世紀後半に活躍したイギリスの競走馬、種牡馬である。カンバーランド公爵ウィリアム・オーガスタス王子によって生産され、公爵の死後はウィリアム・ワイルドマン、次いでデニス・オケリーの手に渡った。明け5歳の時にエプソム競馬場でデビュー。当時主流であったヒートレースで勝利を重ね、11のキングズプレート[注釈 4]やグレートサブスクリプションパースを制すなど18戦18勝(8回の単走を含む)の戦績を残した。
種牡馬としては、ヘロド系の活躍もあり首位種牡馬は一度も獲得できなかったものの、生涯で4頭のクラシック優勝馬を含む344頭の勝ち馬を出し、その獲得賞金額は158,047ポンドに及んだ。また、産駒を通して血を後世に伝え、エクリプス系と呼ばれる大父系を築き上げた。その影響力は強く、今日のサラブレッドを父方に遡ると約95%がエクリプスに辿り着くといわれている。死亡後はフランス人獣医師シャルル・ヴィアル・ド・サンベルによって検死が行われ、全身の骨格標本が残された。そして、21世紀に入ってからもエクリプス自身やその子孫についての研究が、その骨格から抽出された遺伝情報などを用いて続けられている。
1886年に創設されたイギリス中距離G1のエクリプスステークスや、フランスのエクリプス賞、そして、アメリカ合衆国の競馬表彰であるエクリプス賞などに名を残し、自身の骨格が展示されている王立獣医学校の大学図書館棟は「エクリプス館」と名付けられている。また、デビュー戦でオケリーが全馬の着順を賭ける際に発したとされる「Eclipse first, the rest nowhere.」(エクリプス1着、2着はなし。)は、英和辞典で「唯一人抜きん出て及ぶ者なし」とも訳され、「競争相手を圧倒する」といった意味の定型句として用いられてきた。
なお、当時のイギリスでは、馬齢は5月1日に加算される規定となっていたが[10]、以下の馬齢表記は1月1日に加算される方式に統一する。
歴史的背景
[編集]エクリプスが生まれた当時は、オークスステークスやダービーステークスといったクラシック競走はまだ存在しておらず[11][注釈 5]、大抵の競走馬は重い負担重量(斤量)を背負いながら長距離を走り[13]、競走形態も同じ馬同士が何度も戦って勝負を決するヒートレースと呼ばれるものが主流であった[13][14]。そして、4歳以下で走る競走馬はほとんどなく、当のエクリプスも明け5歳でのデビューであった[9]。また、馬齢を重ねた馬ほど競走能力は高いとされ、例えば、エクリプスのデビュー戦となったノーブルメン&ジェントルメンズプレートの斤量を見ると、5歳が8ストーン7ポンド[注釈 6]、6歳が9ストーン3ポンド、そして7歳以上が9ストーン13ポンドとなっており、7歳以上馬が最重量を背負うこととされていた[10][注釈 7]。しかし、時が流れると競馬の環境も変化していき、エクリプスの孫世代の頃になると、より早熟の馬が、より短い距離を走るようになっていた[13]。
なお、この時代のイギリスは軽種馬生産に関してはまだ後れをとっており、大陸ヨーロッパにはプロイセンのトラケナー種といった、スピードとスタミナに関してより評価の高い品種が存在した[15]。歴史学者の本村凌二は、エクリプスの強さは半ば伝説化されてはいるが、それはあくまでブリテン島に限った話であることを忘れてはならず、同馬の能力が当時の世界水準に比べてもなお卓越していたといえるものであったかは疑問であると述べている[15]。
生涯
[編集]誕生
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エクリプスは1764年4月1日の日食[注釈 8]の日に生まれた[18]。馬名はこの日食に由来し、『ジェネラルスタッドブック』第1巻には「エクリプスの名は、すべての競走相手を凌駕 (eclipse) したからではなく、日食 (eclipse) の日に生まれたことに因み名付けられた」と注釈がある[1]。生産者はヘロドも生産したイギリス王族の軍人カンバーランド公爵ウィリアム・オーガスタス王子である[1][19][9]。
生誕地はウィンザー・グレート・パークにカンバーランド公が所有していたクランボーン・ロッジ(バークシャー州ウィンザー)の牧場であると考えられているが[16][20][21]、他にもカンバーランド公のもう一つの邸宅であったカンバーランド・ロッジ[22]や所有する厩舎があったバークシャー州イースト・イルスリー近くのキーツ・ゴア (Keats Gore)[16][23][注釈 9]、さらにサリー州ドーキング近くのミクルハム[22][24][注釈 10]、バークシャー・ダウンズ[22][16][注釈 11]、ミドルセックス州アイル・オブ・ドッグズ[22][24][注釈 12]といった異説がある。
エクリプスの毛色は『ジェネラルスタッドブック』には栗毛と登録されている[1]。ブレイシー・クラークはより詳しく「明るい栗毛 (light chesnut) または赤味がかった栗毛 (sorrel-chesnut) で、右後肢に長白と顔に大流星鼻梁白があった」と描写している[25]。
デビューまで
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1歳となった1765年にカンバーランド公が死亡したため、エクリプスを含め彼の所有馬は全てセリ市に出された[27]。羊の売買商[20]ウィリアム・ワイルドマンは、下見をした上でエクリプス目当てにセリ市に参加したが[28]、彼が到着したとき既に同馬は70ギニーで落札されてしまっていた[19][28][29]。ワイルドマンは諦めずにセリが公示時刻よりも早く始まっていたことに抗議し、再度行われたセリにて75ギニーに競り上げエクリプスを手に入れる事に成功した[19][28][29]。
ワイルドマンはこうしてエクリプスを手に入れたものの、同馬は非常に気性が荒く、一時は去勢を検討するほどであった[9][30]。しかし、結果として思いとどまり[10]、ワイルドマンはエプソム近郊の荒馬乗りであるジョージ・エルトンのもとにエクリプスを送り出した[9][31]。エルトンは調教のためエクリプスを昼夜問わず酷使し、時には夜通し密猟に駆り出した[31]。そして、ようやく1769年になって、エクリプスは5月にエプソム競馬場で行われる4マイルのヒートレースに出走することとなった[10]。
エクリプスをデビューさせるにあたりエプソム・ダウンズで試走させたところ、予想屋が情報を聞きつけて集まってきた[32][33][注釈 13]。しかし、到着した頃には既に試走は終わっていたため、予想屋がそれを目撃したとする老婆を見つけ様子を聞き出すと、その老婆は「あれが本当の競馬であったかどうかよくわからないが、右後一白の栗毛馬がものすごい形相をして疾走し、たちまち相手馬との差をどんどん広げていくのを見たのはたしかです。あの馬に追いつくには地の果てまで走り続けても……」と答えたという[32][注釈 14]。この噂によりデビュー戦の賭け率(オッズ)は1対4となったが、後にエクリプスの馬主となるデニス・オケリーは事前に情報を得ており、より有利なオッズで多額の賭けを行っていた[9][34][注釈 15]。
競走馬時代
[編集]1769年
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1769年5月3日、エクリプスはエプソム競馬場のノーブルメン&ジェントルメンズプレート[注釈 16]でデビューした[33]。第1ヒートを楽に勝つと[10]、第2ヒートでは3マイルまでは他馬も離されずにいたが、エクリプスはそこから軽々と抜け出し、後続を240ヤード以上[注釈 17]引き離して勝利を飾った[3]。「Eclipse first, the rest nowhere.」という有名な言葉は、このときの賭けで生まれたといわれている(後述)[10][3]。
2戦目はアスコット競馬場でのノーブルメン&ジェントルメンズプレート[注釈 18]で、ここも楽勝[35]。さらに次走、6月13日にウインチェスター競馬場で行われたキングズプレートでは、同年にギルフォード競馬場のキングズプレートを制したスラウチらを下して勝利した[36]。少なくともこの競走の前日までには、ワイルドマンがオケリーにエクリプスの権利の半分を650ギニーで売り渡している[37][注釈 19]。その二日後、同じくウィンチェスターで行われたシティプレート[注釈 20]では、エクリプスの強さを恐れた馬主が皆回避したために単走となった[37]。次戦のソールズベリー競馬場で行われたキングズプレートもエクリプス以外の出走馬はなく[38]、そして、同地のシティプレート[注釈 21]に勝利した後は、カンタベリー競馬場、ルイス競馬場、リッチフィールド競馬場のキングズプレートを制し[38][注釈 22]、9戦9勝の成績でこの年を終えた[39][40]。
1770年
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ジョン・ノット・サルトリウス画。エクリプス(左)に騎乗しているオークリーは、ワイルドマンの赤の勝負服を着用している[41]。
なおこれを原画にキャプションを「エクリプスとシェイクスピア」に差し替えたものが、ジョン・スコットの“Sportsman's Repository”(1820年)でエクリプスの父馬はシェイクスピアであるという説の補強に使用されている[41]。
4月17日、ニューマーケット競馬場のビーコンコースでビュセファラスとのマッチレースが組まれた[38]。相手はペレグリン・ウェントワースの所有馬で、1768年のグレートサブスクリプションパースに勝つなどエクリプスと同様これまで一度も負けたことがなかった[42]。ビュセファラスの前評判は高く[9]、それは4対6のオッズにも表れていた[43]。レースはエクリプスの先行で始まり、途中、ビュセファラスが迫る場面もあったが、同馬は結局力尽き、最終的にはかなり差が開いての決着となった[44]。この年の冬、又はおそらくビュセファラスとのマッチレースの後に、オケリーはワイルドマンに追加で1,100ギニーを支払い、エクリプスの権利を全て買い取って自身の所有馬とした[45][注釈 23]。
マッチレースに勝利した二日後、エクリプスは同地のキングズプレートに出走し、ダイアナ、ペンショナー、チガーに勝利した[46]。続くギルフォード競馬場、ノッティンガム競馬場、ヨーク競馬場のキングズプレートは全て単走となり、8月23日に同じくヨーク競馬場で行われたグレートサブスクリプションパース[注釈 24]では、ウェントワース所有のトルトワーズとサー・チャールズ・バンベリー準男爵所有のベラリオを楽に退けた[47]。次戦のリンカーン競馬場のキングズプレートを単走で勝った後[48]、ニューマーケット競馬場の10月開催に出走、1戦目の150ギニーズプレートでコルシカンを破ると、2戦目となるキングズプレートを単走したのを最後に競走馬を引退した[49]。キングズプレートでは無敗馬ゴールドファインダーとの対戦も予定されていたが、同馬の故障によって実現せずに終わった[50][9]。
生涯成績は、当時の競馬成績書を数えると18戦18勝となるが、異説もある[注釈 25]。いずれにせよ無敗であったことは確実であり[19][51][52][53]、フライングチルダーズ以来の名馬というのが衆目の一致するところであった[19][51][52]。
種牡馬時代
[編集]引退後はサリー州エプソム近郊のクレイ・ヒル (Clay Hill) にあったオケリーの牧場で種牡馬として供用された[20]。オケリーはエクリプスの種付料で25,000ポンドを稼いだという[54]。1787年にオケリーが没した後[55]、翌1788年にエクリプスは2頭立ての幌付き馬車でミドルセックス州エッジウェアのカノンズ[注釈 26]に移され[56][注釈 27]、同地で最晩年を過ごした。なおこれ以前に競走馬が車で移動した例は無く、馬運車に初めて乗った馬ではないかとも言われている[56][59]。
種付料は初年度が50ギニー、それ以後は20から30ギニーに下げられた[60][注釈 28]。種牡馬成績は、1774年にホライゾンという芦毛馬が勝利したのを皮切りに、ダービーステークス優勝馬のヤングエクリプス、サルトラム、サージェント、オークスステークス優勝馬のアネット、種牡馬として成功したポテイトーズ、キングファーガスなど、生涯で344頭の勝馬を出し[54]、その総獲得賞金は158,047ポンドに及んだが[61][62]、結果的に一度も首位種牡馬になることはなかった[63]。これは同時代にヘロド(首位種牡馬8回[64])とその息子ハイフライヤー(同13回[64])が活躍していたためで[63]、1778年から1788年の間には11年連続種牡馬ランキング2位という記録も作っている[21]。しかし、母の父としてはフェノメノンやスカイスクレーパーなど、ヘロドやハイフライヤーとの間に多くの名馬を出している[20]。
なお、1786年に開催された第1回ジュライステークスの施行条件には、エクリプス(とハイフライヤー)産駒は負担重量を余計に3ポンド背負わなければならないといった“奇妙な”条件が含まれていた[65][39]。
死
[編集]王立獣医学校設立のためにイギリスに滞在していたフランス人獣医師シャルル・ヴィアル・ド・サンベルの記録によれば、1789年2月25日の朝に激しい疝痛を発症し、治療の甲斐なく2月27日の午後7時に死亡した[66][67]。25歳であった。なお死亡日は20世紀以降の資料ではヴィアル・ド・サンベルと同じ27日とするのが主流だが[68][69][39][70]、19世紀の書籍を中心に28日と記述するものも多く[51][25][71][72][19][73]、他に『ジェネラルスタッドブック』などは26日としている[74][75][20]。
カノンズで行われた葬儀には多くの人が集まり、ゴドルフィンアラビアンのときと同様に弔いのためにビールと菓子が供された[76][71]。
死亡後
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死亡の際、ヴィアル・ド・サンベルが検死(剖検)を行い、結果を『An Essay on the Proportions of Eclipse』としてまとめている[83][84]。彼は馬体の各部位の寸法を計測してその比率を求めたほか[85]、体高(地面から鬐甲までの高さ)を66インチ(16ハンド2インチ≒約167.6センチメートル)と推定した[86][21][注釈 29]。また心臓が14ポンド(約6.35キログラム)もあったと報告した[87][84]。
エクリプスの骨格は現存している。これはヴィアル・ド・サンベルの解剖の助手を務めたエドムンド・ボンド[注釈 30]にオケリー家から贈られたと思われ、ボンドの死後はブレイシー・クラークの所有となったが、当時はまだ組み立てられていなかった[83]。クラークは骨をジョン・ギャムジーがエディンバラに設立した新獣医学校 (New Veterinary College) に100ギニーで売却し、同校で初めて骨格標本として展示されるようになった[83][84]。同校が廃校になるとギャムジーは1871年に骨格を王立獣医師協会へ寄贈し、1920年からのロンドン自然史博物館への貸し出しを経て、1983年に国立競馬博物館が開館すると同館に展示されるようになった[83][84]。現在は王立獣医学校のエクリプス館で展示されている[88][89]。
なお、骨格標本からは蹄が失われており[88]、そのうちの一つを金の台座にあしらった物がジョッキークラブに所有されている[80]。骨格や蹄の他には、たてがみ、尾の毛、皮も遺されており、たてがみと尾の毛は、ニューマーケットチャレンジウィップというレースの賞である鞭[注釈 31]に編み込まれた[91][82]。皮は、所持していたマシュー・ドーソンの死に際して第5代ローズベリー伯爵アーチボルド・プリムローズが入手し[92]、その後第6代ローズベリー伯爵ハリー・プリムローズからジョッキークラブに寄贈された断片が知られている[93][94]。
ただし、エクリプスの「遺品」とされるものには多くの偽物があったようで、『Eclipse & O' Kelly』において著者のセオドア・アンドレア・クックが調べたところによれば、エクリプスのものと「疑いようのない」骨格は6体、「本物の」蹄は9つもあった[95]。また、尾の毛や皮についても、1体の競走馬からとられたとは到底考えられない量が存在していたという[95]。
ヴィアル・ド・サンベルによる解剖はエクリプスの競走能力の秘密を解き明かそうとするものだったが[89]、骨格や血統の研究は現在も続いている。2005年にはエクリプスのデオキシリボ核酸 (DNA) が調査される予定であると英国放送協会 (BBC) やサラブレッドタイムズによって報道された[96][97]。記事には、イギリスの王立獣医学校とケンブリッジ大学の科学者が歯等に残された DNA を調査すると記載された。2012年に調査結果が報告され、王立獣医学校が所蔵するエクリプスの骨格のミトコンドリアDNA (mDNA) とその牝系子孫にあたる現代の馬の mDNA を比較したところ、この骨格が(複数の他の馬の骨が組み合わせられているのではないかという疑いに反して)ほぼ全てエクリプスのものであることが確かめられたという[89]。また、2006年には骨格と運動モデルが分析され、現在の馬とほぼ同じ特徴を持っていたと結論付けられた[98]。
後世への影響
[編集]後世への影響は非常に大きい。エクリプスを父方の祖先に持つ系統(サイアーライン)をエクリプス系と呼ぶが[99][100]、サラブレッドのほとんどが同系に属するとされており、その勢力は95%に達するとまでいわれている[20][97]。とはいえ、当初から他の系統を凌駕する勢いがあったわけではなく、エクリプスが種牡馬として現役であった時代にはヘロドやハイフライヤーの方が優勢であったし[63]、19世紀初めにおいても、その勢力は互角又はやや劣る状況であった[101]。エクリプス系が隆盛の道を歩み始めるのは19世紀の終わりになってからであり[63]、キングファーガスの流れを汲む[注釈 32]セントサイモンの誕生が勢力拡大の大きな原動力となった[100][注釈 33]。
1913年にはポテイトーズの系統から[注釈 34]ファラリスが誕生する[107]。第一次世界大戦下のニューマーケット競馬場で16勝を挙げたファラリスは種牡馬としても活躍し[108]、産駒のファロス、フェアウェイの全兄弟[注釈 35]によってサラブレッドの世界に多大な影響を及ぼした[111]。ファラリスの子孫は何世代にもわたって卓越した成績を挙げ、20世紀末には圧倒的な勢力を築き上げた[107]。特にファロスの産駒ネアルコはナスルーラ、ダンテ、ロイヤルチャージャー、モスボロー、ニアークティックなどの産駒を送り出し[112]、「ファラリス系繁栄の最大の功労馬」となって[113]、セントサイモン以上ともいわれる影響力でエクリプス系優位の流れを決定づけた[100]。米クラシック二冠を達成し、輸出先の日本で1995年から2007年にかけて13年連続で首位種牡馬を獲得した[114]サンデーサイレンスもネアルコの父系子孫である[100]。
父系のみに限らない議論としては、2018年のシドニー大学を中心とした研究グループによる、サラブレッドにおける近親交配(インブリード)の影響を調べた報告がある。それによると、2000年から2011年にオーストラリアで走ったサラブレッド13万5572頭の全血統表を調査した結果、これらの馬のゲノムに対するエクリプスの寄与は、ヘロド (18.1%)、ゴドルフィンアラビアン (13.8%) に次ぐ13.3%に達していた[115]。その一方で、寄与が大きい祖先馬の部分近交係数 (Partial inbreeding coefficient) を求めて成績と比較したところ、エクリプスに由来する同祖な対立遺伝子を多く持つ個体は競走能力が低い傾向がみられ、特に現役期間が短い傾向が顕著であった[115][注釈 36]。その要因の一つとして、同報告ではエクリプスの曾祖父[注釈 37]が患っていた肺出血について言及している[115]。
顕彰
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1886年にイギリスのサンダウン競馬場でエクリプスを記念するエクリプスステークスが創設された[60][117]。この競走は当時イギリス国内で最高額の賞金を誇り[118]、サンダウン競馬場で唯一の、そして同国でクラシック世代と古馬が初めて顔を合わせる平地中距離G1として開催が続いている[119]。また、フランスでも1891年にエクリプス賞が創設された[120]。こちらはG3に指定されており、幾度か開催場所を変えながら6ハロンから7+1⁄2ハロンの距離で実施されてきた歴史を持つ[120]。
さらにアメリカ合衆国の競馬の年間表彰制度エクリプス賞もこの馬を記念したもので[88]、各部門の最優秀者及び最優秀馬の所有者に贈られるトロフィーにはエクリプスの像があしらわれている[121]。
他にもエクリプスにちなんで名付けられた事物の例として、王立獣医学校の大学図書館棟 (Learning Resource Centre) が「エクリプス館」と命名されているほか[83][122]、競馬を扱うイギリスのオンラインマガジンに「エクリプス・マガジン」と称しているものがある[122]。競馬とは直接関連がないものでも、三菱自動車の北米法人ダイアモンド・スター・モーターズが製造した自動車である「エクリプス」や[123][122]、エミール・カールセンが油彩画を描いた蒸気船「エクリプス号」は本馬に由来する[122]。
1989年には没後200年を記念し、ポール・メロンの後援のもとジェイムズ・オズボーンがエクリプスの銅像を制作した[124]。このうち最初に鋳造されたものはニューマーケット競馬場に[124]、2番目に鋳造されたものは王立獣医学校に設置されており[124][125]、マケット(ミニチュアの雛型)はイェール大学イギリス美術センターのポール・メロン・コレクションに収蔵されている[124][126]。
Eclipse first, the rest nowhere.
[編集]
エクリプスがデビュー戦の第1ヒートを難なく勝った後、デニス・オケリーが第2ヒートの全馬の着順を賭けてもいいと宣言した際に発した語句で[127][注釈 38]、意味は「エクリプス1着、2着馬はなし」[128]。「エクリプス1着、残りは惨敗」[60]や「エクリプス1着、ほかの馬はどこにも来ない」[18]といった訳もある。
当時のヒートレースのルールでは、1着馬から240ヤード(約219.5メートル)以上離された場合には入着を認められないため、エクリプスが他馬を240ヤード以上離して勝つ[注釈 39]、と予想したものである[130]。結果はエクリプスが圧勝し、オケリーの予想が的中した[130]。これは後に「競争相手を圧倒する」といった意味の慣用句あるいはクリシェとなり[131][88]、『新英和大辞典』第5版では、「唯一人抜きん出て及ぶ者なし」の訳で掲載されている[132][11]。
また、この語句は「エクリプス1着、他はまだ見えない」という訳でも知られている[128]。この訳は孫引きによって日本の競馬界に広まり、さまざまな文献にも引用されているが、山野浩一は、これをヒートレースのルールを知らない訳者が、2着馬がいなくなることはあり得ないと考え、「nowhere」の意を2着馬が「見えないだけ」と解釈してしまった結果産まれた誤訳と指摘している[128]。
競走成績
[編集]当時の競馬成績書に記録されている競走成績をまとめると以下の通り。
エクリプスが挙げたキングズプレート11勝は、それまでの記録を1勝上回る最多記録だった[51][133]。
| 出走日 | 競馬場 | 競走名 | 距離 | 着順 | 斤量 | (対戦相手) | 出典 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 1769年5月3日 | エプソム | ノーブルメン&ジェントルメンズプレート | 4mi(ヒート) | 優勝 | 8st7lb | (ガウアー、チャンス、トライアル、プルーム) | [134] |
| 5月29日 | アスコット | ノーブルメン&ジェントルメンズプレート | 2mi(ヒート) | 優勝 | 9st3lb | (クリームデバルバド) | [135] |
| 6月13日 | ウインチェスター | キングズプレート | 4mi(ヒート) | 優勝 | 12st | (スラウチ、チガー、ジューバ、カリバン、クランヴィル) | [136] |
| 6月15日 | ウインチェスター | シティプレート | 4mi(ヒート) | 優勝 | 9st | 単走 | [136] |
| 6月28日 | ソールズベリー | キングズプレート | 4mi(ヒート) | 優勝 | 12st | 単走 | [137] |
| 6月29日 | ソールズベリー | シティプレート | 4mi(ヒート) | 優勝 | 10st | (サルファー、フォレスター[注釈 40]) | [137] |
| 7月25日 | カンタベリー | キングズプレート | 4mi(ヒート) | 優勝 | 12st | 単走 | [138] |
| 7月27日 | ルイス | キングズプレート | 4mi(ヒート) | 優勝 | 12st | (キングストン) | [139] |
| 9月19日 | リッチフィールド | キングズプレート | 3mi(ヒート) | 優勝 | 8st7lb | (タルディ) | [140] |
| 1770年4月17日 | ニューマーケット | マッチレース | 4mi | 1着 | 8st7lb | (ビュセファラス) | [141][142] |
| 4月19日 | ニューマーケット | キングズプレート | 4mi(ヒート) | 優勝 | 12st | (ダイアナ、ペンショナー、チガー) | [143][144] |
| 6月5日 | ギルフォード | キングズプレート | 4mi(ヒート) | 優勝 | 12st | 単走 | [145][146] |
| 7月3日 | ノッティンガム | キングズプレート | 4mi(ヒート) | 優勝 | 12st | 単走 | [147][148] |
| 8月20日 | ヨーク | キングズプレート | 4mi(ヒート) | 優勝 | 12st | 単走 | [149][150] |
| 8月23日 | ヨーク | グレートサブスクリプションパース | 4mi | 1着 | 8st7lb | (トルトワーズ、ベラリオ) | [151][152] |
| 9月3日 | リンカーン | キングズプレート | 4mi(ヒート) | 優勝 | 12st | 単走 | [153][154] |
| 10月3日 | ニューマーケット | 150ギニーズプレート | 4mi | 1着 | 8st10lb | (コルシカン) | [155][156] |
| 10月4日 | ニューマーケット | キングズプレート | 4mi(ヒート) | 優勝 | 12st | 単走 | [157][158] |
- 走路はすべて芝馬場。
種牡馬成績
[編集]主な産駒
[編集]代表産駒として挙げられる馬は以下の通り[159][73]。種牡馬入りした牡駒のうちポテイトーズ、キングファーガス、ジョーアンドリュース、マーキュリーが父系の拡大に成功した[159]。
| 生年 | 馬名 | 欧字名 | 性 | 主な戦績など | 出典 |
|---|---|---|---|---|---|
| 1773年 | ポテイトーズ | Potoooooooo (Pot-8-Os) |
牡 | 46戦34勝。チャンピオン[注釈 41]、ワキシーの父 | [161][160] |
| 1775年 | キングファーガス | King Fergus | 牡 | 1797年英愛首位種牡馬。ベニングブロー、ハンブルトニアンの父 | [162][163][164] |
| 1778年 | ジョーアンドリュース[注釈 42] | Joe Andrews | 牡 | 産駒のディックアンドリュースを通して、トランプ、アルティシドラなどを送り出す | [21][165][166] |
| 1778年 | ヤングエクリプス | Young Eclipse | 牡 | ダービーステークス | [167] |
| 1778年 | マーキュリー | Mercury | 牡 | ゴハンナの父 | [167] |
| 1780年 | サルトラム | Saltram | 牡 | ダービーステークス。ウィスキーの父 | [168][167] |
| 1780年 | ダンガノン | Dungannon | 牡 | 13連勝を含む29戦26勝 | [169][170][171] |
| 1781年 | サージェント | Serjeant | 牡 | ダービーステークス | [172] |
| 1783年 | ミーティア | Meteor | 牡 | 21連勝を含む33戦30勝。メテオラ、コペンハーゲンの父 | [173][174][175][176] |
| 1784年 | アネット | Annette | 牝 | オークスステークス | [177] |
牝駒の主な産駒
[編集]クラシック競走とドンカスターカップの優勝馬のうち、エクリプスを母の父(ブルードメアサイアー)に持つ馬は以下の通り。タグとリメンブランサー以外はすべて父がヘロド系である。
| 生年 | 馬名 | 欧字名 | 性 | 父 | 主な戦績 | 出典 |
|---|---|---|---|---|---|---|
| 1780年 | フェノメノン | Phoenomenon (Phenomenon) |
牡 | ヘロド | セントレジャーステークス、ドンカスターカップ | [172][178][179] |
| 1786年 | スカイスクレーパー | Skyscraper | 牡 | ハイフライヤー | ダービーステークス | [180][181][182] |
| 1786年 | タグ | Tag | 牝 | トレンサム | オークスステークス | [173][183] |
| 1789年 | ジョンブル | John Bull | 牡 | フォーティチュード | ダービーステークス | [184][182] |
| 1789年 | ターター | Tartar | 牡 | フロリゼル | セントレジャーステークス | [185][178] |
| 1789年 | ヴァランテ | Volante | 牝 | ハイフライヤー | オークスステークス | [185][183] |
| 1790年 | オベロン | Oberon | 牡 | ハイフライヤー | ドンカスターカップ | [179] |
| 1794年 | スタンフォード | Stamford | 牡 | サーピーターティーズル | ドンカスターカップ2回 | [179] |
| 1796年 | アーチデューク | Archduke | 牡 | サーピーターティーズル | ダービーステークス | [186][182] |
| 1796年 | ベリナ | Bellina | 牝 | ロッキンガム | オークスステークス | [187][183] |
| 1797年 | エフェメラ | Ephemera | 牝 | ウッドペッカー | オークスステークス | [186][183] |
| 1800年 | リメンブランサー | Remembrancer | 牡 | ピペイター | セントレジャーステークス、ドンカスターカップ | [188][178][179] |
| 1803年 | パリス | Paris | 牡 | サーピーターティーズル | ダービーステークス | [189][182] |
血統
[編集]

エクリプスの両親は父マースクと母スピレッタで、どちらもカンバーランド公の所有馬であった[22]。
マースクは1750年にジョン・ハットンが生産し、幼駒時にアラブ馬との交換でカンバーランド公の所有となった父スクワート・母ルビーメア (Ruby Mare) という血統の馬で[190]、競走馬時代にはジョッキークラブプレートでの勝利を含む6戦3勝の成績を残した[191]。引退後は種牡馬としてカンバーランド公やワイルドマンらのもとで供用されたが、エクリプスの活躍によって人気を博すと[9]、第4代アビンドン伯爵ウィラビー・バーティーに1,000ギニーで購入され、100ギニーの種付料を取るようになった[192][193]。エクリプス引退後の1775年と1776年には首位種牡馬を獲得している[194]。
スピレッタは1749年にサー・ロバート・イーデン準男爵が生産した、父レギュラス・母マザーウェスタン (Mother Western) という血統の馬で、こちらも競走馬デビュー前にカンバーランド公の持ち馬になっていた[76]。競走馬としてはニューマーケット競馬場で1戦のみ出走して着外[68]に終わり、その後はカンバーランド公のもとで繁殖牝馬となった[195]。同馬はエクリプスのほか4頭の産駒を出しており[注釈 43]、その中でエクリプスの全妹であるプロサーパイン (Proserpine) の子孫は12号族の主流となる分枝を形成し、繁栄している[68]。
なお、父はマースクではなくシェイクスピアだという説もある[196][68]。リチャード・タタソールの記録帳には、オケリーの厩務員の証言として、スピレッタにはマースクに交配される前にシェイクスピアとも交配されたという記述がある[196][197]。しかし、クックはこの説に否定的であり、「大方の専門家の意見が一致してからすでに久しく、エクリプスにいたる真の系統は、ダーレー・アラビアンを父とするフライングチルダーズの全兄弟馬バートレッツチルダーズからスクヮートを通して、マースクに至ったのだ」と述べ[198][注釈 44]、さらにカンバーランド公の牧場の事情をオケリーの厩務員が知っているとは信じがたく、マースクの売買価格や種付料が高額だったことは当事者たちがエクリプスの血統を疑っていなかったことを示している、としている[199]。ニコラス・クリーも、カンバーランド公が繁殖牝馬をシェイクスピアの元へ送った形跡がないことと、エクリプスが活躍して父馬を偽装する動機が生まれる前の記録に「マースク産駒の栗毛馬」とあることを根拠に、父シェイクスピア説を否定している[200]。もっとも、両馬いずれとも父を遡ればダーレーアラビアンに行き着くため、どちらが本当の父だったとしても父系に関して大きな変更はない[68]。
| 父系 | ダーレーアラビアン系 [§ 2] | |||
|---|---|---|---|---|
父 Marske1750 黒鹿毛 |
父の父 Squirt1732 栗毛 |
Bartlet's Childers | Darley Arabian | |
| Betty Leedes | ||||
| Snake Mare | Snake | |||
| Grey Wilkes | ||||
父の母 Hutton's Blacklegs Mare生年不明 |
Hutton's Blacklegs | Hutton's Bay Turk | ||
| Coneyskins Mare | ||||
| Bay Bolton Mare | Bay Bolton | |||
| Fox Cub Mare | ||||
母 Spilletta1749 鹿毛 |
Regulus 1739 鹿毛 |
Godolphin Arabian | 不明 | |
| 不明 | ||||
| Grey Robinson | Bald Galloway | |||
| Snake Mare | ||||
母の母 Mother Western1731 |
Easby Snake | Snake | ||
| Akaster Turk Mare | ||||
| Old Montagu Mare | Lord d'Arcy's Old Montagu | |||
| Hautboy Mare | ||||
| 母系 (F-No.) | 12号族 (FN: 12) [§ 3] | |||
| 5代内の近親交配 | Snake Mare: 3×4, Snake: 4×5×4, Hautboy: 5×5, Cream Cheeks: 5×5 [§ 4] | |||
| 出典 | ||||
脚注
[編集]注釈
[編集]- ↑ オークリーはデビュー戦を含む大体のレースで鞍上を務めた騎手であるが[3]、山野 (1993, p. 293) は、当時は騎手と調教師、厩務員の区別は明瞭ではなく、エクリプスにはオークリーや馬主のワイルドマンが調教を付けていたとする。また、Clee (2010, pp. 63–64) は、エクリプスほどの競走馬でも調教師の任を誰が担っていたかはよくわかっていないとしながら、それはオークリーであったかもしれないと述べている。その他、原田 (1993, p. 27) はサリヴァン (Sullivan) の名を挙げている。
- ↑ 出典とした Cook (1907, p. 290) は、2149 guineas と記載。1971年に実施された通貨の十進化以前は、1ポンドは20シリングと等価であった[5][6]。また、ギニーの価値は1717年から廃止されるまでの間、21シリングに固定されていたので[7]、ここでは1.05ポンドで換算している。
- ↑ 出典とした Clee (2010, p. 296) は、£2,863.50.と記載。ここでは0.5ポンドを10シリングと表記している。
- ↑ 国王から賞品が下賜され、当時最も権威のある競走であった[9]。
- ↑ オークスステークスは1779年、ダービーステークスは1780年創設[12]。
- ↑ 石川 (1997, p. 16) は8ストーンとしているが、Walker (1770, p. 38) 記載の斤量によった。
- ↑ ロングリグ (1976, p. 85) によれば、ヘンリー・ジョン・ラウスはこの差を異常と考えていたようであるが、ロングリグ自身は7歳馬が5歳馬に26ポンド差で勝利している事実もあることから、当時はこれが正当であったとしている。
- ↑ 当時の日食を Weatherby (1891, p. 197) は great Eclipse と記す。山野 (1993, p. 292) や石川 (1997, p. 14) は皆既日食とするが、この時に観測されたのは金環食であった[17]。
- ↑ Cook (1907, p. 68) は、キーツ・ゴアにあった厩舎は現役馬のためのものだったので、繁殖牝馬がここにいたとは考えにくいとしている。
- ↑ Cook (1907, p. 69) によれば、ミクルハムは後に馬主となるワイルドマンが厩舎を構えていた場所というだけである。
- ↑ Cook (1907, p. 68) によれば、エクリプスとバークシャー・ダウンズとの関連は1770年に馬主のオケリーが所有する別の馬がここで行われた競走に勝ったことしかない。
- ↑ Cook (1907, p. 69) は、近くのエセックス州プレイストーに「カンバーランド・ファーム」と名付けられた(カンバーランド公とは無関係な)地所があったことが由来であろうとする。
- ↑ ロングリグ (1976, p. 79) は試走の場所をバンステッド・ダウンズとする。
- ↑ 老婆の発言は原田 (1993, p. 16) より引用。
- ↑ Cook (1907, p. 78) は、オケリーの所有馬がエクリプスの試走(調教)の相手をしたのではないかと推測している。
- ↑ 競走名は Walker (1770, p. 38) による。
- ↑ Cook (1907, p. 78) は200ヤードとするが、ヴァンプルー & ケイ (2008, p. 106) に記載のヒートレースの説明に基づき240ヤードとした。
- ↑ 競走名は Walker (1770, p. 49) による。
- ↑ ただし以後も出走登録はワイルドマンの名義だった[9]。
- ↑ 開催地、日付、競走名は Walker (1770, p. 58) による。
- ↑ 競走名は Walker (1770, p. 70) による。なお Cook (1907, p. 82) はシティ・ボウルとしている。
- ↑ この中でカンタベリー競馬場のキングズプレートはエクリプスの単走であった[38]。
- ↑ オケリーが権利を買い取った時期について、石川 (1997, p. 16) は「マッチレースを勝った時点」、Cook (1907, p. 82) は1769年中とする。
- ↑ 日付は Walker (1771, p. 100) による。
- ↑ Pick (1805, pp. 15–17)、Taunton (1887a, pp. 112–114)、石川 (1997, p. 17)、Clee (2010, pp. 293–296) はその説を採っている。Bloodlines.net はそれに1770年のノッティンガム競馬場でのキングズプレートを加えて19戦19勝[21]、山野 (1993, pp. 293, 295–296) はニューマーケット競馬場での100ギニーズプレート2勝を加えて20戦20勝としている。
- ↑ 初代シャンドス公爵ジェームズ・ブリッジスが建てたカントリー・ハウス跡(建屋はシャンドス公没後に取り壊されていた)で、オケリーが買い取ってここにも牧場を構えていた。敷地は現在キャノンズ・パークとなっている。
- ↑ この移動には主戦騎手であったジョン・オークリーが同行したという[57][58]。
- ↑ クレイグ (1986, p. 71) は逆に25ギニーであった種付料が、後50ギニーに引き上げられたとしている。
- ↑ ただし Cook (1907, pp. 154–155) は、サンプソン(1745年生まれ、体高15ハンド2インチ)が当時極めて大きな競走馬と考えられていたことや生前のエクリプスが大柄だったという記録がないことからこの記述を疑わしいと述べ、サラブレッドの体高が大きくなっている傾向を加味して実際は15ハンド2インチだったのではないかと推測している。
- ↑ Edmund Bond。1794年に第1期の王立獣医学校卒業生となり、ロンドンで最初の開業獣医師となった人物[83]。
- ↑ 鞭自体はエクリプスよりも更に古く、チャールズ2世からジョッキークラブに下賜されたものという言い伝えがある[90]。
- ↑ キングファーガスからハンブルトニアン、ホワイトロック、ブラックロック、ヴォルテール、ヴォルティジュール、ヴェデット、ガロピンを経てセントサイモンに至る[102]。
- ↑ ただし、2017年に発表されたウィーン獣医科大学を中心とする研究グループの報告[103]や、2019年に発表されたその追跡研究[104]の成果は、セントサイモンがダーレーアラビアン系(エクリプス系)ではなくバイアリーターク系(ヘロド系)であることを示している[105]。血統書と異なる理由について Felkel et al. (2019) は、セントサイモンの父方の祖父(ガロピンの父)がヴィデット(Vedette、1854年生まれ)ではなくディライト(Delight、1863年生まれ)であるという、20世紀前半にも主張されていた説を支持している。
- ↑ ポテイトーズからワキシー、ホエールボーン、サーハーキュリーズ、バードキャッチャー、ザバロン、ストックウェル、ドンカスター、ベンドア、ボナヴィスタ、サイリーン、ポリメラスを経てファラリスに至る[106]。
- ↑ 両馬ともスカパフローを母に持つ[109][110]。
- ↑ 他に出走回数や獲得賞金も低い傾向がみられた[115]。
- ↑ バートレットチルダーズのこと[116]。Todd et al. (2018) では祖父 (grandsire) と記載されているが[115]、引用論文に従い曾祖父 (great-grandsire) とする[116]。
- ↑ ヴァンプルー & ケイ (2008, p. 53) は、この予想が史実であったかどうかは「非常に疑わしい」とする。
- ↑ 決勝点から240ヤード手前の地点を The distance といい、先行馬から240ヤード引き離された馬は distanced と宣告された[129]。
- ↑ フォレスターという馬名は Pick (1805, p. 16) や Whyte (1840, p. 517) による。
- ↑ 史上初のダービーステークス、セントレジャーステークス二冠馬[160]。
- ↑ 前名はデニスオー (Dennis O!)[21][165]。
- ↑ エクリプスは第2仔に当たる[68]。
- ↑ 訳文は原田 (1995, pp. 359–360) より引用。
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