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== 歴史 ==
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[[大化の改新]]以前に[[蘇我蝦夷]]と[[蘇我入鹿]]の親子が権勢を示すために丘の麓に邸宅を構えていたという。[[2007年]][[2月1日]]、東麓遺跡において7世紀前半から中頃ものと見られる建物跡や石垣を発見したと発表され、蘇我氏の邸宅跡ではないかと注目されている。
古くは[[日本書紀]]などにも記述が見られ、誓盟の神([[甘樫坐神社]])が鎮座し[[允恭天皇]]の時に[[盟神探湯]](くかたち)が行われた。[[大化の改新]]以前に[[蘇我蝦夷]]と[[蘇我入鹿]]の親子が権勢を示すために丘の麓に邸宅を構えていたという。山腹には明日香村の保全に尽力した[[犬養孝]][[揮毫]]の万葉歌碑([[志貴皇子]](巻1-51))がある。


[[2007年]][[2月1日]]、東麓遺跡において7世紀前半から中頃のものと見られる建物跡や石垣を発見したと発表され、[[蘇我氏]]の邸宅跡ではないかと注目されている<ref>[http://www.asukamura.jp/chosa_hokoku/amakashi/chosa.html 甘樫丘東麓遺跡の発掘調査(明日香村)]</ref>。
古くから誓盟の神([[甘樫坐神社]])が鎮座した。[[允恭天皇]]のとき、[[盟神探湯]](くかたち)が行われた。

山腹には明日香村の保全に尽力した[[犬養孝]][[揮毫]]の万葉歌碑([[志貴皇子]](巻1-51))がある。


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File:Amakashinooka-hill-03.jpg|甘樫丘展望台から北西方面
File:Amakashinooka-hill-04.jpg|甘樫丘展望台から東方面
File:Amakashinooka-hill-05.jpg|河原展望台から西方面
File:Amakashinooka-hill06.jpg|万葉植物園路
File:Amakashinooka-hill07.jpg|万葉植物園路
File:Amakashinooka-hill-01.jpg|登り口そばの休憩所兼資料室
File:Amakashinooka-hill-01.jpg|登り口そばの休憩所兼資料室
File:Amakashinooka-hill-02.jpg|志貴皇子の万葉歌碑
File:Amakashinooka-hill-02.jpg|志貴皇子の万葉歌碑
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==周辺==
*[[水落遺跡]]
*[[石神遺跡]]
*[[飛鳥寺]]
*[[飛鳥板蓋宮]]

==脚注==
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== 外部リンク ==
== 外部リンク ==

2012年10月2日 (火) 12:15時点における版

甘樫丘
標高 148m
位置 北緯34度28分46秒 東経135度48分55秒 / 北緯34.47944度 東経135.81528度 / 34.47944; 135.81528
所在地 奈良県高市郡明日香村
プロジェクト 山
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甘樫丘(あまかしのおか)は、奈良県高市郡明日香村豊浦にある丘陵のこと。

地理

標高148m。位置は北緯34度28分46秒 東経135度48分55秒 / 北緯34.47944度 東経135.81528度 / 34.47944; 135.81528。東西に数百m、南北に1kmほど広がっている。丘全体が国営飛鳥歴史公園甘樫丘地区となっている。丘の北側には甘樫丘展望台、南側には河原展望台が整備されており、明日香村内や橿原市内の大和三山藤原京などの風景を望むことができる。散策路は万葉集などで歌われた植物が植えられた「万葉の植物園路」が整備されている。この他、芝生広場・休憩所・駐車場なども整備されている。

歴史

古くは日本書紀などにも記述が見られ、誓盟の神(甘樫坐神社)が鎮座し允恭天皇の時に盟神探湯(くかたち)が行われた。大化の改新以前には蘇我蝦夷蘇我入鹿の親子が権勢を示すために丘の麓に邸宅を構えていたという。山腹には明日香村の保全に尽力した犬養孝揮毫の万葉歌碑(志貴皇子(巻1-51))がある。

2007年2月1日、東麓遺跡において7世紀前半から中頃のものと見られる建物跡や石垣を発見したと発表され、蘇我氏の邸宅跡ではないかと注目されている[1]

周辺

脚注

  1. ^ 甘樫丘東麓遺跡の発掘調査(明日香村)

外部リンク