「安倍治夫」の版間の差分
削除された内容 追加された内容
編集の要約なし |
|||
4行目: | 4行目: | ||
[[1920年]][[4月1日]]生まれ<ref name="zero">[http://kotobank.jp/word/%E5%AE%89%E5%80%8D%E6%B2%BB%E5%A4%AB 安倍治夫 - デジタル版日本人名大辞典 kotobank.jp]</ref>。[[北海道]]出身<ref name="zero">[http://kotobank.jp/word/%E5%AE%89%E5%80%8D%E6%B2%BB%E5%A4%AB 安倍治夫 - デジタル版日本人名大辞典 kotobank.jp]</ref>。東京大学卒業<ref name="zero">[http://kotobank.jp/word/%E5%AE%89%E5%80%8D%E6%B2%BB%E5%A4%AB 安倍治夫 - デジタル版日本人名大辞典 kotobank.jp]</ref>。 |
[[1920年]][[4月1日]]生まれ<ref name="zero">[http://kotobank.jp/word/%E5%AE%89%E5%80%8D%E6%B2%BB%E5%A4%AB 安倍治夫 - デジタル版日本人名大辞典 kotobank.jp]</ref>。[[北海道]]出身<ref name="zero">[http://kotobank.jp/word/%E5%AE%89%E5%80%8D%E6%B2%BB%E5%A4%AB 安倍治夫 - デジタル版日本人名大辞典 kotobank.jp]</ref>。東京大学卒業<ref name="zero">[http://kotobank.jp/word/%E5%AE%89%E5%80%8D%E6%B2%BB%E5%A4%AB 安倍治夫 - デジタル版日本人名大辞典 kotobank.jp]</ref>。 |
||
東京地方検察庁や福岡高等検察庁で、検事 |
東京地方検察庁や福岡高等検察庁で、検事の職に従事する<ref name="zero">[http://kotobank.jp/word/%E5%AE%89%E5%80%8D%E6%B2%BB%E5%A4%AB 安倍治夫 - デジタル版日本人名大辞典 kotobank.jp]</ref>。[[1953年]]、[[ハーバード大学]]に留学している<ref>[http://www2a.biglobe.ne.jp/~mcjp/meibo/jpn.htm ボストン日本人学生会名簿]</ref>。「昭和の岩窟王」として名高い吉田石松の再審請求を助ける<ref name="zero">[http://kotobank.jp/word/%E5%AE%89%E5%80%8D%E6%B2%BB%E5%A4%AB 安倍治夫 - デジタル版日本人名大辞典 kotobank.jp]</ref>。 |
||
[[1966年]]、弁護士に転ずる。[[1970年]]頃、自動車業界にて欠陥車問題が発覚し、安倍治夫 |
[[1966年]]、弁護士に転ずる。[[1970年]]頃、自動車業界にて欠陥車問題が発覚し、安倍治夫は、松田文雄らと『日本自動車ユーザーユニオン』を組織すし、松田を専務理事とし、安倍自ら幹事となる。[[ホンダ・N360]]の構造的欠陥が明らかになったとして、[[本田宗一郎]]を、未必の故意による殺人罪で、告訴する。[[1971年]][[11月2日]]、安倍治夫は、[[本田技研工業]]より損害賠償金16億円を「会」を代表して要求したのについて、恐喝未遂罪で逮捕される<ref name="one">[http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/067/0080/06711170080003a.html 衆議院会議録 第67回国会 法務委員会第3号]</ref>。[[1977年]]8月、懲役2年の実刑判決が東京地方裁判所で下るものの、[[1986年]]2月に東京高等裁判所で執行猶予付き判決が下り、[[1987年]]1月に最高裁判所にて執行猶予判決が確定する。この時点で、弁護士資格を失うこととなる。その後、[[1990年]]、恩赦により、弁護士資格を再び回復させる。[[1991年]][[4月22日]]、袴田巌死刑囚の再審請求の弁護人に選ばれる<ref>[http://www.h3.dion.ne.jp/~hakamada/nenpyo.html 袴田事件・袴田巌さんを救う会 年表]</ref>。 |
||
日本人のイスラム教徒として、[[1986年]]に、現代書館から、『イスラム教フォービギナーズ』を、出版する。 |
日本人のイスラム教徒として、[[1986年]]に、[[現代書館]]から、『イスラム教フォー・ビギナーズ』を、出版する。 |
||
[[1999年]][[8月16日]]死去する<ref name="zero">[http://kotobank.jp/word/%E5%AE%89%E5%80%8D%E6%B2%BB%E5%A4%AB 安倍治夫 - デジタル版日本人名大辞典 kotobank.jp]</ref>。 |
[[1999年]][[8月16日]]死去する<ref name="zero">[http://kotobank.jp/word/%E5%AE%89%E5%80%8D%E6%B2%BB%E5%A4%AB 安倍治夫 - デジタル版日本人名大辞典 kotobank.jp]</ref>。 |
||
16行目: | 16行目: | ||
*刑事訴訟法における均衡と調和 1963年 一粒社 ASIN: B000JAJ1DI |
*刑事訴訟法における均衡と調和 1963年 一粒社 ASIN: B000JAJ1DI |
||
*欠陥車 - 全国産車を徹底調査する 1972年 ビクトリー出版 ASIN: B000J9TCTW |
*欠陥車 - 全国産車を徹底調査する 1972年 ビクトリー出版 ASIN: B000J9TCTW |
||
*イスラム教フォービギナーズ 1986年1月 現代書館 ISBN 4-7684-0036-1 |
*イスラム教フォー・ビギナーズ 1986年1月 現代書館 ISBN 4-7684-0036-1 |
||
===監修=== |
===監修=== |
||
*真相―神戸市小学生惨殺遺棄事件 1998年10月 早稲田出版 ISBN-13: 978-4898271940 |
*真相―神戸市小学生惨殺遺棄事件 1998年10月 早稲田出版 ISBN-13: 978-4898271940 |
2012年2月3日 (金) 04:19時点における版
安倍 治夫(あべ はるお、1920年4月2日 - 1999年8月16日)は、日本の弁護士。元検察官
人物
1920年4月1日生まれ[1]。北海道出身[1]。東京大学卒業[1]。
東京地方検察庁や福岡高等検察庁で、検事の職に従事する[1]。1953年、ハーバード大学に留学している[2]。「昭和の岩窟王」として名高い吉田石松の再審請求を助ける[1]。
1966年、弁護士に転ずる。1970年頃、自動車業界にて欠陥車問題が発覚し、安倍治夫は、松田文雄らと『日本自動車ユーザーユニオン』を組織すし、松田を専務理事とし、安倍自ら幹事となる。ホンダ・N360の構造的欠陥が明らかになったとして、本田宗一郎を、未必の故意による殺人罪で、告訴する。1971年11月2日、安倍治夫は、本田技研工業より損害賠償金16億円を「会」を代表して要求したのについて、恐喝未遂罪で逮捕される[3]。1977年8月、懲役2年の実刑判決が東京地方裁判所で下るものの、1986年2月に東京高等裁判所で執行猶予付き判決が下り、1987年1月に最高裁判所にて執行猶予判決が確定する。この時点で、弁護士資格を失うこととなる。その後、1990年、恩赦により、弁護士資格を再び回復させる。1991年4月22日、袴田巌死刑囚の再審請求の弁護人に選ばれる[4]。
日本人のイスラム教徒として、1986年に、現代書館から、『イスラム教フォー・ビギナーズ』を、出版する。
著作
自著
- 刑事訴訟法における均衡と調和 1963年 一粒社 ASIN: B000JAJ1DI
- 欠陥車 - 全国産車を徹底調査する 1972年 ビクトリー出版 ASIN: B000J9TCTW
- イスラム教フォー・ビギナーズ 1986年1月 現代書館 ISBN 4-7684-0036-1
監修
- 真相―神戸市小学生惨殺遺棄事件 1998年10月 早稲田出版 ISBN-13: 978-4898271940