「オランピア (絵画)」の版間の差分

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== 解説 ==
== 解説 ==
マネはこの作品を[[1865年]]の[[サロン・ド・パリ|サロン]](官展)に出品し、作品自体は入選したが、草上の昼食と同様に「現実の裸体の女性」を描いた事が批判された。その理由として、オランピアという名が当時の[[娼婦]]の通称であったこと、花束を持った黒人の女性が裸体の女性の召使として描かれていること、当作品でベッドに横たわっている裸体の女性は[[サンダル]]と首に巻いたひもを身につけているが、このような表現は当時主流の[[アカデミック絵画]]において考えられていた神話や歴史上の出来事を描いた絵画に登場する裸体の女性とは異なっており、裸体の女性がを当時の娼婦を表している事が明らかであった事が批判の対象となった。
マネはこの作品を[[1865年]]の[[サロン・ド・パリ|サロン]](官展)に出品し、作品自体は入選したが、草上の昼食と同様に「現実の裸体の女性」を描いた事が批判された。その理由として、オランピアという名が当時の[[娼婦]]の通称であったこと、花束を持った黒人の女性が裸体の女性の召使として描かれていること、当作品でベッドに横たわっている裸体の女性は[[サンダル]]と首に巻いたひもを身につけているが、このような表現は当時主流の[[アカデミック絵画]]において考えられていた神話や歴史上の出来事を描いた絵画に登場する裸体の女性とは異なっており、裸体の女性がを当時の娼婦を表している事が明らかであった事が批判の対象となった。


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全体的な構図は、[[1538年]]に[[ティツィアーノ・ヴェチェッリオ|ティツィアーノ]]が描いた[[ウルビーノのヴィーナス]]の構図を借用したものである。また、右側で尻尾を立てている黒猫は1865年のサロン出品の直前にマネ自身によって加筆されたものである。
全体的な構図は、[[1538年]]に[[ティツィアーノ・ヴェチェッリオ|ティツィアーノ]]が描いた[[ウルビーノのヴィーナス]]の構図を借用したものである。また、右側で尻尾を立てている黒猫は1865年のサロン出品の直前にマネ自身によって加筆されたものである。


なお、裸体の女性のモデルは、草上の昼食などの1860年代~1870年代前半のマネの多くの作品でモデルを務めた[[ヴィクトリーヌ・ムーラン]]である。
なお、裸体の女性のモデルは、草上の昼食などの1860年代~1870年代前半のマネの多くの作品でモデルを務めた[[ヴィクトリーヌ・ムーラン]]である。


== 他作品への影響 ==
== 他作品への影響 ==
草上の昼食と同様に、多くの芸術家によってこの作品の[[パロディー]]や[[オマージュ]]に類する作品が発表されている。[[ポール・セザンヌ]]は[[1874年]]にマネの当作品をセザンヌ自身の解釈によって表現したモデルヌ・オランピア(現代のオランピア)」を描き、同年に開催された第1回印象派展に出品した。[[20世紀]]前半の[[スイス]]の画家である[[ルネ・ヴィクトール・オーベルジョノワ]]([[:en:René Victor Auberjonois|René Victor Auberjonois]])は[[1943年]]にオランピア礼賛を描いた。[[日本]]の[[現代美術]]の芸術家である[[森村泰昌]]は[[1988年]]から[[1990年]]にかけて、森村自身が画中の裸体の女性と黒人の召使の2人に扮した肖像(双子)」と題された[[写真#カラー写真|カラー写真]]を制作した。
草上の昼食と同様に、多くの芸術家によってこの作品の[[パロディー]]や[[オマージュ]]に類する作品が発表されている。[[ポール・セザンヌ]]は[[1874年]]にマネの当作品をセザンヌ自身の解釈によって表現したモデルヌ・オランピア(現代のオランピア)』を描き、同年に開催された第1回印象派展に出品した。[[20世紀]]前半の[[スイス]]の画家である[[ルネ・ヴィクトール・オーベルジョノワ]]([[:en:René Victor Auberjonois|René Victor Auberjonois]])は[[1943年]]にオランピア礼賛を描いた。[[日本]]の[[現代美術]]の芸術家である[[森村泰昌]]は[[1988年]]から[[1990年]]にかけて、森村自身が画中の裸体の女性と黒人の召使の2人に扮した肖像(双子)』と題された[[写真#カラー写真|カラー写真]]を制作した。


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2011年7月22日 (金) 03:50時点における版

『オランピア』
フランス語: Olympia
作者エドゥアール・マネ
製作年1863年
種類油彩、カンヴァス
寸法130.5 cm × 190 cm (51.4 in × 75 in)
所蔵オルセー美術館パリ

オランピア: Olympia)は、1863年エドゥアール・マネによって描かれた絵画パリオルセー美術館所蔵。1862年から1863年に描かれた『草上の昼食』と共に、マネの代表作といわれる。

解説

マネはこの作品を1865年サロン(官展)に出品し、作品自体は入選したが、『草上の昼食』と同様に「現実の裸体の女性」を描いた事が批判された。その理由として、『オランピア』という名が当時の娼婦の通称であったこと、花束を持った黒人の女性が裸体の女性の召使として描かれていること、当作品でベッドに横たわっている裸体の女性はサンダルと首に巻いたひもを身につけているが、このような表現は当時主流のアカデミック絵画において考えられていた神話や歴史上の出来事を描いた絵画に登場する裸体の女性とは異なっており、裸体の女性がを当時の娼婦を表している事が明らかであった事が批判の対象となった。

ティツィアーノ作『ウルビーノのヴィーナス』

全体的な構図は、1538年ティツィアーノが描いた『ウルビーノのヴィーナス』の構図を借用したものである。また、右側で尻尾を立てている黒猫は1865年のサロン出品の直前にマネ自身によって加筆されたものである。

なお、裸体の女性のモデルは、『草上の昼食』などの1860年代~1870年代前半のマネの多くの作品でモデルを務めたヴィクトリーヌ・ムーランである。

他作品への影響

『草上の昼食』と同様に、多くの芸術家によってこの作品のパロディーオマージュに類する作品が発表されている。ポール・セザンヌ1874年にマネの当作品をセザンヌ自身の解釈によって表現した『モデルヌ・オランピア(現代のオランピア)』を描き、同年に開催された第1回印象派展に出品した。20世紀前半のスイスの画家であるルネ・ヴィクトール・オーベルジョノワRené Victor Auberjonois)は1943年に『オランピア礼賛』を描いた。日本現代美術の芸術家である森村泰昌1988年から1990年にかけて、森村自身が画中の裸体の女性と黒人の召使の2人に扮した『肖像(双子)』と題されたカラー写真を制作した。 Template:Link FA Template:Link GA