「井伊谷宮」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
編集の要約なし
9行目: 9行目:
'''井伊谷宮'''(いいのやぐう)は、[[静岡県]][[浜松市]][[北区 (浜松市)|北区]](旧[[引佐郡]][[引佐町]])にある[[神社]]である。旧[[社格]]は[[官幣中社]]。[[建武中興十五社]]の一社である。
'''井伊谷宮'''(いいのやぐう)は、[[静岡県]][[浜松市]][[北区 (浜松市)|北区]](旧[[引佐郡]][[引佐町]])にある[[神社]]である。旧[[社格]]は[[官幣中社]]。[[建武中興十五社]]の一社である。


[[後醍醐天皇]]の第四皇子である[[宗良親王]]を祀る。鎮座地は、[[建武中興]](建武新政)の際に征東将軍として関東各地を転戦した宗良親王が、元中2年に73歳で歿した地と伝えられている(終焉の地については、諸説あり)。社殿の背後に宗良親王の墳墓がある。
[[後醍醐天皇]]の第四皇子である[[宗良親王]]を祀る。鎮座地は、建武中興([[建武新政]])の際に征東将軍として関東各地を転戦した宗良親王が、元中2年に73歳で歿した地と伝えられている(終焉の地については、諸説あり)。社殿の背後に宗良親王の墳墓がある。


明治維新の際、建武中興に尽力した人々を祀る神社の創建が企画され、その中の一社として井伊谷宮の創建が決定した。宗良親王を輔佐した[[井伊道政]]・[[井伊高顕]]の子孫である[[彦根藩]]主・[[井伊直憲|井伊掃部頭直憲]]が命を受けて明治5年2月に創建し、同年6月に官幣中社に列せられた
明治維新の際、建武中興に尽力した人々を祀る神社の創建が企画され、その中の一社として井伊谷宮の創建が決定した。宗良親王を輔佐した[[井伊道政]]・[[井伊高顕]]の子孫である[[彦根藩]]主・[[井伊直憲|井伊掃部頭直憲]]が命を受けて明治5年2月に創建し、同年6月に官幣中社に列せられた

2011年2月7日 (月) 03:36時点における版

井伊谷宮
所在地 静岡県浜松市北区引佐町井伊谷1991-1
主祭神 一品中務卿宗良親王
社格 官幣中社・別表神社
創建 明治5年
例祭 9月22日
テンプレートを表示

井伊谷宮(いいのやぐう)は、静岡県浜松市北区(旧引佐郡引佐町)にある神社である。旧社格官幣中社建武中興十五社の一社である。

後醍醐天皇の第四皇子である宗良親王を祀る。鎮座地は、建武中興(建武の新政)の際に征東将軍として関東各地を転戦した宗良親王が、元中2年に73歳で歿した地と伝えられている(終焉の地については、諸説あり)。社殿の背後に宗良親王の墳墓がある。

明治維新の際、建武中興に尽力した人々を祀る神社の創建が企画され、その中の一社として井伊谷宮の創建が決定した。宗良親王を輔佐した井伊道政井伊高顕の子孫である彦根藩主・井伊掃部頭直憲が命を受けて明治5年2月に創建し、同年6月に官幣中社に列せられた

神紋の李花紋は、歌人としても有名であった宗良親王の歌集の題名に因むものである。

関連項目