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== 生涯 ==
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ジョン・ブラナーのほかに K・H・ブラナー、ジル・ハント、 John Loxmith、Trevor Staines、Keith Woodcott といったペンネームも使っていた<ref name="encyc"/>。
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小説以外では、原稿料を貰わずに[[ファンジン]]などに文章をよく書いた。他に[[ニュー・サイエンティスト]]誌に13通の手紙を送って、それが掲載されている。また、''Physics Education'' (1971) volume 6 pages 389-391 には "The educational relevance of science fiction"(SF小説と教育の関係)という文章が掲載された。核武装反対運動 ([[:en:Campaign_for_Nuclear_Disarmament|Campaign for Nuclear Disarmament]], CND) の活動家でもあり、キャンペーンソング ''The H-Bomb's Thunder'' の作詞も手がけている。1972年、[[トリエステ]]で開催された初のヨーロッパ[[SF大会]] ''Eurocon-1'' にゲストとして招待された<ref name="encyc"/>。


== 日本語訳作品リスト ==
== 日本語訳作品リスト ==
* 次元侵略者 ''Meeting at Infinity'' ([[1961年]])
* 次元侵略者 ''Meeting at Infinity'' ([[1961年]])
* テラの秘密調査官 ''Secret Agent of Terra'' ([[1962年]])
* テラの秘密調査官 ''Secret Agent of Terra'' ([[1962年]])
* 銀河系の悪魔 スーパー・バーバリアン ''The Super Barbarians'' (1962年)
* 銀河系の悪魔 スーパー・バーバリアン ''The Super Barbarians'' (1962年)
* 幻影への脱出 ''The Dreaming Earth'' ([[1963年]])
* 幻影への脱出 ''The Dreaming Earth'' ([[1963年]])
* テレパシスト ''The Whole Man'' ([[1964年]], 後に ''Telepathist'' と改題)
* テレパシスト ''The Whole Man'' ([[1964年]], 後に ''Telepathist'' と改題)
* 星は人類のもの連盟 ''The Long Result'' ([[1965年]])
* 星は人類のもの連盟 ''The Long Result'' ([[1965年]])
* 流れ星をつかまえろ ''Catch a Falling Star'' ([[1968年]])
* 流れ星をつかまえろ ''Catch a Falling Star'' ([[1968年]])
* 原始惑星への脱出 ''Polymath'' ([[1974年]])
* 原始惑星への脱出 ''Polymath'' ([[1974年]])
* 衝撃波を乗り切れ ''The Shockwave Rider'' ([[1975年]])
* 衝撃波を乗り切れ ''The Shockwave Rider'' ([[1975年]])


※''Stand on Zanzibar'' (1968年) を始めとして多くの未訳長編がある。短編はいくつかが訳されている。
※''Stand on Zanzibar'' (1968年) を始めとして多くの未訳長編がある。短編はいくつかが訳されている。

== 脚注・出典 ==
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== 外部リンク ==
* [http://www.sfhub.ac.uk/Brunner.htm John Brunner Archive at the University of Liverpool]
* [http://www.rudysbooks.com/brunnerobit.html Obituary] on Rudy's Books
* [http://www.skypoint.com/members/gimonca/brunner.html Heroes of Cyberspace:John Brunner] by Charles A. Gimon
* [http://scifan.com/writers/bb/BrunnerJohn.asp Bibliography] on [[:en:SciFan|SciFan]]
* {{isfdb name|id=John_Brunner}}
* [http://www.technovelgy.com/ct/AuthorTotalAlphaList.asp?AuNum=24 Science Fiction Inventions by John Brunner]


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2010年7月10日 (土) 19:07時点における版

ジョン・キリアン・ヒューストン・ブラナー
ペンネーム ジョン・ブラナー
誕生 (1934-09-24) 1934年9月24日
イギリスの旗 イギリス オックスフォードシャー ウォリンフォード
死没 1995年8月26日(1995-08-26)(60歳)
職業 小説家
国籍 イギリスの旗 イギリス
ジャンル サイエンス・フィクション
ファンタジー
代表作 Stand on Zanzibar
『衝撃波を乗り切れ』
公式サイト http://www.sfhub.ac.uk/Brunner.htm
ウィキポータル 文学
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ジョン・キリアン・ヒューストン・ブラナーJohn Kilian Houston Brunner, 1934年9月24日 - 1995年8月26日)は、多作で知られたイギリスSF作家。人口過剰となった世界を描いた1968年の小説 Stand on Zanzibar (未訳)で1969年ヒューゴー賞長編小説部門を受賞し、現在でも古典的名作とされている。その作品は英国SF協会賞も同年受賞している。翌年には The Jagged Orbit で英国SF協会賞を連続受賞した。

生涯

彼はオックスフォードシャーのウォリンフォードに程近いプレストン・クローマーシュで生まれ、チェルトナムの学校に進学。17歳のときにジル・ハントの筆名で Galactic Storm という処女長編小説を書いたが、専業作家となったのは1958年である[1]。1953年から1955年の間イギリス空軍で働き、1958年に最初の妻と結婚。ブラナーの健康は1980年代に衰えはじめ、1986年に最初の妻が亡くなると自身の健康状態も悪化した。1991年に再婚。1995年8月25日、スコットランドグラスゴーで開催中のワールドコンに参加中に脳梗塞で亡くなった[2]。イギリスではSFファンダムの有名人でもあった。

作家活動

初期の作風は普通のスペースオペラであったが、後に実験的な小説を書くようになる。1968年の人口過剰な世界を描いた長編小説 Stand on Zanzibar で1969年のヒューゴー賞長編小説部門を受賞[3]。同作品は英国SF協会賞も受賞した。翌1970年には The Jagged Orbit で英国SF協会賞を連続受賞した。1972年の The Sheep Look Up は生態系破壊を警告した予言的内容である。1975年の先駆的サイバーパンク作品とも言える『衝撃波を乗り切れ』(The Shockwave Rider) では、「ワーム」(コンピュータネットワーク上で複製を作って増殖するソフトウェア))という用語を生み出した。この作品はアルビン・トフラーの『未来の衝撃』を読んで影響を受けたブラナーが書き、逆に『衝撃波を乗り切れ』を読んでトフラーが『第三の衝撃』を書いたことでも有名である。

ジョン・ブラナーのほかに K・H・ブラナー、ジル・ハント、 John Loxmith、Trevor Staines、Keith Woodcott といったペンネームも使っていた[1]

小説以外では、原稿料を貰わずにファンジンなどに文章をよく書いた。他にニュー・サイエンティスト誌に13通の手紙を送って、それが掲載されている。また、Physics Education (1971) volume 6 pages 389-391 には "The educational relevance of science fiction"(SF小説と教育の関係)という文章が掲載された。核武装反対運動 (Campaign for Nuclear Disarmament, CND) の活動家でもあり、キャンペーンソング The H-Bomb's Thunder の作詞も手がけている。1972年、トリエステで開催された初のヨーロッパSF大会 Eurocon-1 にゲストとして招待された[1]

日本語訳作品リスト

  • 次元侵略者 Meeting at Infinity1961年
  • テラの秘密調査官 Secret Agent of Terra1962年
  • 銀河系の悪魔 スーパー・バーバリアン The Super Barbarians (1962年)
  • 幻影への脱出 The Dreaming Earth1963年
  • テレパシスト The Whole Man1964年, 後に Telepathist と改題)
  • 星は人類のもの連盟 The Long Result1965年
  • 流れ星をつかまえろ Catch a Falling Star1968年
  • 原始惑星への脱出 Polymath1974年
  • 衝撃波を乗り切れ The Shockwave Rider1975年

Stand on Zanzibar (1968年) を始めとして多くの未訳長編がある。短編はいくつかが訳されている。

脚注・出典

  1. ^ a b c Tuck, Donald H. (1974). The Encyclopedia of Science Fiction and Fantasy. Chicago: Advent. pp. 70–72. ISBN 0-911682-20-1 
  2. ^ “Obituary of John Brunner”. Daily Telegraph: p. 23. (1995年9月25日) 
  3. ^ Grant, Rich (1972年11月20日). “Writer John Brunner speaks; God appears on campus”. Daily Collegian (Penn State University). http://digitalnewspapers.libraries.psu.edu/Default/Skins/BasicArch/Client.asp?Skin=BasicArch&&AppName=2&enter=true&BaseHref=DCG/1972/11/20&EntityId=Ar00301 2010年2月8日閲覧。 

外部リンク