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江夏において活動していた賊の一人で、[[張虎]]と共に[[襄陽]]を割拠していたが、[[荊州]][[刺史]][[劉表]]の部下の[[カイ越|蒯越]]の説得により降伏した。
江夏において活動していた賊の一人で、[[張虎]]と共に[[襄陽]]を割拠していたが、[[荊州]][[刺史]][[劉表]]の部下の[[カイ越|蒯越]]の説得により降伏した。


[[三国志演義]]においては、[[長沙]][[太守]][[孫堅]]が荊州に侵攻してきた際、江夏太守の[[黄祖]]に従い張虎の副将として加勢にでる。しかし、[[初陣]]の[[孫策]]に矢で射られて戦死する。
小説『[[三国志演義]]においては、[[長沙]][[太守]][[孫堅]]が荊州に侵攻してきた際、江夏太守の[[黄祖]]に従い張虎の副将として加勢にでる。しかし、[[初陣]]の[[孫策]]に矢で射られて戦死する。


[[Category:三国志の登場人物|ちん せい]]
[[Category:三国志の登場人物|ちん せい]]

2009年10月17日 (土) 14:28時点における版

陳 生(ちん せい、生没年不詳)は後漢末期の人。三国志魏書劉表伝の注に登場する。

江夏において活動していた賊の一人で、張虎と共に襄陽を割拠していたが、荊州刺史劉表の部下の蒯越の説得により降伏した。

小説『三国志演義』においては、長沙太守孫堅が荊州に侵攻してきた際、江夏太守の黄祖に従い張虎の副将として加勢にでる。しかし、初陣孫策に矢で射られて戦死する。