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[[1987年]]頃より、ブレジネフ時代に上映を禁止されていた[[映画]]が次々と公開された。党の[[統制]]下に置かれない市民団体の結成などもみられた。[[歴史学]]においても[[ネップ]](新経済政策)の再評価、[[1930年代]]の大飢饉の考察など、それまで[[タブー]]視されていたテーマが扱われ始めた。 |
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それまで西側にとって秘密のヴェールにつつまれていた軍事面の情報も徐々に公にされるようになり、1986年には、空軍の新鋭戦闘機[[MiG-29]]がフィンランドのクオピオ・リッサラ基地を親善訪問した映像が世界に配信され、[[1988年]]にはイギリスの[[ファンボロー]]航空ショーに出展、更に翌年には[[Su-27]]、[[Su-25]]、[[Mi-28]]など最新鋭の軍用機が[[パリエアショー]]に出品披露されるなど、積極的な公開が進んだ。 |
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一方で困窮する民衆の生活とはまるで別世界のような[[ソビエト連邦共産党|共産党]]幹部の豪華絢爛な暮らしや[[汚職]]も暴かれて、国民の反共産党感情を一気に高め、[[ソ連崩壊|ソ連解体]]へと国家を進めていく結果となった。 |
一方で困窮する民衆の生活とはまるで別世界のような[[ソビエト連邦共産党|共産党]]幹部の豪華絢爛な暮らしや[[汚職]]も暴かれて、国民の反共産党感情を一気に高め、[[ソ連崩壊|ソ連解体]]へと国家を進めていく結果となった。 |
2008年9月9日 (火) 14:11時点における版
グラスノスチ(гласность, glasnost' listen publicity)はゴルバチョフ時代のソビエト連邦においてペレストロイカ(perestroika 改革)の重要な一環として展開された情報政策である。日本語では「情報公開」「公開制(公開性)」などと訳される。
ペレストロイカ推進のためには従来の社会主義的イデオロギーの枠を超えた発想が求められた。そのため今まで抑圧され続けていた改革派の知識人をあるいは学者をペレストロイカに巻き込む必要があった。
1986年4月に起こったチェルノブイリ原発事故をきっかけに、種々の社会問題を解決するために言論・思想・集会・出版・報道などの自由化・民主化が行われた。1986年末までには、一部のテレビ・新聞がソ連社会の問題点を率直に批判するようになった。また、ブレジネフ政権のアフガニスタン侵攻を批判してゴーリキー(現・ニジニ・ノヴゴロド)に幽閉されていた科学者アンドレイ・サハロフも釈放された。
1987年頃より、ブレジネフ時代に上映を禁止されていた映画が次々と公開された。党の統制下に置かれない市民団体の結成などもみられた。歴史学においてもネップ(新経済政策)の再評価、1930年代の大飢饉の考察など、それまでタブー視されていたテーマが扱われ始めた。
それまで西側にとって秘密のヴェールにつつまれていた軍事面の情報も徐々に公にされるようになり、1986年には、空軍の新鋭戦闘機MiG-29がフィンランドのクオピオ・リッサラ基地を親善訪問した映像が世界に配信され、1988年にはイギリスのファンボロー航空ショーに出展、更に翌年にはSu-27、Su-25、Mi-28など最新鋭の軍用機がパリエアショーに出品披露されるなど、積極的な公開が進んだ。
一方で困窮する民衆の生活とはまるで別世界のような共産党幹部の豪華絢爛な暮らしや汚職も暴かれて、国民の反共産党感情を一気に高め、ソ連解体へと国家を進めていく結果となった。