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* 明治45年([[1912年]]) 女子英学塾(現:[[津田塾大学]])卒業。 |
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2008年7月4日 (金) 08:20時点における版
山川 菊栄(山川 菊榮、やまかわ きくえ、明治23年(1890年)11月3日 - 昭和55年(1980年)11月2日)は日本の評論家・婦人問題研究家である。
旧姓は青山。東京生れ。山川均の妻。日本の婦人運動に初めて科学を持ち込んだ。多くの評論集は、日本における女性解放運動の思想的原点と評される。
経歴
- 父は森田龍之助、母は水戸藩士で弘道館教授頭取代理・彰考館権総裁を務めた儒学者・史学者の青山延寿の娘・千世で、菊栄自身は青山姓を名乗った。弘道館の初代教授頭取を務めた儒学者・青山延于は母方の曾祖父にあたる。
- 東京府立二女卒業。
- 明治45年(1912年) 女子英学塾(現:津田塾大学)卒業。
- 大正4年(1915年) 堺利彦・幸徳秋水らの金曜講演会、大杉栄らの平民講演会を通して社会主義を学ぶ。
- 大正5年(1916年) 社会主義運動家山川均と結婚。
- 大正7年(1918年)ころから始まった母性保護論争に参加、社会主義の立場から平塚らいてう・伊藤野枝らの運動を批判。女性論壇の第一人者となる。
- 大正10年(1921年)4月 日本で最初の社会主義婦人団体「赤瀾会」を結成、同年メーデーに初参加。
- 昭和22年(1947年) 日本社会党に入党。9月1日、片山内閣のもとで労働省(新設直後)の初代婦人少年局長に就任。
- 昭和37年(1962年) 田中寿美子らと婦人問題懇話会を設立。
- 昭和55年(1980年) 死去
- 昭和56年(1981年) 彼女の業績を記念して、山川菊栄賞設立。