東京都立竹早高等学校

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東京都立竹早高等学校
Takehaya.jpg
過去の名称 東京府第二高等女學校
東京府立第二高等女學校
東京都立第二高等女學校
東京都立第二女子新制高等学校
国公私立の別 公立学校
設置者 東京都の旗 東京都
設立年月日 1899年明治32年)
共学・別学 男女共学
課程 全日制課程
単位制・学年制 学年制
設置学科 普通科(6学級)
高校コード 13195E
所在地 112-0002
外部リンク 公式サイト
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東京都立竹早高等学校(とうきょうとりつ たけはや こうとうがっこう、英称:Tokyo Metropolitan Takehaya Senior High School)は、東京都文京区小石川に所在する都立高等学校

概観[編集]

1899年(明治32年)創立の「東京府立第二高等女学校」を前身とする。創立当初から1945年(昭和20年)まで、校長・教職員が東京府女子師範学校(現・東京学芸大学)と兼務しており、学校行事も合同で実施されていた。現在も校地を学芸大附属幼稚園竹早園舎附属竹早小附属竹早中と隣接している(沿革参照)。

戦前は高等女子教育の名門としてその名を馳せ、「浅草の第一(白鴎)、小石川の第二(竹早)、麻布の第三(駒場)」と並び称されていた[1]

標準服はあるが、服装は自由(私服で登校可能)。「自主自律」を校風とする。卒業生はおよそ2万人。

教育[編集]

東京都から進学指導推進校に指定されており、入試に於いては都の共通問題を使用している。

1学年定員が6学級と他校と比較して小規模であることや、帰国子女の受け入れを行い、二年次からは自由選択科目として第二外国語(フランス語ドイツ語)もある。土曜自習室である「竹早塾」では、現役OBによる補習などの学習支援が行われている。

沿革[編集]

  • 1899年明治32年) - 「東京府第二高等女学校」創立。
  • 1901年(明治34年)1月 - 開校式。7月、「東京府立第二高等女学校」と改称。
  • 1910年(明治43年)4月 - 同窓会を「篁会」と命名。
  • 1931年昭和6年)11月 - 宣仁親王妃喜久子台臨。
  • 1934年(昭和9年) - 3階建て鉄筋コンクリートの新校舎竣工。
  • 1943年(昭和18年) - 都制施行により「東京都立第二高等女学校」と改称。補習科を専攻科と改称。校舎を共用の女子師範学校が官立に移行、校舎・敷地を国から間借りする形になる。
  • 1948年(昭和23年) - 学制改革により「東京都立第二女子新制高等学校」と改称。定時制課程が設置される。
  • 1949年(昭和24年) - 男女共学となる。
  • 1950年(昭和25年) - 「東京都立竹早高等学校」と改称。
  • 1952年(昭和27年) - 学区合同選抜制度導入。
  • 1960年(昭和35年) - 創立60周年記念として、篁会と山梨県北杜市に「八ヶ岳寮」建設。
  • 1967年(昭和42年) - 学校群制度導入。小石川高と41群を組む。
  • 1968年(昭和43年) - 校舎を共用の学芸大附属中学校と校地を分割。
  • 1969年(昭和44年) - 制服を自由化、標準服制度になる。
  • 1970年(昭和45年) - “独立校舎”が竣工、移転。学芸大附属中学校と同じ校舎の上下階で使い分ける状態から解放。敷地が狭いため、5階建てになる。
  • 1980年(昭和55年) - 帰国子女受け入れ開始。
  • 1982年(昭和57年) - グループ合同選抜制度導入。41グループに編成される。
  • 1993年平成5年)2月 - 学芸大女子寮跡地に新校舎(第一期)とプール竣工。
  • 1994年(平成6年) - 単独選抜となる。
  • 1995年(平成7年)7月 - 新校舎(第二期)体育棟とグラウンド竣工。
  • 1996年(平成8年)3月 - 定時制課程廃止。
  • 2000年(平成12年)11月18日 - 創立100周年記念式典。式典でのアンケートをもとに、八ヶ岳寮を「竹早山荘」と改称。
  • 2001年(平成13年) - 創立100周年記念モニュメント「夢の風」を設置(篁会の寄贈、制作は、OBの陶芸家伊藤麻沙人と彫刻家小堤良一の共同制作)。
  • 2002年(平成14年) - 週5日制導入を受け、土曜日に「土曜自習室」を開設、卒業生らが指導に当たる(現「竹早塾」)。
  • 2003年(平成15年) - 文部科学省学力向上フロンティア・ハイスクール事業の指定を受ける(2005年(平成17年)度までの3年間)。45分間、七時限授業に。
  • 2010年(平成22年)11月 - 創立110周年記念式典挙行。

基礎データ[編集]

校歌[編集]

旧制高女(府立二女)時代の校歌は、岡野貞一の作曲である。

校章[編集]

全国的にも珍しく、男女別に校章がある。

交通アクセス[編集]

諸活動[編集]

部活動[編集]

(運動部)

  • サッカー部
  • バスケットボール部
  • 軟式野球
  • 硬式テニス部
  • ソフトテニス部
  • 剣道部
  • 卓球部
  • 陸上競技部 - 女子800m走インターハイ出場(2003年度)
  • 水泳部 - インターハイ出場(2006年度)
  • バドミントン部
  • バレーボール部
  • ダンス部

(文化部)

  • 模型部
  • 吹奏楽部
  • 箏曲部
  • 美術部
  • 放送部
  • コーラス部
  • 茶道部
  • 演劇部
  • 文芸部
  • マンガ研究部
  • 化学研究部
  • 写真部
  • 天文部
  • 家庭科部
  • 囲碁将棋同好会
  • 軽音部
  • 折り紙同好会
  • 映像研究同好会

学校行事[編集]

  • 体育祭 - 学校に校庭が無いため、小石川グラウンドを借りて行う。全学年を縦割りにした団(例:A団なら、各学年のA組)で行うパフォーマンスが恒例。なお2013年度より内容を改変させ、「体育的行事」と称するようになった。しかし、2014年度からもとの名称(「体育祭」)に戻している。
  • 竹早祭 - 前夜祭の「竹の子祭」(生徒・保護者のみ参加可)では、 主に3年生による演劇が行われる。本祭は竹早祭実行委員会から選ばれる執行部(執行部自体は4月より活動をし、体育祭終了後から本格的な準備を始める。)を中心に、生徒が自主的に取り組んでいる。「竹夕祭」と呼ばれる後夜祭では、有志による出しもの(ダンス・ライブなど)が行われている。スローガンは「竹・竹の子」をもじったものが多い。
  • 球技大会 - 各学年毎にHR委員(いわゆる学級委員)が中心となり行われている。ユニフォームは体育祭で使った衣装(ただし、体育祭でG組と組んだ組は竹早祭のものを使用する)。2013年度までは男子:バスケットボール・バレーボール・サッカー、女子:バスケットボール・バレーボール・卓球だったが、2014年度はアリーナ(体育館)の改修工事によりバスケットボール・バレーボールの種目が変更になる模様。
  • 合唱コンクール - 3学期に中央委員会(生徒会)主催で行われる。以前は自由参加だったが、全1,2年生クラス参加の行事となった。

生徒権宣言[編集]

1969年5月、竹早高校学内で学年主任の3名の教員を中心に学校ぐるみのリベート事件が明るみになった。「竹早高校リベート事件」としてマスコミや国会の文教委員会(当時)にも取り上げられ、3名の教員はじめ(1名は懲戒免職処分)、殆どの教職員が処分を受ける事態となった。連日全校集会が続き、学校の機能は一時完全に停止した。

この年、小森陽一は1年生ながら生徒会長に選出され、事件発覚後、リベート事件の責任追及と学内改革の目的から全校ストを組織。教師らを土下座させ、「授業の内容、教師の講義方針に関しては教師・生徒間の話し合いにより決定する」、「生徒に関する諸規則は生徒が定め、生徒が管理する」といった内容の「生徒権宣言」を学校側に受諾させた。1994年度までは生徒手帳に記載されていた。

竹早高校 生徒権宣言

生徒権宣言が出せれた22日後には見解も出された。[1]

逸話[編集]

  • 創立100周年記念式典には、本校の卒業生である緒形拳が出席して歓声を浴びた。

高校関係者と組織[編集]

関連団体[編集]

高校関係者一覧[編集]

著名な卒業生[編集]

政治[編集]
行政[編集]
経済[編集]
法曹[編集]
学者[編集]
文芸[編集]
教育[編集]
芸能[編集]
ジャーナリズム[編集]
スポーツ[編集]
その他[編集]

教職員[編集]

脚注[編集]

  1. ^ あるいは「浅草の一女、小石川の二女、麻布の三女」 『慕いて集える』(創立百周年記念誌編纂委員会編集、都立駒場高校発行、2003年11月30日) P53、『都立高校のすべてがわかる本』(山崎謙山下出版、2000年8月15日) P94 などを参照。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]