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2008年2月29日 (金) 19:27時点における版
グナエウス・コルネリウス・スキピオ・アシナ(Gnaeus Cornelius Scipio Asina、紀元前3世紀、生没年不詳)は第一次ポエニ戦争期の共和政ローマの政治家、軍人。「アシナ」とはラテン語で「ロバ」を意味する。
ローマ筆頭の名門のひとつコルネリウス氏族のスキピオ家に生まれる。父はルキウス・コルネリウス・スキピオ・バルバトゥス、兄弟にはルキウス・コルネリウス・スキピオがいる。261年にコンスルに当選、新設のローマ海軍を率いる。そしてメッシーナ海峡を巡回している際にリパラがローマ側に寝返るとの情報を得る。戦略上重要な拠点を占拠して勝利を栄誉を得ようと焦り、リパラに急行するが、これは敵将ギスコの謀略で、港に乗り上げた際に海上を封鎖されてしまう。海戦に不馴れなローマ兵はパニックに陥り、自分達が乗っている船に構わず陸地に逃れてしまい、大した戦闘もなく易々とスキピオ・アシナは捕虜となってしまった。そして彼ローマ史上最初に海戦にて敗北した人物となった。
この失敗により、後年スキピオは政敵に「ロバ」という意味の「アシナ」という呼び名で呼ばれるようになった。しかし254年に再びコンスルにアウルス・アティリウス・カラティヌスとともに当選している。