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'''志筑藩'''(しずくはん)は、[[常陸国]]志筑(現在の[[茨城県]][[かすみがうら市]])周辺を領した小藩。藩庁は[[志筑陣屋]]に置かれた。 |
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2007年11月22日 (木) 06:47時点における版
志筑藩(しずくはん)は、常陸国志筑(現在の茨城県かすみがうら市)周辺を領した小藩。藩庁は志筑陣屋に置かれた。
概要
慶長7年(1602年)、佐竹氏の出羽久保田藩減移封に伴い、出羽国(秋田県美郷町)より当地へ移封になった本堂茂親が志筑藩の領主となって、正保2年(1645年)、ここに陣屋を構えて廃藩置県まで本堂氏10代が治めた。ただし石高は8,000石の旗本(交代寄合)であり、1万石の大名として諸侯に列したのは慶応4年(1868年)、第10代当主の本堂親久の代であった。
また、幕末に活躍する新撰組隊士・のち御陵衛士の伊東甲子太郎(鈴木大蔵)、鈴木三樹三郎(三木三郎)兄弟は、この藩の脱藩者である。
歴代藩主
本堂家
譜代 8,500石→8,000石→10,110石