「ヨーロッパ世界」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
10行目: 10行目:


===東ヨーロッパでのキリスト教世界の形成===
===東ヨーロッパでのキリスト教世界の形成===
[[画像:HagiaSophiaelevationS.jpg|right|275px|thumb|[[アヤソフィア|ハギア・ソフィア大聖堂]]。[[ビザンツ建築]]の典型であり、東方正教会を受容した地域に広まった]]
[[東ローマ帝国]]はローマ帝国分裂後も1000年近く命脈を保ったたため、周囲の[[東ヨーロッパ]]、[[バルカン半島]]地域のキリスト教化によるヨーロッパ世界の展開は東ローマ帝国と[[東方正教会]]と移住してきた[[スラブ人]]との闘争と融和のよって進行されていった。
[[東ローマ帝国]]はローマ帝国分裂後も1000年近く命脈を保ったたため、周囲の[[東ヨーロッパ]]、[[バルカン半島]]地域のキリスト教化によるヨーロッパ世界の展開は東ローマ帝国と[[東方正教会]]と移住してきた[[スラブ人]]との闘争と融和のよって進行されていった。



2007年5月24日 (木) 11:39時点における版

ヨーロッパ世界(-せかい)とは、ヨーロッパにおいて、ゲルマン民族の大移動後、ゲルマン民族の習俗と古代ローマ文明、さらにキリスト教信仰が融合と東ローマ帝国ビザンチン文化及び、キリスト教信仰とスラブ人の習俗の融合の結果できた歴史的世界観である。

古代ギリシア古代ローマ地中海世界の後に登場した世界である。

概要

ヨーロッパ世界の形成はローマ帝国の東西分裂に伴い、旧西ローマ帝国の中ではローマ教会東ローマ帝国の中では東方正教会が大きな影響力を有しながら展開していった。

西ヨーロッパでのキリスト教世界の形成

パリノートルダム大聖堂。西ヨーロッパによく見られるゴシック建築である。

ゲルマン民族の大移動によって西ローマ帝国が滅亡すると、西ヨーロッパをゲルマン民族が席捲した。その際、ラテン人ローマ人との文化的融合が行われ、ゲルマン人はキリスト教を受容した。やがて各地にゲルマン人を主体とする王国が形成され、それはやがてフランク王国に収斂されて行った。カール大帝ローマ教皇によって西ローマ皇帝に戴冠すると、キリスト教カトリック)を信仰するゲルマン人にを主体とする世界が形成されていった。特にカトリック信仰は文明のバックボーンとなりゲルマン人に続いてマジャル人スラブ人もカトリック受容によってこの文明世界の構成員となっていくことになる。これに続き、ヴァイキング後に成立した北欧諸国のカトリック化によってほぼ現在のヨーロッパ世界が完成したと言える。

東ヨーロッパでのキリスト教世界の形成

ハギア・ソフィア大聖堂ビザンツ建築の典型であり、東方正教会を受容した地域に広まった

東ローマ帝国はローマ帝国分裂後も1000年近く命脈を保ったたため、周囲の東ヨーロッパバルカン半島地域のキリスト教化によるヨーロッパ世界の展開は東ローマ帝国と東方正教会と移住してきたスラブ人との闘争と融和のよって進行されていった。

二つの楕円

ヨーロッパ世界は二つの楕円式構造を有している。

カソリックと東方正教会

宗教において、カソリック東方正教会という二つの中心を有しているのがこの世界の特徴である。これ直接の発端は教会大分裂に始まるが、遠くはローマ帝国の東西分裂に由来する。

教皇と皇帝

カソリックを精神的支柱として西ヨーロッパ世界では、神聖ローマ帝国の成立以後、精神世界の頂点である教皇と世俗の頂点である皇帝との対立が生じた。これは叙任権闘争によって顕在化することになる。

関連項目