「ウィリー・ディクスン」の版間の差分
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2007年4月13日 (金) 14:27時点における版
ウィリー・ディクスン(Willie Dixon、本名:William James Dixon、1915年7月1日 - 1992年1月29日)は、アメリカ合衆国ミシシッピ州ヴィックスバーグ生まれのソングライター、プロデューサー、ベーシスト、歌手。ブルース界を影で支えてきた男。
略歴
- プロ・ボクサーとして活動したのち、1936年にシカゴに移住。音楽活動を本格化させる。
- 1940年代後半、ザ・ビッグ・スリー・トリオのベーシストとして活動。
- 1951年にザ・ビッグ・スリー・トリオが解散した後、チェス・レコードのスタジオ・ワークに関わる。
- 1954年、ウィリーが作詞・作曲した「フーチー・クーチー・マン」が、マディ・ウォーターズの歌で大ヒット。以後、ソングライター/プロデューサー、ベーシストとして手腕を振るう。
- ジョニー・ウィンターのメジャー・デビュー作『ジョニー・ウィンター』にも、ベーシストとしてゲスト参加した。
- 80年代の初頭にシカゴから南カリフォルニアへ移住。
- 1984年にブルースの振興とブルース・アーティストの支援を目的にブルース・ヘヴン・ファウンデーションを設立。ディクソンの死後の1993年、彼の遺族が旧チェス・レコードの建物を買い取り、ファウンデーションの本部とした。
- 1989年には、自伝「I Am The Blues: The Willie Dixon Story」を出版した。
- 1992年1月29日、心不全のためカリフォルニア州バーバンクのセントジョセフ医療センターにて死去した。享年76。
- 裏方の印象が強いが、自己名義のアルバムも複数発表している。特に1981年にレコーディングされた"It Don't Make Sense (You Can't Make Peace)"(アルバム「Mighty Earthquake And Hurricane」収録)は、名作と名高い。
主な提供楽曲
彼の曲は、多くのブルースマンに取り上げられ、その遺伝子はロックにも引き継がれた。
- マディ・ウォーターズ:「フーチー・クーチー・マン」、「アイ・ジャスト・ウォント・トゥ・メイク・ラヴ・トゥ・ユー」、「アイム・レディ」、「ユー・ニード・ラヴ」
- ハウリン・ウルフ:「ザ・レッド・ルースター」、「スプーンフル」、「ビルト・フォー・コンフォート」、「アイ・エイント・スーパースティシャス」
- サニー・ボーイ・ウィリアムスンII:「ブリング・イット・オン・ホーム」
- オーティス・ラッシュ:「アイ・キャント・クイット・ユー、ベイビー」
- ボ・ディドリー:「プリティ・シング」
- バディ・ガイ:「ブロークン・ハーテッド・ブルース」、「クレイジー・ラヴ」
ディスコグラフィー
- 1970年 「I Am The Blues」(Columbia)
- 1973年 「Catalyst」(Ovation)
- 1983年 「Mighty Eathquake And Hurricane」(Mighty Tiger)
- 1985年 「Live (Backstage Access)」(Pausa)
- 1989年 「Ginger Ale Afternoon」(Varese Sarabande)
編集盤
- 1988年 「The Chess Box」(MCA/Chess)
- 1990年 「The Big Three Trio」(Columbia/Legacy)
- 1996年 「The Original Wang Dang Doodle/The Chess Recordings & More」(MCA/Chess)