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2023年11月10日 (金)

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  • 05:292022年9月15日 (木) 05:29 差分 履歴 −5,929 石橋山の戦い編集の要約なし タグ: 差し戻し済み ビジュアルエディター モバイル編集 モバイルウェブ編集
  • 05:252022年9月15日 (木) 05:25 差分 履歴 +6,212 石橋山の戦い石橋戦い(いしばしやまのたたかい)は、平安時代末期の治承4年(1180年)に源頼朝と平氏政権勢力(大庭景親ら)との間で行われた戦いである。源氏軍は300騎が石橋山に陣を構え、対する平氏軍は3000騎が谷を一つ隔てて布陣して戦い、源頼朝は大敗し箱根山中へ敗走した。 治承・寿永の乱と呼ばれる諸戦役のひとつ。『義経記』では小早川の合戦と表記されている。 源頼朝は以仁王の令旨を奉じて挙兵。伊豆国目代山木兼隆を襲撃して殺害するが、続く石橋山の戦いの敗走後は、船で安房国へ落ち延び再挙した。 石橋戦い(いしばしやまのたたかい)は、平安時代末期の治承4年(1180年)に源頼朝と平氏政権勢力(大庭景親ら)との間で行われた戦いである。源氏軍は300騎が石橋山に陣を構え、対する平氏軍は3000騎が谷を一つ隔てて布陣して戦い、源頼朝は大敗し箱根山中へ敗走した。 治承・寿永の乱と呼ばれる諸戦役のひとつ。『義経記』では小早川の合戦と表記されている。 源頼朝は以仁王の令旨を奉じて挙兵。伊豆国目代山木兼隆を襲撃して殺害するが、続く石橋山の戦いの敗走後は、船で安房国へ落ち延び再挙した。 石橋戦い(いしばしやまの タグ: 差し戻し済み ビジュアルエディター モバイル編集 モバイルウェブ編集
  • 00:362022年9月15日 (木) 00:36 差分 履歴 −1,068 石橋山の戦い編集の要約なし タグ: 差し戻し済み ビジュアルエディター モバイル編集 モバイルウェブ編集
  • 00:342022年9月15日 (木) 00:34 差分 履歴 −15 石橋山の戦い編集の要約なし タグ: 差し戻し済み モバイル編集 モバイルウェブ編集
  • 00:322022年9月15日 (木) 00:32 差分 履歴 0 石橋山の戦い編集の要約なし タグ: 差し戻し済み モバイル編集 モバイルウェブ編集
  • 00:312022年9月15日 (木) 00:31 差分 履歴 +72 石橋山の戦い編集の要約なし タグ: 差し戻し済み モバイル編集 モバイルウェブ編集

2022年7月6日 (水)

2022年7月5日 (火)

2021年7月16日 (金)