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「藤田村 (岡山県)」の版間の差分

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== その他 ==
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[[日本]]にある「藤田村」の中で唯一「ふじた"そん"」という読み方だった。他の「藤田村」は[[藤田村 (山梨県)|山梨県のみ]]「とうだむら」でそれ以外は「ふじた"むら"」である。また、日本に存在した「藤田村」の中では最後まで残った村でもあり[[全国地方公共団体コード]]導入後も残った唯一「藤田村」であり、「藤田村」に限らず「'''藤田'''」の名が付く'''最後の自治体'''だった。また、児島郡においては最後まで残った村でもあり、当村の合併で児島郡は[[灘崎地域|灘崎町]]([[2005年]][[3月22日]]に岡山市に編入合併)を残すのみとなった。
[[日本]]にある「藤田村」の中で唯一「ふじた"そん"」という読み方だった。他の「藤田村」は[[藤田村 (山梨県)|山梨県のみ]]「とうだむら」でそれ以外は「ふじた"むら"」である。また、日本に存在した「藤田村」の中では最後まで残った村でもあり[[全国地方公共団体コード]]導入後も残った唯一「藤田村」であり、「藤田村」に限らず「'''藤田'''」の名が付く'''最後の自治体'''だった。また、児島郡においては最後まで残った村でもあり、当村の合併で児島郡は[[灘崎町]]([[2005年]][[3月22日]]に岡山市に編入合併)を残すのみとなった。


== 脚注 ==
== 脚注 ==

2024年4月6日 (土) 22:53時点における最新版

ふじたそん
藤田村
廃止日 1975年5月1日
廃止理由 編入合併
藤田村 → 岡山市
現在の自治体 岡山市
廃止時点のデータ
日本の旗 日本
地方 中国地方山陽地方
都道府県 岡山県
児島郡
市町村コード 33403-1
面積 22.27 km2
隣接自治体 岡山市
児島郡灘崎町
藤田村役場
所在地 岡山県児島郡藤田村508
座標 北緯34度35分29秒 東経133度52分53秒 / 北緯34.59139度 東経133.88139度 / 34.59139; 133.88139
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藤田村(ふじたそん)は、かつて岡山県児島郡にあったである。1975年昭和50年)5月1日岡山市に編入され廃止された。現在は同市南区藤田となっている。

沿革[編集]

  • 1912年(明治45年) - 児島湾干拓の第二区(1097町歩)が完成。村制を施行し、その区域を児島郡藤田村とした[1]
    • その後、第二区の沖に第六区が完成し、藤田村に編入された。
  • 1960年(昭和35年)12月 - NHK錦ラジオ放送所が岡山市内の旧局舎から移転される。
  • 1975年(昭和50年)5月1日 - 藤田村が岡山市に編入された。
  • 1979年(昭和54年)- 瀬戸内2001大博覧会が国道30号沿いの藤田錦で開催される[2]
  • 2009年(平成21年)- 4月1日 岡山市が政令指定都市に移行し、藤田地区の行政区は南区となる。

出身有名人[編集]

その他[編集]

日本にある「藤田村」の中で唯一「ふじた"そん"」という読み方だった。他の「藤田村」は山梨県のみ「とうだむら」でそれ以外は「ふじた"むら"」である。また、日本に存在した「藤田村」の中では最後まで残った村でもあり全国地方公共団体コード導入後も残った唯一「藤田村」であり、「藤田村」に限らず「藤田」の名が付く最後の自治体だった。また、児島郡においては最後まで残った村でもあり、当村の合併で児島郡は灘崎町2005年3月22日に岡山市に編入合併)を残すのみとなった。

脚注[編集]

  1. ^ 下川耿史 『環境史年表 明治・大正編(1868-1926)』289頁 河出書房新社刊 2003年11月30日刊 全国書誌番号:20522067
  2. ^ 瀬戸内2001大博覧会(乃村工藝社)

関連項目[編集]