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2024年4月5日 (金) 02:12時点における版

野﨑 定次郎(のざき さだじろう、1854年8月11日嘉永7年7月18日[1])- 1933年昭和8年)12月20日[1][2])は、明治から大正期の実業家政治家衆議院議員岡山県児島郡味野町長。

経歴

備前国児島郡味野村[1]岡山県[2]児島郡味野村、味野町[3]児島市を経て現倉敷市児島味野)で、野崎武左衛門の長子、野崎常太郎の息子として生まれた[4]慶應義塾で学んだ[1][2][3]。兄野崎武吉郎の事業を手伝い[1]、農業を営む[2]

兄武吉郎が貴族院多額納税者議員に就任すると、田辺為三郎、手島知徳、小西増太郎らと協力してその活動を支えた[1]。1897年(明治30年)5月、岡山県会議員に就任[1][2][3]。また、味野町長も務めた[2][3]

1898年(明治31年)3月の第5回衆議院議員総選挙(岡山県第1区、進歩党)で当選し[1][5]、衆議院議員に1期在任した[2][3]。同年8月の第6回総選挙(岡山県第1区、憲政本党)では次点で落選した[5]

実業界では、児島銀行頭取、味野紡績社長などを務めた[1][2][3]

脚注

  1. ^ a b c d e f g h i 『岡山県歴史人物事典』770頁。
  2. ^ a b c d e f g h 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』488頁。
  3. ^ a b c d e f 『総選挙衆議院議員略歴 第1回乃至第20回』347頁。
  4. ^ 『岡山県歴史人物事典』770-771頁。
  5. ^ a b 『衆議院議員総選挙一覧 上巻』102頁。

参考文献

  • 『衆議院議員総選挙一覧 上巻』衆議院事務局、1915年。
  • 『総選挙衆議院議員略歴 第1回乃至第20回』衆議院事務局、1940年。
  • 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 『岡山県歴史人物事典』山陽新聞社、1994年。