野崎武左衛門

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本来の表記は「野﨑武左衛門」です。この記事に付けられた題名は、技術的な制限により、記事名の制約から不正確なものとなっています。

野﨑 武左衛門(のざき ぶざえもん、寛政元年8月1日1789年9月19日) - 元治元年8月29日1864年9月29日))は、江戸時代後期の実業家

来歴・人物[編集]

武左衛門は寛政元年(1789年)、昆陽野(こやの)貞右衛門の長男として備前国児島郡味野村(現岡山県倉敷市児島)に生まれる。名は弣(ゆづか)。 家督を継ぎ、最初は足袋の製造と販売を行っていたが、文政10年(1827年)頃から父親が一度失敗した塩田開発を再開、味野・赤﨑両村の沖に約48haの塩田を完成させた。その塩田は両地名の一字ずつをとって野﨑浜と名付けられ、自らも野﨑姓に改名した。武左衛門はこの後も児島半島南岸の日比・山田・胸上沖(いずれも現玉野市)を中心に塩田を開発し、文久2年(1862年)までに約150haの塩田を完成させた。また、岡山藩の命により福田村等の200ha新田開発も手がけた。これらの功績により、備前を代表する地主となった武左衛門は、苗字帯刀御免・五人扶持の大庄屋へと出世する。


現在、広大な野崎家旧宅は児島の主要な観光地として公開されている。また、野崎浜の塩田跡地は瀬戸大橋架橋と同時に児島駅と道路が整備され、児島の新市街地を形成し、味野旧市街と駅を結ぶメインストリートには『武左衛門通り』と名づけられている。その他には、玉野市胸上の塩田跡には野崎家が設立したナイカイ塩業本社工場が操業を続け、福田村の福田新田は水島臨海工業地帯の一部となっている。

関連文献[編集]

  • 『塩田王 野崎武左衛門』原作:太田健、漫画:南一平(竜王会館、1990年
  • 『児島風土記』(倉敷の自然をまもる会編、1982年

関連項目[編集]

外部リンク[編集]