キンシャサの奇跡

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キンシャサの奇跡(キンシャサのきせき)は、1974年10月30日ザイール共和国(現在のコンゴ民主共和国)の首都キンシャサの当時のナショナルスタジアムである「5月20日スタジアム英語版[1]で行われたWBAWBC世界統一ヘビー級王座のジョージ・フォアマンモハメド・アリが挑んだボクシングのタイトルマッチのことを指す。下馬評を覆し、モハメド・アリが勝利したことからこの名で呼ばれるようになった[2]

概要

ジョージ・フォアマンは、1973年にジョー・フレージャーをKOで倒し、統一世界ヘビー級王座を獲得するなど上り調子であったのに対し、モハメド・アリはベトナム戦争への徴兵を拒否したことからヘビー級王座を剥奪され、3年7か月間ブランクを余儀なくされた。復帰後の1971年にはフレージャーに敗北するなど全盛期を過ぎたと見られていた。この2人がキンシャサでタイトルマッチを行った。

アリは、ロープにもたれながらフォアマンのパンチを腕でブロックし、相手の打ち疲れを待つ「ロープ・ア・ドープ」という戦術を使い[3][2]、8ラウンド終了間際にワンツーの速攻でフォアマンをマットに沈め、KO勝利を収めた。

本試合は『かけがえのない日々英語版』というタイトルで映画化もされた。また、2001年公開の『ALI アリ』でも引用され、クライマックス・シーンとしてアリの勝利からエンディングに移行するという展開が描かれている。

後年、フォアマンは自伝 God in My Cornerの中で、リングに上がる直前に自分のトレーナーから薬のような味のする飲み物を与えられたと書き、何らかの薬物を盛られた可能性を示唆しているが[3][4]、アリと3度、フォアマンと2度対戦したジョー・フレージャーは「ニューヨーク・ポスト」のインタビューに応じて、「フォアマンの言うことを私は信じない。アリは正々堂々と勝利したのだ」と話している[5]

脚注

  1. ^ こちらも「40周年」アリVSフォアマンの今日的意義 2014年11月2日 東京スポーツ 2014年11月2日付
  2. ^ a b 【今日は何の日?】モハメド・アリ〝キンシャサの奇跡〟”. web Sportiva (2011年10月30日). 2012年7月5日閲覧。
  3. ^ a b 二宮清純 (2007年5月30日). “汚れていた? 「キンシャサの奇跡」”. スポーツコミュニケーションズ(「スポーツニッポン」に掲載). 2016年6月28日閲覧。
  4. ^ Foreman claims he was drugged before loss to Ali” (英語). ESPN (2007年5月22日). 2012年12月6日閲覧。
  5. ^ Mark Vester (2007年6月4日). “Frazier Disputes Foreman's "Drugged" Claim” (英語). BoxingScene.com. 2012年12月6日閲覧。

関連項目

  • テレビ朝日(当時、日本教育テレビ) - この試合を生中継した日本のテレビ局