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六連島灯台

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六連島灯台
六連島灯台の位置(日本内)
六連島灯台
航路標識番号
[国際標識番号]
5537 [F5334]
位置 北緯33度58分41秒 東経130度52分04.5秒 / 北緯33.97806度 東経130.867917度 / 33.97806; 130.867917座標: 北緯33度58分41秒 東経130度52分04.5秒 / 北緯33.97806度 東経130.867917度 / 33.97806; 130.867917
所在地 山口県下関市六連島
塗色・構造 白色 塔形 石造(花崗岩
レンズ 40CmLB
灯質 単閃白光 毎10秒に1閃光 Fl W10s
実効光度 閃光 390,000 cd
光達距離 閃光15.5海里(約29km)
明弧 140度 - 12度
塔高 10.6 m (地上 - 塔頂)
灯火標高 27.9 m (平均海面 - 灯火)
初点灯 1872年(明治4年11月21日[1]
管轄 海上保安庁
第七管区海上保安本部(門司海上保安部)
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六連島灯台(むつれしまとうだい)は山口県下関市の北西約5km、日本海響灘)に浮かぶ六連島の北埼に立つ石造の灯台

大政奉還により江戸幕府最後の年となった慶応3年4月[1]1867年)、兵庫開港に伴う外国船の安全航行を確保するため、幕府がイギリスとの間で締結した大坂約定(大坂条約)で設置を約束した五カ所の灯台の一つ[2]。明治新政府が事業を引き継ぎ、「灯台の父」と呼ばれるリチャード・ブラントンの設計により、1872年関門海峡の北の日本海響灘口に建設されたもの[3]

関門航路・日本海側の重要なランドマーク。下関市指定文化財。

歴史

収録海図

海図番号 図名 縮尺 図積
W135 関門海峡 25,000
W1264 関門港北部 15,000 1/2

脚注

  1. ^ a b c d グレゴリオ暦への改暦前の太陰太陽暦天保暦の日付
  2. ^ 灯台#大坂条約を参照
  3. ^ 同じ大阪条約により南の瀬戸内海周防灘口に建設されたのが部埼灯台(へさき-)

外部リンク